雨音と人の声がこもる中、陰鬱な旋律が微かに響いてきた。
その旋律は閉じ込められた異世界へ誰かを誘おうと手招きしているかのようで、でもその手を掴もうとすれば風のようにすり抜けて、霧散しそうだった。
ピアノとその旋律。
俺の中でアイツの顔だけが思い浮かぶ。
こんな儚さとは無縁そうな女なのに、何故。
誘われるように音楽室に行けばやはり、いた。
「……」
灰色と黒の曇で塗りつぶされた音楽室で一人ピアノを弾いている。
声をかけようと思ったが、俺にはそうしてこの陰鬱でノスタルジックな曲を弾くみょうじが本物だとする確証はなかった。
いつもの明るく太陽のようなみょうじとこの曲は全く整合性を持たない。
これは夢かもしれないとすら思う。
「 」
みょうじが呟いた言葉は旋律に溶けて消えていく。
するとその旋律は目には見えない重さを増した。
じゃあ、これは夢じゃないのか?それとも……。
「そこにいるのは跡部くん?」
3分弱の世界から解放されると、みょうじの溌剌とした声と雨の音が日常を思い出させる。
みょうじは不満そうな顔で言った。
「覗きはどうかと思うよ、跡部くん」
しまった、俺様としたことが……こいつの傍はいつでも異世界だ。
「せっかく俺様が余韻に浸るほど良い演奏だったのに自分で台無しにするなんざ……」
「へえ!跡部くん聴いててくれたの?」
じゃあ、もう一回ねと鍵盤に再び触れようとしたみょうじの手を掴んで止めた。
あまりに反射的に、かつ感情的にやってしまった。
「ど、どうしたの?」
「今の曲。何て曲だ?」
誤魔化すために聞きたくないことまで聞いてしまった。
「サティのグノシエンヌ第1番」
「物悲しい曲だな」
「跡部くんはそう思うんだね。私もちょっと悲しい曲だなって思うよ。でも本当にそうかは分からないんだ」
「ほう……」
「この楽譜には、小節線も拍子記号もない。書かれていることといえば、
『思考の隅で……あなた自身を頼りに……舌に乗せて』」
「ますます意味分かんねーな。まるでお前みたいだ」
「何それ?まあ、私もこの曲弾くと、意味分かんなくなる。右も左も分からない場所に閉じ込められているような……」
それは、閉じ込められているわけじゃない。寧ろその反対だろう。
思考の隅で
あなた自身を頼りに
舌に乗せて。
こいつは一度も音楽に向き合えば立派な一人の芸術家であるわけだ。
「お前のことちょっと見直したぜ」
「なんかいつも失望してるみたいな感じだね」
「当然だ。いつまで経っても展開の公式言えないだろうが」
「あああ!もう失礼なヤツなんだから!こうなったらもう一度弾いてあげるから……」
「その曲はやめろ」
こいつの一部を認めたら、あの言葉のように音楽の中に溶けて消えていく気がしてならない。取り返しがつかないことは、自分でも情けないが恐ろしい。
「跡部くん?」
「……」
「なるほど。私の一端を知るのはそんなに怖い?」
珍しく優位に立った風にみょうじが挑発してくる。
「何気持ち悪いこと言ってんだテメェ」
「えっ!?違った!?」
「とにかくこの俺様が別の曲を所望してんだ。さっさとやれ」
「ほんと偉そうなんだから……じゃあ大体同じくらいの長さの『ドラえもん音頭』をみょうじなまえ即興アレンジで」
「おい何だそれは。誰がそこまでのジャンル変更を求めた」
みょうじは軽快なイントロを弾き始める。
「因みに弾き語り!」
「そんなサービスいらねぇよ!」
「あぁ〜あぁああ〜!ドラリドーラリのドラえもんおんどー♪」
「ダメだこいつまるで聞いてねぇ」
みょうじは得意のドラえもんボイスで弾き語りを始めた。即興アレンジと称しているがよくもまあここまで技術力のいるゴージャスなアレンジをつけられるもんだ。寧ろドラえもんボイスが浮いてんだろうが。
こいつらしいといえばこいつらしい。
バカと天才は紙一重とはみょうじの為にある。
「よったよったよったせ〜」
「俺様は今才能の無駄使いを目の当たりにしている」
みょうじの真面目な姿は俺様の記憶にしまっておく。
……できれば、忘れる方向でな。
2015.07.08
エキゾチックタイムの別verですがまたまた公平にくじ引きをして跡部様が出てきました。今回は氷帝立海四天宝寺青学までもれなく入れたのですが、跡部様すごい……です!
多少のアレンジを加えまして、書いてみました。ピアノを弾く描写なんて全然書かないのでまた書けて良かったです!
カーリー様、リクエストありがとうございました!
リクエスト時のメッセージもとても嬉しくて……恐縮です!
これからもよろしくお願いします^_^
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