「今朝なまえちゃんを見たって忍足たちが騒いでたけど知ってる?」
「知ってはいるが、本物ではないだろう」
「ああ……ドッペルゲンガーもありうるよね」
休憩時間に不二が手塚に噂話を持ちかけるが、手塚は興味がなさげだった。
致し方ないと不二は思う。肝試しでドッペルゲンガーを出現させた疑いのあるなまえのことだ。今回現れたのも本物でない可能性がある。実際不二も生き霊の線を疑っていた。
もう一つの噂を聞くまでは。
「でも、今回はもう一つ噂があるんだ」
「何の噂だ?」
「専属医の妹さんが来てるんだって。さあ、専属医の名前は何だったでしょうか?」
「……みょうじ」
「正解」
手塚は明らかに動揺している。
手塚をおちょくるのは本当に楽しい。後輩たちをおちょくるより、普段何事も動じない手塚をターゲットにする方が遥かに愉快だった。
「偶然だな。推測の域を出ない」
「そう?なまえちゃんに推測なんて8割方無駄に終わると思うけどな」
「それくらいは分かっている」
ほら、これだから楽しい。
「いたら嬉しいね。手塚」
「ここにくる手段はそうない」
「もしなまえちゃんがいたら、偶然じゃなくて、奇跡とか運命ってところかな?」
「不二」
手塚に睨み付けられるが不二はなんのその。その様子を見ていた桃城が『不二先輩、度胸ありすぎっす』と後語りするほどである。
「なまえさんのことで俺を」
「からかうなって?無理。ところで、とうとう名前呼びになったんだね。経緯は?やっぱり前の電話ドッキング事件がきっかけ?」
「不二……」
非難の次は呆れた目を向けられたが不二は全く気にしない。それどころか、このことを早く誰かに話したいとさえ思っていた。その時は、厄介事を呼び込まないように他校は抜きにするのが青学の鉄則だ。
「あ〜やっぱりなまえちゃん、この合宿に来ていてほし」
「ダメダメ!絶対ダメ!そんなの嫌!」
「ちょっとくらいええやろ。減るもんやないで」
……なまえちゃんの声が聞こえる。
そう思って不二が振り向くより先に、手塚の方が振り向いていたらしく、驚いた様子でそこにいた彼女を見ている。
なまえは、なんと種ヶ島と口論の真っ最中だ。
「減る!私の乙女の純情は1日3つまでなんですぅ!」
「少なっ!?自分で言ってて悲しくならへん?」
「つまりとっても貴重だってことなんですぅー!」
「使い果たしたらどんな女になるか気になるわ」
「その発言気持ち悪っ」
ひどい会話……手塚は大丈夫か?と不二が見ると、手塚はそこにはおらず、少々駆け足気味になまえの方に近付いていたのだった。
「何をされているんですか?」
「お、何やターゲットの方からこっち来てしまったやん」
「うおおおおおお!?」
種ヶ島となまえの間に割って入った手塚。種ヶ島は残念そうで、なまえの方はというと、力強い叫び声を出したかと思えば、次の瞬間口をパクパクさせて手塚を見上げている。言葉は全く出ていない。
「いやな、なまえちゃんと一緒に色々イタズラして回ろう思って。最初のターゲットがキミらやったけど、やっぱ相手が悪かったわ」
「……!……!?」
「なまえちゃんも完全に金魚になっとるし。ほら、しっかりしーや」
金魚と化して何も言わないなまえの背中を叩く種ヶ島。するとなまえは咳き込んでしゃがみこんだ。どうやら口をパクパクさせるだけさせて、呼吸は疎かになっていたようだ。
「げほげほっ……ううっ、自分が肺呼吸になったのを忘れていた」
「生まれた時から肺呼吸やで。エラ呼吸だった時期でもあったん?」
「ニシオンデンザメになりたい時期はあった」
「お兄さんもう君のことよう分からへんわ……」
「私も何でニシオンデンザメなのか……せっかくならホオジロザメとか夢はでっかくメガロドンとか……じゃなくて国光くん!」
「なまえさんか?」
「うおおおお私よ国光くんの前で何て事を!」
もう今更であるのになまえは手塚を前に恥入っている。
手塚は、しゃがみこんで叫びまくっているなまえの手を取った。
これには不二もびっくりだ。
「おかえり、なまえさん」
「た、ただいま……」
手塚のことだから、恋愛感情の一環として、真っ昼間からそんな大胆な行動を取るはずがない。不二は気付いた。あ、これ本物かどうか確かめてるな、と。
「帰ってきたんだな」
「えへへ、ちゃんと約束したしね……」
訪れる沈黙。
なまえは不二を見る。『どうにかしてくれ』と視線が訴えている。手塚の方も無言だったが眼鏡を直す素振りを見せ、一瞬こちらを見た。
不二は事態をすぐに把握した。
この二人、直接会うのが久々で、何を話せばいいのか分からなくなっているんだ。
「んじゃあ感動の再会は果たしたし他の奴らにドッキリしかけに行こか、なまえちゃん」
助け舟を出そうとした不二より早く、種ヶ島がなまえを小脇に抱える。なまえの顔が絶望の色に染まり、バタバタと子犬のように抵抗する。
「チェンジ!不二くんにチェンジ!」
「自分がチェンジって言われると実際キツいわ……」
「私をどこに連れて行こうっていうんね!?Ne me touche pas!まだ用事は終わっとらんと!」
「何か別の言語が混じってへん?」
担がれていくなまえの姿が種ヶ島と一緒に遠く小さくなっていく。手塚も不二もその様子を呆然と見つめていた。
「本当に、なまえちゃんだったね……」
「ああ……」
「……」
「……」
二人で無言になってしまう。正確には、不二の方が手塚の言葉を待っていたのだが。
「……興奮して」
まさか、なまえちゃんに会えてそこまで?と不二は思った、が。
「フランス語が出ていたな……」
「手塚……。大分なまえちゃんに毒されてないかい?」
奇行種は新種の有毒生物のようだ。
2017/12/9
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