右端ピアノはふくろう男爵
私におまかせ親切男爵
反対ピアノは子猫の子爵
私は気ままに退屈子爵
お隣ピアノはカエルの伯爵
私はお急ぎ足早伯爵
反対ピアノは妖精侯爵
私は飛べない嘘つき侯爵
真ん中ピアノはメロウの公爵
私に触るな気高い公爵


この学校の音楽室の歌である。学校中をうろつく霊の話によれば、この音楽室には中世ヨーロッパの階級社会が根強く残っているらしい。
それも音楽室内にいる5台のピアノに意思があるからなのだとか。ただでさえ時間の流れが遅く感じる城の中で一際遅いのがここだ。
特にメロウの公爵こと音楽室の中心のピアノは厄介だ。自分に近付こうものなら教師だろうが威嚇してくる。無理に弾こうものなら鍵盤蓋を落として指に直接攻撃を仕掛けてくるのだ。
水中人が作ったこの素晴らしいピアノは音だけでなくプライドも一級品だった。
才能がある者が敬意を払って初めて弾けるというこのピアノは、一切触らせてくれないのだ。

今日もあの公爵ピアノを弾いてやれ、とピアノの前に座っている人がいた。
ほっといてもいいが悲鳴は聞くに耐えないから俺はやめさせることにした。

「やめておいた方がいいんじゃないですか?」
「うん?」
「昨日は一人飲み込まれてましたから」
「えっ、マジで?」
「本当ですよ」
「うわぁそういうことするのどうかと思うよ」

呑気にピアノに話しかける彼女はハッフルパフの制服に身を包んでいる。彼女は負傷者を幾人も世に送り出したピアノを恐れてすらいないみたいだ。
実際口だけじゃなく、ガタガタ揺れ始めたピアノがふっ飛ばした楽譜を避けた。
俺はその楽譜を受け止めて彼女に返す。もちろん楽譜はナイフ並みの切れ味のようだったから魔法で受け止めた。

「すごいすごい!よくあのナイフみたいな楽譜を受けられたね!その魔法教えてほしいな」

『傷つけてよく減点されちゃう』と彼女は壁を指す。壁にやたらと傷があるのはこのせいか。

「何も使わず避けた貴方もすごいですが」
「攻撃パターンが単純なんだもん、慣れるよ。変奏の概念がないんかね。ピアノのくせに」
「ピアノが怒りで震えてますよ」

こんなにご立腹のピアノを見たことがない。この小さな社交界の頂点をここまで怒らせる失礼な女も見たことがないが。

「水中人と同じで敬意を払わなければいけないんじゃないんですか?俺はそう聞いてますけど。」

「敬意を払う?」
 
この気難しい貴族と付き合うための正攻法を聞いた彼女は信じられないといった風だ。寧ろ吹き出している。

「水中人には敬意を払うの当然だと思うよ?
でもこんな山猿のボスみたいなのに?敬意を払うって?」

鍵盤蓋が落ちてきたのを華麗にかわして、彼女はピアノの手荒な行為を咎めるのだった。軽くコントの領域だ。

「そういうのを傲慢だって言うんだよ!そんなことしてたら今に弾いてくれる人がいなくなるぞ!ピアノとしてそれでいいの!?どうなの!?」

一度落ちてきた鍵盤蓋開いて、一人でにピアノが曲を奏で出す…のだが、一つ一つの音は美しくてもお世辞には上手いとは言いづらい出来であった。

「…ピアノのくせにあんまり上手じゃないね」

ピアノは癇癪を起こしたのかまるで陸上で聞く水中人のような聞くに耐えない音を出し始める。
小さな社交界の貴族たちは一斉に屋根を畳みはじめるのだった。

「分かった分かった。ほら、私が弾くから落ち着いてよ」

そう彼女が言うと、ピアノはおとなしくなった。先生の言うことすら聞かないのに、彼女の言うことは聞くらしい。

「貴方も良かったら聴いていく?」
「え…ああ、はい」
「じゃあ、そこに座って。本当はバタービール代でもせしめるところだけど特別に無料でS席にご招待!」
「金取る気だったのか…」
「今日は珍しく観客がいるから、ちょっとテンション上がるね?」

