カードの一件でカラスくんの名前を見る最大のチャンスを逃した私は、カラスくんの名前を知るために躍起になっていた。
もう家中いろんなところを漁るのだけどこういう時はしっかりしている彼は全く尻尾を掴ませてくれない。尻尾生えてるくせに。
「ねぇカラスくん」
「何じゃ?」
「カラスくんって名前はないの?」
「あるに決まっとるぜよ」
「何ていうの?」
「なまえちゃんに教える名前はなか」
直接訊ねてもこの一点張りである。
まあ誘拐犯なのだから、身元を知られるのはまずいんだろう。……そういえば誘拐犯なんだった。
「名乗る必要なんてないぜよ。なまえちゃんがカラスくん、って呼んでくれるならそれでいい」
妙なところで勿体ぶるなあ。どうせ『名前を呼ばれたら俺死んじゃう!』とでも思ってるんだろう。
誘拐したくせに…。。。と思いながら、私を攫った1回は彼にとってはイカサマ、なのだ。
「本当に手がかりなしかい」
カラスくん、身元を示すもの全部持って出歩いてるんだろうか。全く、これじゃあ私が空き巣みたいじゃないか。
「はぁー」
大きくため息をつくと、ピンポンとチャイムが鳴った。
あれ?と不思議に思う。
カラスくんは絶対荷物が届く時は私に受け取るように言うのだ。何か届く時も絶対名前が違う。使う名前は数パターンあってどれも本名じゃないらしい。まあジャッカル桑原は絶対本名じゃないなってすぐに分かったけど。
「はぁーい。今出ます」
それにしても、カラスくんが私にちゃんと荷物のことを言って出て行かないなんて珍しい。
新聞の勧誘?新聞なら何か適当に理由つけて追い返せって言われてたっけ。
「こんにちは」
「……こんにちは」
ドアを開けると、そこにはメガネを掛けた男性が立っていた。スラッと背が高い。
「ああ、仁王くんも隅に置けませんね」
「にお?あの、どちら様でしょうか?新聞販売の方ですかね?」
「いいえ、仁王くんの友人の柳生比呂士と申します」
柳生……カラスくんの偽名の中にその名前があった。
カラスくんが一番使っている名前だ。
「あ、柳生さんですか」
「今日は仁王くんはいますか?」
「仁王……」
「ええ」
「し、下の名前は?」
「雅治、ですが。なぜ?」
「におうまさはる……」
カラスくんがようやく、私に尻尾を掴ませてくれたのだった。
「柳生さんって、カ……仁王くんの同級生なんですか」
「ええ、テニス部で長く一緒にやっていました。ダブルスも組んでいましたよ」
「テニス部……」
柳生さんを家にあげちゃダメ、なんて一言も言われてないから私は柳生さんを家にあげてカラスくんの情報収集をすることにした。
コーヒーにプラス、昨日カラスくんが買ってきたお茶菓子付き。イチゴジャムのクッキーだ。
「ご存知ないのですか?」
「仁王くんはあまり話してくれないので」
「そうでしょうね、彼は昔からそうです。私にもみょうじさんのことは話してくれませんでした」
「……ですよねー」
「本当は彼もみょうじさんと一緒にいられて幸せなのにそれさえも隠そうとするんですから、ミステリアスな人です」
一緒にいられて、幸せか。
『コランダムになるまで、ずっとここにいること』
カラスくんにとって幸せなのは、ガタガタ理論で理由をつけて私と一緒にいることなのか、それともガタガタ理論でも信じていて私がコランダムになるのを待っていることなのか。
「仁王くんは、私と一緒にいられて幸せだと思いますか?」
「みょうじさんは、不思議なことを聞かれますね。彼が望んで、貴女も受け入れてそうしている。違いますか?」
「違わなく、ないですけど」
柳生さんは私と仁王くんが普通の恋人同士だと考えているんだろう。互いが望んで、受け入れて、その形すら私たちはちょっと変わってる。まだ追い付けてない。何も知らない。
つまり、カラスくんと私はまだ誘拐犯と攫われた人の域を抜けられてないってことだ。
「そうですか。仁王くんは結構恋愛下手ですしね」
……というか、私は何を考えてるんだ。
私はカラスくんと恋人同士にでもなりたいのか?あれ?
「彼との関係は難しいですよね。ああ見えて中身は子どもですから」
「それ。分かります」
「貴方は何も知らない、と仰っていましたが仁王くんのことをとても理解してらっしゃる」
仁王くんは幸せ者ですね、と柳生くんはコーヒーカップを手にとって笑うのだった。
その目は仁王くんのことなら何でもお見通し、って感じで、ちょっと羨ましい。
「でも、本当に何にも知らないし……」
「それでは、私に何でもお聞きになられてください。仁王くんに代わって分かる範囲でなら全てお答えしますよ」
「いいんですか?」
「もちろんですよ。メールアドレスも交換しておきましょうか」
「はい!」
柳生さんはメールアドレスまで教えてくれた。『仁王くんには、内緒ですよ』と添える柳生さんは……やっぱり誘拐のことも何でも知っていそうな感じがしてこっちが少し怖いなって思ってしまう。だから何で私がカラスくんの為にこんなに気を使ってるんだ。
「それと仁王くんに後で小言を言われそうなので私たちが密会したことは黙っておきましょう」
「密会っていうとちょっと変な感じが。合ってますけど」
「でも、仁王くんは嘘を見破るのが得意ですから、頑張って嘘をついてください」
「あー、それならうまく誤魔化せますよ」
とっておきの秘策があるんでね、と言ったら柳生さんは『やはりよく分かっていらっしゃるんですね』と感心していた。
「仁王くんのことですから、貴女のことを全部知っているつもりになっているんでしょう」
「ですから、貴女も仁王くんに対して1つ秘密を作ったことになります」
見返してやれ!と言わんばかりで愉快そうな柳生さんはそのまま帰って行った。
確かに、たった1つでもこれは優越感だ。
「……なまえちゃん。今日誰か来た?」
「来てないよ。何で?」
カラスくんが帰ってきてコーヒーを入れながら、私に不安そうな目で聞いてくる。
それにしても、柳生さんと会ったこととは内緒とはいえ、結局私にとって彼はカラスくんだった。
「クッキーまるまる1缶無くなっとるし」
やはりカラスくん鋭い。
嘘をつき慣れてるから余計鋭い。
「全部食べた」
「なまえちゃん、ほんまに?」
「食べたよ」
「……」
「おかげで肥っちゃったよ。ほら、お腹触ってみ」
「!?」
それでも疑いの目を向けてくるカラスくんの手を引っ掴んで私のお腹まで持ってくる。やっぱりみるみる顔を真っ赤にしたカラスくんは慌てて手を引っ込めた。
「いかん、またなまえちゃんに……」
「もういい加減慣れたらどう?」
「でも確かにちょっと肥っとる」
「おい何だと!?」
2016.04.28
仁王の名前がここでやっと!
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