強がりJuly

 梅雨が明けて、夏の陽射しが厳しい季節になった。
 風邪をひいた弱った姿を見せてしまってからというもの、消太は以前より少し、私の食事と睡眠と残業について気を使うようになって、けれどそれをあまり言葉で注意はしてこない。
 今日は、涼しくて快適なコーヒーショップの窓際の席で、期間限定の桃フラペチーノをお供に、アンガーマネジメントのテキストを眺めていた。
 有意義な休日の午前。普段から勉強の時間を作るようにしているのだけれど、たまに外に出た方が集中できる日ってのがあるのだ。
 個性のせいで就職に困ったり、大人になっても個性のコントロールがうまくいかない人の多数は、精神に疾患を抱えている。汎用な個性に比べてストレスが大きいから無理もない。多種多様な悩みをどうすれば少しでも軽くできるのか、知識は無限に必要だ。
 ぺらりとページをめくったついでに、手がフラペチーノへ伸びて、ちゅうっとストローを吸いながら、ふと目線を上げた。ガラス一枚隔てた向こう側は、目に痛いほど太陽が照り付けて、誰もが目を細めて汗をかきながら歩いている。
 その中で、向こうの通りにいる、異質な真っ黒の存在に目を奪われた。消太だ。
 他のヒーロー数人と集まって、道の脇で何やら話をしている。さすがに暑いのか、袖をまくり、黒髪を無造作にひとつに束ねて、ツナギのファスナーを半分くらい開けて、首に巻いていた布は腕にかけている。ほとんど真っ黒な上に、無精髭で三白眼。私は彼がヒーローだと知っているからいいものの、いかにもヒーローらしい人の輪の中にいると一人だけ異質で、職質を受けているように見えて面白い。
 にやにやと窓の向こうを見つめていると、消太は首を回して周囲に視線を巡らせ、その通り過ぎざま、一瞬、目が合った気がした。この距離だから定かではない。
 私に注視することなく、消太は仕事中のキリッとした顔を崩さずに何やら駅の方向を指差して、首を振ったり頷いたりしていた。それから、ヒーローたちは散り散りになって、見える範囲からは消えてしまった。
 太陽を燦々と浴びて働く消太は、勉強の息抜きにちょうどいいエンタメだった。私はまたテキストに視線を戻して、縦に並ぶ文字を追う。
 ゆっくりと味わっていたフラペチーノが、吸ってもズズズと鳴くだけになった頃。丁度区切りのいいところまできたテキストを閉じて、ぎゅっと目を閉じてうーんと伸びをする。
 さて、少しお昼を過ぎてしまったけれど、ここでスコーンを食べようか。それとも少し歩いて体を動かしてベーカリーのパンでも買って帰ろうか。とりあえずフラペチーノのカップを捨てて、席に戻って本をカバンにしまっていると、視界の端が黒で陰った。顔を上げて見たのはガラスの向こう。遠目じゃなくすぐ目の前で、汗ばんだ消太がぬぼうっと私を見下ろしていた。
「わぁ」
 近くで見ても不審者みが強くて、笑ってしまう。ひらひらと笑顔で手を振ってみると、消太はちょいちょい、と小さく手招きをした。
 なんだろう。用事があるのかな? とりあえず、それならスコーンはやめね。
 私は迷わず席を立ち、出入り口へと向かう。消太も、その方向へ歩き出したのが見えた。
「お疲れさま。やっぱり気付いてたのね。ねぇ、夏にその格好は暑くない?」
 店内から一歩外に出ただけで、うだるような熱気にうっとなる。消太の肌を覆う黒いコスチュームは、見てる方まで暑い。絶対に夏は変えるべき。
「……暑くない」
「あははっ、嘘つき」
 謎の強がり言ってるそばから、こめかみを汗が流れましたけど。消太は変なところで意地っ張りだな。
「おまえは肌出しすぎじゃないのか」
「私の格好はどうでもいいでしょ」
「俺の格好こそどうでもいいだろ。それより、この男を今日この辺りで見なかったか?」
 さっと向けられた端末の画面。そこには、大柄でコワモテな、いかにもという感じの男が写っていた。
「うーん、ごめん。見てないや。ほとんど本を読んでたから……力になれなくてごめんね」
「いや、いいんだ」
 消太は端末をポケットに入れて、その手で、ふう、とお腹のあたりの布を摘んでぱふぱふと服の中に風を送り込もうとしている。
 やっぱり暑いんじゃん。表情だけ涼しげなのは、どうやってコントロールしているの。
「ここで昼を食べたのか」
 まだ事情聴取は続いているのか、消太はちらりと店内に目を向け、ポケットに両手を突っ込んだ。
「お昼はまだ。フラペチーノ飲んでただけ」
「そうか……」
 食事もしてたら何だったんだろう。この店が捜査中の男と何か関係があるのだろうか。あ、もしスコーンを食べていたら、お菓子みたいなものじゃなくて野菜を食べなさいとか言われるところだったかもしれない。
「今、休憩なんだ。その……どこか、食べに行かないか」
「ん。休憩なの?」
 聞き間違いでなければ、食事に誘われた? さっきの会話は捜査と関係ないということかな。消太は手でパタパタと顔を仰いで、ふいっと視線を交差点の雑踏に向けた。
 単純にご飯に誘われてたみたいだけれど、意外すぎて返答にラグが発生してしまう。
「あぁ。他に用があるなら無理に付き合えとは言わないが」
 消太は気まずそうに眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。
「いいよ。ハンバーガー? 牛丼? ラーメン?」
 すぐこの周辺にある無難な提案をしてみる。おしゃれなカフェに行きたいと言い出したらどうしよう。似合わなさを想像するだけで笑えてくる。
「おまえの好きなとこでいい」
「え? 行きたいところあったんじゃないの?」