今日は、ということはやはり彼女はこのピアノを既に弾いたことがあるらしい。これを作った水中人にしか弾けなかったピアノを聴くという奇跡の時間が突然俺に降り掛かってくる。

「君、名前は?」
「日吉若です」
「日吉くんね。私はなまえ、みょうじなまえ。
これから何が起こるか分かんないからそこだけ自己責任ね」
「…は?」
「因みにこの前『革命のエチュード』っていうマグルの有名な曲弾いたらここで革命が勃発したから」

思い出した。確か一週間前にこの音楽室の一部の楽器が暴動を起こしたのだ。聞いた話によると音楽室の貴族であるピアノとその他の楽器が争いを始めたという。先週一週間死ぬほど煩くて一時この辺りは立ち入り禁止になった。

「それあんたらの仕業だったのか…!?」
「今日は…そうだな」
「ちょっと待っ…」

俺が止める前に、彼女…みょうじさんはピアノを弾き始めた。弾き始めてしまったのだが、恐れなんてすぐに失われる。
それぐらい、ピアノの音が美しい。真珠のようには零れ落ちて消えていくようだった。ピアノだけじゃない、それを弾く彼女もまた弾きこなしている。

恐らく、水の曲。
光を反射して燦めく水面。
そして、水面へと登っている弾ける泡。

その泡が、見える。

「はっ…」

音楽室は既に水の中だ。俺が呼吸をしようとすると、息は泡になって水面に登っていく。しかし全く苦しくない。

音楽室を満たす水とそこに窓から差し込む光。 それと呼吸をするときの泡。まるで自分が水になったみたいだ。
あまりの美しさに、息…ではなく水を飲む。






「ったく…本当に何で俺まで…」
「ごめんね、えっと誰くんだっけ?ピヨシくん?」
「日吉です。だいたい、謝る前に命の恩人に礼でも言ったらどうです?」
「日吉様がいなければ死んでいました!ありがとうございました!」

演奏中、俺は先日習ったばかりの泡頭呪文を使用するはめになった。魔法使いは切羽詰まればなんだってできる。水中でも呼吸できたが問題はみょうじさんだ。この人は自分は呼吸できない空間で演奏を続行した。俺はこの人を助けるために咄嗟に泡頭呪文を使った。魔法使いは追い詰められるとなんでも出来る。
しかも俺はびしょびしょになった音楽室の片付けを手伝わされている。なぜここまでしているんだ。

「実は…ピアノを弾いている間は私魔法が使えないんだ…しかも自分のことすらままならなくて。まさか噴水の曲でこんな風になるとは」
「はぁ…正確には、魔法をもう使ってるんですよね。多分そこのピアノがさしずめ大きな杖のようなもので」
「おーすごいすごい!よく分かったね!普通は床が水浸しになるくらいなんだけど」
「こんなスケールの大きいアグアメンディを校内で拝めるとは思いませんでした」
「あっ日吉くんついでに私も乾かして!」

楽器を乾かしている俺の所に律儀に他の楽器と一緒に並ぶ。こいつ…本当に変わった奴だ。

「確かに貴方の演奏は素晴らしかったです。ですが…現に死にかけたし、そこまでやる必要あるんですか?別にあのピアノを弾く必要はないでしょう」

俺はみょうじさんの髪を乾かしながら文句を言う。みょうじさんは俺のローブを乾かしながら、特に俺の言葉で考え直した風でもなく、答える。

「でもさ、ピアノって誰かが弾かないとピアノじゃないじゃん…もちろん、あのピアノは自分たちで弾くこともできるけど。あのピアノも本当は弾いてくれるのを待ってるんだよ」
「…」
「だから、私に触らせてくれるし、私だってピアノを弾きたいし」

考えていないようで、考えている。
別に自分が命がけでも彼女には関係がないのだ。ただ、弾きたいだけ。
だからこそピアノもそれを感じ取って弾くのを許してくれるのだ。

「あとピアノが自分で弾くと下手くそなんだよね。練習してないから…うわぁあまたそんな態度を取る!」

ピアノから楽譜が飛んできた。俺は凶器と化した紙をもう一度止める。
俺の勘違いかもしれない…こいつらはただ学習能力のないただのバカなのかもしれない。

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