「お母さん結局じいちゃんとばあちゃんと兄ちゃんと焼肉行ったんでしょ!?娘を売り飛ばして……キーッ!私も食べたかったのに!……うん。また話逸らして、うん。その話はまた今度。今は乗り気じゃないの!主に焼肉のせいで!じゃあね!」

ケータイをぶちりと切ってため息をつく。
私も焼肉食べたかったよ……。
髪を乾かしながら食べられなかった焼肉のことを考える。多分跡部くんの手回し、母ちゃんの狡猾具合とか駆け引きのうまさを考えると多分並みの焼肉じゃないよ。多分A5ランクよA5。それと……。

ベッドに倒れこんで目を閉じると頭の中で『いつまで先延ばすつもりなのだ』と母親の威厳たっぷりの声が聞こえた。

「あー!もう!」

白石くんから貰ったカモミールの芳香だけが私を癒してくれる。
今日はもう疲れた。もう寝て、ゆっくり休もう。合宿はあと2日……。

ガチャン!

「はっ!?」

ドアが乱暴に開閉する音と、そのすぐ後に苦しそうな呼吸音が聞こえて目を覚ました。
私の快眠を邪魔する奴め、こらしめてくれる!
とりあえず近くにあった箒を手に取り恐る恐る玄関に近付く。

「天誅ー!チェストー!」
「ぎゃあああああ!!!」
「あれっ」

箒を振り上げる私を見て絶叫したのは、立海の切原くんだ。

「びっくりしたぁ。切原くんか」
「おおお俺の方がびっくりっすよ!ていうか先輩一体何してるんすかこんな所で」
「それはこっちのセリフだよ!ここ私の部屋だよ」
「先輩の部屋って別じゃなかった?」
「そうだったんだけどね」

あなたのとこの部長がドアを粉砕しましたよ。あれは建て付けが悪かったということで処理されたらしい。建て付けが悪いと人力でドアって砕け散るんだね知らなかった。

「それで切原くんこそ何してんの?不法侵入だよ」
「真田副部長から逃げてたんすよ。あー!これバレたら副部長に二重に鉄拳制裁食らうぜ……」
「鉄拳制裁!?」
「めっちゃくちゃ痛ぇんすよ」

真田くんって時代錯誤だなぁ。今時珍しい星一徹タイプか。切原くんは星飛雄馬かな?

「多分(真田くんも前科持ちだし)不法侵入は問われないから大丈夫だよ。で、何で逃げてきたの?」
「宿題っす」
「はい?」
「夏休みの宿題っす。全く手ェつけてなくてそれで副部長に……ってなまえ先輩!?」
「急に目眩が……!」

夏休み前に数学の藤田が「点数の良かったお前にプレゼントだ」とか言って渡してきた夏期テキストなるものを思い出す。跡部くんが私に合宿を言い渡した時と同じ手口なのが余計怖かった。
で、案の定まだ計算問題の(1)しか手をつけてない。

「ま、まさか先輩も仲間……?」
「夏休みの宿題は……」
「テキストは前々日くらいに手をつける」
「自由研究は毎年10円玉を綺麗にする実験」

ピシガシグッグッも通じるとか切原くん心の底から仲間だ。

「いいよ!ここにいなよ!全力で匿ってあげる」

かつて私を差し出した跡部くんとかいう薄情者とは違うのだ私は。切原くんはキラキラした目で私を見つめてくる。可愛いなおい。

「なまえ先輩ぃぃ!マジ女神っす!」
「でも切原くん、結局見つかったら宿題やらされるんじゃない?」
「そういうことはどうでもいいんすよ!肝心なことは今を回避することっす!」
「そっか」


「話は聞かせてもらったぞ……」


突然ドアの向こうから腹の底から唸るような低い声が聞こえた。
私と切原くんはびっくりして声こそ出なかったもののとりあえず抱き合った。

「今のって」
「副部長っす」
「赤也よ!大人しく投降しろ!」
「うわっめっちゃ煩っ!」

真田くんはどっから持ち出してきたのかわざわざ拡声器を使って投降を促してくる。

「さっさと出てきて俺と柳の前で宿題をするのだ!何が不満だ!」
「弦一郎、みょうじもいるのだろう。女子をそのように驚かせては逆効果だ。赤也共々ますます出てこなくなるぞ」
「みょうじはこのようなことで怯むような女子ではないわ!」
「こんな高圧的な態度の交渉人見たことないや」

まさか拡声器まで使うなんて、と別の意味で怯んでるよ真田くん。真田くんの隣にはどうやら柳くんがいるらしい。交渉人真田くんはちょっとアレだけど隣にあの見るからに頭の良さそうな柳くんがいるなら話は別だ。

「赤也くん、柳くんいるしもう諦めた方がいいよ」
「先輩裏切るんすか!?」
「別に裏切ったりしてないよ。一緒に自首しようって言ってるんだよ」
「なまえ先輩……」
「ほら宿題がんばろう?」

切原くんが悲しそうな目で私を見つめる。
宿題が嫌なのは分かるけどここはね…。

「じゃあなまえ先輩も宿題一緒にしましょうね」
「は?」
「だって自首するんでしょ?共犯じゃないっすか、なまえ先輩も」
「……」
「……」
「……わ、私は人質ですー!助けてー!」
「ええええええ!?」

すげえ簡単に裏切った!と叫ぶ切原くん。すまんな、それでも私は宿題をしたくないんだ。直視したくないものは先延ばししたい普通の人間なんです。宿題も先ほどのアレも。

「何の茶番をしているんだ!速やかに出てこんつもりなら赤也!強硬手段に出るぞ!」
「ま、まさか!?真田くんも幸村くんと同じでドアを粉砕させるつもり!?」
「粉砕!?」

切原くんと一緒にドアから距離を取る。
……内心、ドアが粉砕する様を見てみたい気もして、期待しながらドアを見つめていた。切原くんはめっちゃ怯えてた。南無。

「入るぞ!」

真田くんが拡声器で叫んだ。
ついに、来る!

ガチャ……!

「赤也ぁぁ!そこに直れ!その根性叩きなおしてくれる!」
「すんまっせんした副部長!」
「ええええ……」
「どうしたみょうじ。何か俺に失望したような目をしているが」
「ドア粉砕して入ってくると思ってたのに」
「流石にドアを2枚粉砕するのはな」

勢いよく入ってきた真田くんに続いて入ってきた柳くんの手にはマスターキー。切原くんが「マスターがマスターキー持ってる!」とツボって真田くんにまた怒られている。それより部屋に入ってきてまだ拡声器で話してるのか。

「さあ赤也!宿題をするぞ」
「分かりましたからそろそろ拡声器はやめて欲しいっす!」
「がんばってね切原くん」

襟首を掴まれて真田くんに連行され切原くんを笑顔で送り出す。すると真田くんが私の方を振り向いた。

「何を言っている。お前も宿題をさっさと持ってこんか」
「はい?」
「みょうじも宿題に手を付けてないのだろう?聞こえていたぞ」

ドア越しにな、と付け加える柳くん。

「俺と柳がきっちりお前の宿題も見てやる」

この時の私は悩みの半分は宿題とお母さんからの電話だった。
でもこの後にあんなに悩むもう一つの事件が起こるなんて全く予想だにしてなかった。


2016/9/17修正
真田は拡声器使わなくてもいいか…。
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