「いや、あぁ、ハンバーガーにする」
 なにそれ。無計画で面白い。消太も、疲れたりすると人と話したくなったりするのかもしれない。一人で食べるご飯は、仕事の事やお悩みに頭を持っていかれて、なんとなく味気ないものだから。それか、暑くなければコンビニで買ってベンチで済ませていたけれど、涼しい店に避難したくなったのかもしれない。お一人様が苦手なタイプなのかもしれない。勝手な妄想にニヤニヤしながら、なにはともあれ付き合ってさしあげましょう。
「じゃあハンバーガー、行きますか!」
 消太は暑さで僅かに色付いた頬をふっと緩めて、歩き始めた私についてくる。
 すぐ近くにあるお店だから、外を歩く距離も少なくて済んだ。全国にチェーン展開している、誰もが知るファーストフードの代名詞。どこにでもある見慣れたロゴマークを横目に自動ドアをくぐると、快適な室温と溌剌とした声が私たちの来店を歓迎してくれた。
 注文カウンターは四個の窓口全部に店員さんが立っていて、お昼時の混雑に対応している。ちょうど二つが同時に空いたので、私はカウンターへと進み、メニュー表の上で視線を迷わせた。
「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか? 店内でお召し上がりですか?」
「店内で。えーと、このセット一つ、アイスコーヒーでお願いします」
 フラペチーノを飲んでしまったから、少し小さめのバーガーのセットを指差して、けどやっぱりポテトは食べたくてセットにしてしまった。以上でよろしいですか、の声に、はい、の「は」まで出たときに、横からぬっと太い腕が伸びてダブルなんちゃらって大きなハンバーガーを指差した。
「このセットと単品でこれと、あとナゲット」
「あれ」
「……ドリンクはLにしてください」
 消太はてっきり隣のレジで注文するかと思ったのに。二度目の、以上でよろしいですか、に、消太がはいと返事をした。
「俺が払うよ」
「え」
 消太は、私が断る前にスマホの電子決済で一瞬にして支払いを済ませてしまった。
「なんで? いいよそういうの。私普通に払えるから」
「いや、べつにこれくらい」
 隣の受け取り窓口に移動しながら、財布から五百円玉を取り出した。なのに消太は手のひらを私に向けて受取拒否の態度。
「そういうの、対等じゃなくて嫌かも」
「は?」
 おまたせしましたー、の声と共に、トレーを受け取る。ハンバーガー二個にLサイズのドリンク、ナゲットもポテトも乗せたトレーを両手で持った消太のポケットに、ポトンとコインを入れて、私も自分のトレーを受け取った。
「理由もなく奢るのは、彼女にしたいなぁって子にやってくださーい」
 ぐぬ、となぜか悔しそうな消太と、空いてる席で向かい合って座る。
 だって嫌なんだもの。何かを受け取ったら、何かを返さなきゃいけない。私は消太から何かを受け取れるような貸しを作った覚えはない。消太がシたい時にセックスさせてあげる、わけじゃない。私たちは、お互いしたい時にしたいようにする、そういうウィンウィンで対等な関係のはずだ。
「このくらいの金額で、気にすることないだろ」
 消太は不満そうに言いながら、ハンバーガーの包みを開いて、がぶりと大きな口で噛みついた。
 気にするに決まってる。セフレの線引きが曖昧になったら、どんどん関係が崩れて、恋人みたいな態度になられたら、困るんだもの。
 困る。ううん。そうなってきたら、この関係を切ればいいだけ。なのに何が困るんだろう。これじゃあまるで、私が、お別れを嫌がってるみたいな――。
「お金のことは、私が、気にするんだもん」
「……そうか」
 消太は奢る奢らないの対立を諦めたようで、すんとクールな顔して、食事に集中し始めた。
 アイスコーヒーをちゅうとすすれば、冷たくて苦い液体が私の喉を通り過ぎて胃に落ちる。ポテトを一本もぐもぐしながら、目の前の消太を見つめる。
 大きく開けた口が、パティが二つも入った分厚いハンバーガーを嘘みたいにあっさり消していく。むき出した首の、ちょっと汗ばんだ肌は、冷房に当てられてさっきよりも火照りが落ち着いてきたみたい。熱中症になりそうだからその格好は夏は考え直した方がいい。ヒーロー活動に必要なのかもしれないから、私が口を出せたことではないけれど。
 お腹の中がもやもやした。消太はヒーローだから、私を好きにならないから、完璧な関係のはずだ。そういうのを、自分に言い聞かせているみたいな、頑なにその線を守りたいのは私かのような、よくわからない違和感が、あるような無いような。これだけの期間関係を続けていれば、流石に愛着を抱くのは仕方ない。消太のセックスは気持ちがいいから。でも、この、消太の新しい一面にワクワクするような感覚はどこからくるのだろう。
 うん。よくわからない事を考えるのはやめよう。
 だって今は休日の素敵なランチライム。私はお金を払ったし、もう、それでいいじゃないか。
「どうした。あんまり見られてると食べづらい」
 怪訝そうな目が私に向く。頭の上に疑問符を浮かべた彼は少し可愛くて、笑みが溢れる。
「ふふ。育ち盛りみたいで可愛いなぁって思ってさ」
 消太は、一個めのハンバーガーの最後をぽんと口に入れて、可愛いに対して不服そうな顔をした。
 もぐもぐと頬を膨らませて咀嚼する顔が、今日は髪を束ねているおかげでよく見える。
 唇の端についたソースを取ってあげたくなったけど、私の指は我慢してポテトを摘んだ。

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