勢いで誘拐犯と暮らすようになった私には心労が絶えない。
前のアパートは既に引き払ってしまって、入社した会社もまあお察し……カラスくんに言われるがまま辞めてしまった。あの時の私はまだ命の危機を感じていたので仕方ない。
そして、生命の危機はないと知った私は今ではカラスくんと同じソファに座ってテレビ鑑賞をするようにまでなってしまっている。
今日もテレビを観ていると珍しく携帯がなった。
『母』と画面には映し出されている。

「はーいもしもしお母さん?」
『なまえ、元気?』

電話をかけてきたのはお母さんだった。何気なく出ておいて、『やばっ』と私の頭の中で危険信号が発せられる。

「もう元気、めっちゃ元気」
『そう?就活はうまく行ってる?』
「うまいうまい。めっちゃうまくいってる」
『あ、そう。ならいいの』
「……」

ちょっと今、就活って言わなかった?

「お母さんもしかして私が仕事辞めたって知ってる?」
『知ってるわよ。何もかもお見通しよ。全く耐え性がないんだから』

お見通し、という言葉に更に焦る。私はチラチラと隣のカラスくんを見た。呑気にお風呂上がりで濡れた髪をタオルで拭いている。
まさか、ねぇ。

『アンタ、今どこに住んでるの?』
「あ、あの、えーと」
「どうしたんじゃなまえちゃん」
『誰かと一緒にいるの?』

お母さんの耳は何でも拾うな。昔から耳は良いと思っていたけどここまでとは。この際仕方ない。私も嘘つきになってやる。
私は腹を決めた。

「彼氏と同棲してるの!」

今まで冗談で何度も口にしたことがある言葉を次は本気で騙すつもりで口にした。
しばし沈黙。隣のカラスくんは、自前の鋭さで会話の内容を察しているに違いない。もともと私とカラスくんの間にあったスペースが更に広がった。

『えええ!?彼氏!?何でもっと早く言わなかったの!』
「言う必要ないじゃん」
『じゃあ、アンタ……今ヒモなの?』
「か、家庭に入るつもりなの!……あ、ごめん今の嘘。ちゃんと就職するつもりではいるの」

最後のはちょっと苦しすぎる嘘だった気がする。電話口の母親から感嘆する声が聞こえる。プラスして彼氏だと!?という父の声が聞こえた。やはり私はこのお母さんの子どもであるらしい。

『ちょっと、アンタの彼氏に代わりなさいよ!』
「えー」
『こんなろくでもないヒモ娘を抱えさせてしまったお詫びをするのよ!』
「ひどい……」

ちらりと横目でカラスくんを見る。
カラスくんは私と目を合わせないようにしてテレビに集中しているフリをしている。内容なんて頭に入ってないくせに。
まあ、話したくないのは当然だろう。だって、私のお母さんづてで名前がバレるのも不都合なんだろう。いやもうバレてるんだけど。

「カラスくんお願い」
「気はすすまんのう」
「それどころか後退してる顔だけどそこをお願い……ね?私をコランダムにしたいんでしょ?」

……何で私がお願いしてるんだろう。
ただそのお願いは私の持つどの言葉よりも効き目があって、カラスくんは私からスマホを取った。

「向こうで話してくるけんなまえちゃんここにおってな」
「分かった」
「絶対じゃぞ」
「うん絶対」

それからカラスくんはスマホを受け取って部屋を出ていった。テレビの音だけが聞こえる中で、一人でドキドキしながら待つのは心細い。

カラスくん、大丈夫かな。

不安でむせ返りそうになって、テレビは音と映像を流しているだけだった。




長いこと時間が経った気がする。ドアが開く音が聞こえた。
カラスくんを見ると、苦笑しながら私のスマホを渡してきた。

「なまえちゃんのお母さんはなかなか強烈じゃのう」
「バレなかった?」
「ん、バレてないぜよ」
「はぁ……」

ほっとしたと同時に、あれ?と疑問符がつく。
前から何度もこんな気持ちになったけれど、今までで一番強く思う。
自分のことなのに、私は一体どういうつもりなんだろう?

「はぁ……」
「二度もため息ついて浮かない顔じゃのう」
「ねぇ、カラスくん。私って変だと思う?」

カラスくんは私をじっと見つめる。前より見つめている時間が長くなっているのは、カラスくんがだんだんと私に慣れてきたからだ。

「どの辺りが?」
「あぁ、もともと変なカラスくんに聞いてもしょうがないか!」

変な人と笑ってあげるとブーメランになって突き刺さってくる。
違和感であっても不安じゃないのが、私が変だっていう証拠なのかもしれない。

「それとさ、カラスくん」
「お次は何じゃ?」
「私は順調にコランダムになってる?」


そう聞くとカラスくんは微笑んだ。

「なっとるよ」

余裕を含んだ声だった。

 

2016/9/18修正

箸休め



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