温めてJanuary


 年が明けて、年末年始のお休みはあっという間に過ぎ去った。
「あれ、ミョウジさん、今日は肉まんじゃないんだ?」
 仕事終わり。同期の夏深くんは、コンビニでやってるくじが引きたいとかって子どもみたいな事を言いながら、私の夕食調達へとついてきた。いつもなら一人で歩く道を二人で歩くのは、寂しげな冬を緩和してくれる。
「うん。今日は焼き鳥気分だったの」
 焼き鳥と缶酎ハイ三種と朝ごはん用のインスタント味噌汁をぽいぽいカゴに入れるのを見て、彼は悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべた。
「カゴの中身が中年オヤジ」
「そっちこそ。同じようなもんじゃん」
 趣味が合いますねぇ、なんてわざとらしく宣ってレジの列に並ぶ彼のカゴには、裂きイカとビール。クスリと笑ってしまうくらい、お互いに色気もへったくれもない。
 私は先に会計を済ませ、勇んでくじを引く彼の戦績を待ちながら、ふと、引きこもっていた正月で増加した体重について思いを馳せた。酎ハイは一本にするべきだったかもしれない。いや、購入はしたとて飲まなければいいのだけど、冷蔵庫に入っているのに耐えられるだろうか。今日は残業まで頑張ったから二本は許して。
 どの味の酎ハイを飲むか考えながらコンビニ袋の中を見ていると、夏深くんはシュンとした顔で隣にやってきた。くじで目当てが当てられなかったらしい。レシートを確認してくしゃりと丸めた彼は、あーあ、とため息を吐く。
「なぁ〜、たまにはさ、オシャレなワインバーとかどう?」
 あまりに唐突な提案に吹き出してしまった。この色気のない趣味の二人でワインバーとは、あまりにミスマッチでギャグみたい。
「いい店知ってるんですけどー」
「んー、ワインねぇ」
 おしゃれさのカケラもないアイテムが入った袋をぶら下げて、二人仲良くコンビニから出る。吸い込んだ冷気と脳内のワインが融合して、ホットワインが飲みたい気分になってきた。その魅力に揺らぐ私を現実に引き戻すように、ポケットの中でスマホが震える。
「どうかなぁ。うーん」
 おざなりな相槌を打ちつつ着信を確認すると、それは消太からだった。『後で行く』と一言だけのシンプルなメッセージ。連絡先消すって言ってたくせに、消してないじゃん。
「ワイン好きじゃなけりゃ、イメージでカクテル作ってくれるバーとかさ」
 くじで惨敗して憂さ晴らしをしたい気持ちもわかるけど、ごめんね夏深くん。私には飲むより効果的なストレス発散法があるのです。私はささっと親指を画面に滑らせて、『後で行く』に対して『了解』と二文字だけの返信をした。
「お誘いありがとー。けど私は帰って、睡眠メソッドを自分で検証しまーす」
「寝るだけじゃん!」
 笑いながら、おつかれ、と手を振って反対方向へ歩き出す。コツコツとアスファルトに鳴るパンプスは仕事終わりの脱力と、暖かい期待を同時に抱えている。
 消太と私は、たぶんセフレになった。
 初めてシたあの日、朝になると消太はいなくて、リビングの宴の跡もすっかり消えていた。まさか片付けてくれたのかとキッチンを確認すると、お皿もコップも鍋も、シンクで水に浸かっていた。洗わない、けど放置もしない。無理のない気遣いのさじ加減。それは、全て綺麗に洗われてるよりずっと心地いい。
 そして、その数日後、突然に私の部屋を訪ねてきた彼と、もう一度体を重ねた。お酒の過ち、一度きりの関係、じゃなかった。アルコールの力を借りない素面のセックスで、やはり、すっごく相性が良いと実感してしまった。ノンストレスのセックスは中毒性があるから、消太が連絡先を消していなくて嬉しい。
 たぶんだけど、消太も、ハマっている。と思う。
 今日は、わざわざ連絡を寄越したということは、ヤる気で来るんだろう。
 私の足は、家路を急ぐ。別に消太が来るのが楽しみで逸るんじゃない。
 団地の横を過ぎるタイミングで、やたらと早足になる。白い息を弾ませて、静かな路地にコンビニ袋のガサガサ音を響かせて。別に怖くもないけれど、そんなクセがついてしまった。
 団地を過ぎて角を曲がり、アパートが見えて足を緩めると、その、見慣れた外階段から、黒い影が降りてきた。
「あれ、消太」
「……お疲れ」
 消太は、近づいて行く私を見つけて、気まずそうに視線を逸らした。彼も、真っ白なコンビニ袋を手にぶら下げていた。
「待ってたの?」
「いや……うん」
 歯切れの悪い返事は、盛った気持ちを誤魔化したがっているみたいで少し可愛い。
「入って」
 ガチャリと鍵を開けて、二人で順番に靴を脱ぐ。消太が前回来た時に少し片付けてくれたおかげで、土間の混雑は以前より解消されていてスムーズだ。
 いつものように靴箱の上のトレーに鍵を置いて、そこにいた先客を思い出した。
「あ、鍵。そうだ、コレ持って行って」
 猫のキーホルダーの合鍵を、ちゃりんと見せてトレーに戻す。
