「起きて」
早朝まだ日も昇っていないのに叩き起こされた。まどろむ目をこすって無理やり開かせると、仄暗い中でもよく映える二つの瞳が俺をじっと見つめていた。
「出かけてくるから髪のセットお願い」
「は?こんな朝早くから出かけるって昨日の夜に何で言わへんかったんや」
非難めいた視線になまえは気付いたらしい。手を合わせて申し訳なさそうに言った。
「ごめん、朝早く起こしちゃってさ」
俺はなまえにはどうしても甘くなる。それは自分でも自覚している。それは普段は俺のワガママに付きあわせていることへの償いかもしれないが。愛らしさに中てられて渋々ベッドから抜け出すとなまえは途端に表情を明るくした。
「今日は天気が悪いかもなぁ」
いつもはなまえのサラサラ手触りの良い髪も今日は少しふくらんでいる。下手な天気予報よりなまえの髪をいじってるほうが天気予報になるんじゃないかと思う。外は確かに物憂げな灰色で覆われていた。

「白石くんは器用だし本当に上手だもんね」
「人の気も知らずによく言うわ。俺はキミの専属美容師じゃないねんで。俺は…」
「お礼はいつものクッキーね。帰りに買ってくる」
たかがクッキーで俺を手玉に取ったつもりなのだろうか。そんなら他のしてくれ、という言葉はなまえの耳には届かなかった。
なまえは鏡の中の自分と目を合わせている。

「今日はハーフアップにしよか」
なまえはヘアセットは全て俺に丸投げ。最初のうちはあーしろこーしろとうるさかったが俺は無視して自分好みのスタイルに仕上げていた。なまえは不満ばかり言っていたものの、いつしか苦笑いで済ますようになっていった。そうすると、形容しがたい程の優越感や愛おしさに浸れる。宝物

「あ。あのね、白石くん」
俺が取り掛かるのを察知したのか、なまえが再度口を開いた。
「私、今日はサイドポニーにしてほしいの」
「は?」
俺の威圧するような返事はやはりなまえに無視された。
「俺、それあんま好きやないんだけど」
なまえからの返答はない。
そもそも今日はこんな朝早くから出かけるのも考えてみればおかしい。なまえは出かけるにも誰かと一緒に出掛けるのが常だ。そのほとんどが俺であるのも、俺が一番知っている。
「…もしかして、なまえ。今日1人で…アイツに会いに行くん?」
なまえの髪に手櫛を通して、それから耳にそっと触れる。生きているのが不思議なくらい冷たい。
小さな体が微かに震える。鏡越しに覗くとその表情はどこか怯えてるようにも見て取れる。視線はただ自分に向けているようだ。

数年前だ。他でもないなまえと貝殻から聴こえるさざ波の話をした。友人からの受け売りであれは耳の器官を流れる血潮なんだと噛み砕いて説明したらなまえは心底怒った。そんな真面目な解答は求めてない、夢がないと。
『あれってさ、貝が死ぬ間際に、永遠に世界に残るために大好きな海の音を閉じ込めておいたから、聴こえるんだって』
『だったら人間は可哀相やな』
『どうして?』
『貝は海を想っているのに、人間はさも当然のように貝殻を自分の
物だーって扱うやろ?美しく磨いて、宝箱に仕舞い込んで。まあ貝殻も人間がおらへんと世界に美しく残れないんやろけどな。せやけど人間の方は結構悲しい片想いやな思て』
『…何だ。結構ロマンチックな発想できるんだね』
『俺は元々ロマンチックやで!』


「せや。なまえは俺のものやないのか」
なまえはこの先、自分の中にアイツだけを閉じ込めて、ひどく冷たいまま世界に残されるわけだ。ただなまえは無機の殻でできてるわけじゃない。
「今日はハーフアップにしようか」
なまえは苦笑した。
二人で優しさにあてられて生きていこうじゃないか。
いつか、俺の物になるまで。

2015.03.07
色んな要素をヒロインに詰め込みすぎて収集が付かなく
なった一作。ヒロインの設定を先に考えて話の大筋を書き出して「これ相手は割と誰でもよくないか…」と思っていた矢先にgo to the topで白石をクリアしたので白石に。
貝殻の話はひどい捏造です。もう書いてて恥ずかしくなりました。

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