昨日はシューベルトの幻想ソナタ。
一昨日はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
それと、その日は俺の知らない曲を弾いていた。
なまえさんの大好きなサティのピカデリーというピアノ曲だそうだ。
その前はベートーヴェンのピアノソナタ第29番ハンマークラヴィーアの第1楽章。


「なまえさんって、色んな曲を弾きますね」
「うん。毎日同じ曲を弾くのも好きだけど、色んな曲を弾くのが私は一番楽しいかな」
「そうなんですね。それで……今日の曲……俺も知りません。何と言うんですか?」
「チョタくん知らないの!?テーレッテーって!」
「すみません、勉強不足で」
「これは私が悪かった。北斗の拳はやりすぎたと思う」

とにかくなまえさんは俺よりずっと色んな曲を知っている。それはとても羨ましい所でもあって、尊敬している所でもある。しかも、たくさん知っているだけじゃない。一曲一曲を理解して、まるで着こなしているみたいに奏でている。


「そういえばなまえさんはいつからピアノを?」
「あー……」

なまえさんは楽譜を捲りながら申し訳なさそうに答えた。

「実はそんなに長くないんだ。小学5年生からだから」
「えっ、そうなんですか!?」
「周りでピアノやってる人はかなり長いでしょ?私なんてまだ4年くらいだからみんなびっくりするんだよ」
「でも、たった4年でここまで上達するなんて……なまえさん、すごいですね」
「始めた頃は毎日ヒマでゴロゴロしてたからねー。ゴロゴロしすぎて体重70kgくらいあったな」
「ええ!?」
「冗談だよ。チョタくんそんな騙されやすい性格だとお姉さん心配だな……」
「なんだ……」

70kgある10歳のなまえさんもちょっと見てみたいかもしれない。
なまえさんはポケットから出した飴を俺に渡して、話を元に戻した。

「始めた理由はそんなに大層なことじゃなかったと思う。あんまり覚えてないんだ。すぐに音楽が大好きになって、色んな楽器を弾いたりもしたけど、特にピアノかな。一番好きになったんだ。兄ちゃんにも『お前絶対向いてない』って言われたのにね」
「お兄さんがそんなことを?」
「もっと自由が利く楽器にしとけって言われた」

お兄さんの言うことも確かに一理ある。なまえさんは自由で表情豊かな人だ。
ピアノは一つの白鍵にも黒鍵にも、ただ一つの音だけがおかれている。
なまえさんは『お兄ちゃんは何にも分かってないんだよ』と愚痴をこぼしている。でもどこか嬉しそうなのは弾いている優しく静かな旋律からも手に取るように分かる。

「でも、実はその窮屈さが好きなんだ」
「窮屈さ……」
「窮屈な中でたくさんの音楽が生まれるんだよ、これってすごいことだよ。だから大好きなんだと思う」

88の音と、それを更に制約する曲の内でなまえさんは音楽のようにめくるめく変わる自分の気持ちを乗せることができる。
俺はそのなまえさんの心を些細なことまで受け取ることができる。
気がつけば俺はもっとなまえさんに触れたいと思っているんだ。

「こんなこと話したの初めてだな」
「俺も話してもらえると嬉しいです」
「そう?つまらなくない?」
「なまえさんの一番本質にある話じゃないですか。もっとなまえさんに近付ける気がするんです」
「なんかすごく恥ずかしいこと言われてる気がしてならない……」
「だから、もっとなまえさんのことを聞かせてください」
「うん」
「それと、もう一つお願いがあるんです」
「何?」

なまえさんはピアノを弾くのを終えて俺だけを見ている。俺よりもふた回りくらい小さいなまえさんに無邪気に見上げられて思わず『可愛い』と言葉が出そうになってしまう。
今の俺、もしかしたら顔が赤くなってしまってるかもしれない。

「なまえさんの弾く曲、毎日聴いてもいいですか?」
「なーんだ。突然改まるからびっくりしたじゃん。もちろんだよ」
「ありがとうございます」
「ただし!」
「ただし?」
「チョタくんのも聴かせてね。私、チョタくんのピアノ好きだし。練習忙しいだろうしときどきでいいから」
「もちろんですよ。なまえさんに聴かせるなんて恐れ多いですけど」
「そんなことないよ!楽しみにしてる!何弾いてくれてるのかなぁ〜」

なまえさんは俺が弾く曲をあれこれ想像しているみたいだ。
なまえさんの曲からなまえさんの気持ちを推し量るのは俺はできるけど、その逆ってどうなんだろう。考えたこともなかったな。

「なまえさん、今度なまえさんに聴かせるのはショパンです」
「えっ」

なまえさんは持っていた譜面をドサドサと全部落とした。分かりやすくと思って咄嗟に言ったらもしかしたら分かってしまったかな?

「いや……まだ曲までは聞いてないぞ……」

この様子だとなまえさんが音楽を介して俺の気持ちを分かってくれるのはちょっと遠い未来になりそうだ。
でもそれまで、なまえさんの音楽と気持ちをある程度独り占めできるのはすごく嬉しい。

そして、いつか、ショパンに乗せた俺の気持ちに気付いてくださいね。なまえさん。


2015.11.19

ショパン好きなチョタくん素敵です!
公式プロフィール見て震えたのを覚えています……ロマンチスト。チョタくんのロマンチストさが出ていたかは分かりませんが笑

紗英様、リクエストありがとうございました!
[ ]