 消太は、左右の眉の高さを変えて、お叱りを口の中に準備している。
「いやいや、誰にでも配ってませんから安心して」
「……いらないだろ」
 まるで恋人のような扱いはやめろ、とその目が言っている。けれども生憎、私は恋人に合鍵を渡したことがない。だって、勝手に私の時間に踏み込んできて居座って、俺に構ってと言われたら、面倒極まりないもの。
 その点において消太は別。恋人じゃないから、今日は無理と言えば来ないし、断るにも罪悪感がないし、埋め合わせなんて考えなくていい。
「今日みたいに外で待たせたら悪いし。それに、エッチの後は、眠い寒いでベッドから出たくないもん。消太が鍵して」
「なら、鍵かけたらポストに返すよ」
 コートを脱いで手を洗って、買ってきた晩餐をキッチンで出す。酎ハイ三本のうち二本は冷蔵庫で眠っていてもらうことにした。レンジで焼き鳥を温めて、さて、とテーブルに。消太はすでに、すき焼きの時と同じく、私の正面に座ってビールに口をつけていた。
 飲み食いしたけりゃ自分で用意。揃っていただきますをするルールもない。そういう気遣いのなさが、ちょうどよくて気が楽。
「えー、私がいない時に部屋片付けてって頼もうと思ったのに……」
「そっちが本命だろーが」
 消太はげんなりした顔で、まだ何か入った袋の中へと視線をやった。
 その目が、ちらりと私を伺って、床を見て、それから袋に戻り、何かを取り出す。私の焼き鳥の横に、ぽん、と見慣れた包みが置かれた。
「え……肉まん……?」
「ゴム買いに行ったら、たまたま……おまえそれ、前に食べてただろ」
 消太は視線を逸らしながら、ビールに口をつけた。とりあえず、ゴム買いに行った発言はスルーして、肉まんに手を伸ばす。それはまだ温かくて、ちょっとだけ懐かしい気がした。
「買ってきてくれたの?」
「別に……寒かったから、カイロのかわりだ」
 ふふ、と溢れる。きっと、本当に気まぐれに買ってきたのだろう。私が肉まんを買わなくなったことなんて、彼が気づいているはずもない。私が、合鍵とか言い出さなければ、もっと何でもない顔して渡すことができただろうに。
「食べるか、先にヤるか、どうする」
 わかりやすい照れ隠し。わざとぶっきらぼうに言って、消太はまたビールの缶を傾けた。
「食べる食べる。ありがとう」
「ん」
「かわりに焼き鳥あげるね」
 貰いっぱなしは嫌なので、焼き鳥のお皿を勧めておく。
 私は久しぶりの肉まんの包みを開けて、食べやすい温度になったそれにかぶりついた。庶民の舌に合うコンビニのクオリティは、期待を上回りも下回りもしない。
 しばらく買う気にならなかったけど、ちゃんと美味しくて、安心する味がした。新しいワインバーを教えてもらうより、肉まんの記憶が上書きされることのほうが、ずっとずっと嬉しい。
 消太は、はむはむと肉まんを食べる私を見ながら焼き鳥をあぐっと串から抜き取った。少し優しくて、けれどただ景色を眺めているだけのような瞳。きまぐれに餌をやった野良へ向けるような。
 ああ。猫のおやつを買う人だもの。
「ねぇ、消太って、猫飼ってる?」
 突然の話題に、消太は、ん? と眉を上げて、いや、と小さく首を振る。
「飼ってない」
「そうなんだ」
 やっぱり、そんな気がした。きっと野良猫用なんだ。消太は人を寄せ付けない雰囲気を醸しておいて、その実面倒見がよくてお世話好きなのだ。
 あの時の猫缶と、この肉まんは同じ意味だと合点がいく。
「ごちそうさまでした」
 ゆっくり味わった久しぶりの肉まん。一本だけに留められた缶チューハイ。
 それから私たちは、どちらともなく寝室へ移動して服を脱ぎ捨てた。
 特にイチャイチャなんてしない、愛を囁かない、溜まったものを発散するだけのインスタントなセックス。それなのに妙に充足感があるから不思議。
 消太が一度イくまでに何度か絶頂を乗り越えた私は、お腹も性欲も満たされて、ふぅと幸せの吐息をはきだした。うっとりとした疲労感が瞼に降りてくるのを感じながら、素肌に触れるシーツの滑らかさを楽しむ。この微睡みの時間が好き。
 消太は、事が終わると手際よくゴムを処理して、のろのろと服を着て、「帰る」と宣言して寝室を出て行った。
 バイバイのキスとかはしない。「おつかれ」とスマホを見ながら返事をしても、拗ねたりしない。俺が帰るの寂しくないの、とか聞いてこない。
 律儀に空き缶をゴミ箱に捨ててる音がして、それから玄関のドアが開いて閉じる。
 私がベッドから出なくても、ガチャリと施錠がなされる。
 続いて聞こえるはずの、ポストに金属の落ちる音は、結局しないまま。消太の薄弱な気配は遠ざかって消えた。
 私は、よく眠れそうな予感に心を弾ませながら、期待たっぷりに夢へと漕ぎ出した。

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