「お母さんとお姉ちゃん遅いなー」

空港でなまえさんに何とか追いつき、俺は最後まで彼女を見送るため一緒に待ち時間を過ごすことにした。先ほど買った缶コーヒーのカフェインと、効き過ぎているくらいな空港内のクーラーの冷気に当てられて、俺の頭はより冷静さを取り戻していた。

……俺はヒートアップしすぎて隣の女に公衆の面前であらぬことをしようとしていた。
というか一歩手前の抱きしめるところまでやってしまっている。それから先はなまえさんの遅すぎる報告によって回避してしまった……いや回避『してしまった』って何だ。まだ俺は冷静ではないのかもしれない。

「若くんそんな死にそうな顔しちゃって眠いの?」
「貴女には当分の間分からないでしょうね」
「そんなに難しいこと考えてるのか」
「だからあまり詮索しないでください」
「ねえ、死にそうなくらい考え事してるところ悪いけど一個聞いといていい?」
「何ですか?」
「さっき顔近かったね。何で?」
「!?」

俺はコーヒーを吹き出しそうになった。堪えて噎せたらなまえさんが背中をさすってくれた。周りの座っていた赤の他人に、しかも小学生くらいの年の子にまで同情の目を向けられていたたまれない。

「さっきのことは忘れてくださいって、詮索するなって言ったじゃないですか!」
「若くん死にそうな顔してさっきのこと考えてるたの?」

俺としたことが……ついムキになって口を滑らせてしまった。疑問や質問をありのまま投げてかけてくる幼児のようななまえさんはこうなったら止められない。電話と化粧直しから早く戻ってきて下さいみょうじ母とみょうじ姉!

「若くんこっち見て」
「何ですか……!?」

みょうじ母と姉がいるであろう方を見て極力なまえさんを無視していると、頬をつかまれ女子とは思えないような力でなまえさんと向き合わされた。しかもゆっくりとなまえさんの顔が近付いてくる。その真っ直ぐな視線は俺の真意を探ろうとしているのか?

「なまえさん近いです。離れてください」
「いやだ」
「この奇行女め……!」
「あんまり言うとその減らず口塞ぐからね!」

つい黙ってしまった。さっきの俺のセリフを奪ってやたらとドヤ顔してるが、こいつ意味分かってないだろ。
俺がさっき熱くなりすぎていたとはいえ、本気だったのに。どんな気持ちでいたかも知らないで、本当に勝手な人だ。そして、俺も勝手に期待してしまっている。

「ん〜」

近い。もう首を傾けるだけでくっつきそうなくらいだ。こんなに近付いてからこの人とは向こう1ヶ月会えなくなるなと突然思う。抱きしめた時にもそう思った。
寂しくなるのは触れるくらい近くにいるときと触れられないくらい遠くにいるときだ。

……やっぱり俺は冷静ではなかった。

「なまえさん」
「うん?」
「じっと見つめて、何か分かりました?」
「若くんさっきコンタクトずれてよく見えなかったの?」
「……」
「うぐほぁ!」

またも未遂に終わった二度目は頭突きに様変わりしてなまえさんを直撃した。それなりの理性が残っていて手加減をすることはできたが、これは正直好きな人にする行為じゃない。やっておいて自分の額が痛むのも気にならないくらい、自分でも引いた。俺はそこで少し冷静になった。すっきりしたともいう。

「すみません。さすがにやりすぎました」
「めっちゃ痛い……今の動画に撮りたいくらい鮮やかだったぞ!」
「貴方の言う通りさっきはコンタクトがズレてました」
「じゃあどうして頭突き?」
「あまりに顔が近かったんでつい」
「まさか闘争本能?」
「……まあそういうことにしておきます」
「パキケファロサウルス……」

今日の俺は本当にどうしようもない。どうやっても好きなくせに嫌いになりたいとか口走ったのと同じで、こうして嘘を吐きながら『二度目』を完遂させれば良かったと思ってる。それなのに、本心を知られるくらいならこんな訳の分からん恐竜の名前を出されて、その仲間か何かと思われておく方がマシだ、ともっと訳の分からないことも考えている。
今日は朝からずっと、俺の中の2つの本音と建前が花畑で手と手を取り合って踊りまわっている感じだ。

「なまえさん、一つお願いしてもいいですか」
「何?」

いい加減本音と建前に折り合いをつけないと情けないばかりだ。

「俺に頭突きをお願いします」
「……乾汁飲んだ?」

なまえさんは俺が持っていた空き缶を奪って中を覗いたり、缶と俺とを交互に見てキョロキョロしている。折り合いをつけるために何でこんなことを言い出したのか自分でも検討がつかない。つまり間違いなく俺はなまえさんの変な影響を受けている。

「ほら、遠慮せず一撃どうぞ」
「いやいやいや何を言ってるんだね!?」
「俺が頭突きを許すのは多分これっきりですよ」
「話に裏しかないだろうな……」
「別にやり返したりしませんよ」
「鳩尾にパンチじゃダメ?」
「……あんた復讐する気は満々じゃないですか」
「頭突きは私もダメージ受けるし。どっちにしろ人前で頭突きはちょっと……」

キスをねだるよりマシだろ、と言いたかったが俺はその言葉を飲み込んで腹にしまった。

「後輩の頼みを無碍にはできないのがなまえさんですよね?」
「いやまあそりゃそうだけど頭突きは斜め上すぎるよ」
「俺もいつも貴女から斜め上の攻撃を受けてますしするのかしないのか早くはっきりしろ」
「唐突にイライラし出すのやめてよね!あとしなかったらどうする?」
「貴女が部室に残したままのゲームが全てゲオに並ぶ」
「くうう!せめて戦国BASARA3宴は持って帰れば良かった!……分かった!背に腹は変えられぬ!」

腹を決めたらしいなまえさんは少し上半身を仰け反らせる。おもちゃのようにカクカクしていて思わず吹き出しそうになる。

「言っときますけど、本気で来てくださいよ」
「言っときますけど、多分めちゃ痛いですよ」
「どうぞ」
「じゃあ……もうなるようになれー!」

なまえさんがぎゅっと目を瞑ったのを確認して、迎え撃ってやろうと頭を少し傾けた。
が、特に痛みなどなかった。寧ろ額と額が触れ合っているだけでほとんど零距離ななまえさんだけが俺の視界に焼き付いた。

「……」
「ん?ん?」
「本気で来いって言いましたよね」
「本気で行ったよ」
「それなら俺は今頃頭をさすってるはずなんですがね」
「ごめん途中で怖じ気づいたっていうか、今日私あんまり冷静じゃないかも」

てっきり『頭突きしろなんて言うから冷静じゃなくなった』と言うものだと思っていた。

「今日若くんが来たって知ったあたりから冷静じゃなかったみたい」

結局頭上から送られてくる冷風と130円の付け焼き刃みたいなコーヒーも無駄だった。
公衆の面前で額をつき合わせた事の重大さにも、本当は二人で互いを振り回していたのにも気付かないくらい、俺となまえさんは冷静じゃなかった。

2016.11.19

恋愛要素(頭突)

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