光と手

 冷静になってみれば、彼がラジオであの花火のエピソードを出したのは、とても丁度良かったから、というだけかもしれないと思えてきた。
 雄英高校でヒーローになるための勉強と訓練に明け暮れた日々で、夏の思い出と言われても。プロヒーローになってからももちろん。インターンがどうのとか、任務の話は出来ないし、遠くの事務所に行ってご当地グルメを堪能したなんて話も、真面目にやれ、と非難されるリスクが無いとも言い切れない。
 それにプロヒーローになってからも、夏は確かにいくつものイベントで司会やゲストとして活躍しているけど、特定のイベントを取り上げて話すのも憚られるのだろう。ステマだ贔屓だって印象になったらアレだもの。
 ラジオ番組で話す思い出話だからこそ、高校でのラジオの経験について、その中で聞き手の興味を引くエピソードを仕立てようと思ったら、ほら、花火の録音をしたなんて、ぴったりじゃないか。
 昨夜――今朝までのラジオ放送第二回ももちろん聴いた。全く違う話題でありながら、山田くんの声を聞くだけで先週の昂りが蘇り、懐古が胸を締め付けた。彼が花火の話題を出したことに他意はない。冷静の皮を被った落ち着かない論理で自分を鎮めながら、私は、雄英高校の最寄り駅で電車を降りた。
 夏の夕暮れの匂いがする。
 縁日はとっくに始まっている時間。浴衣の人もちらほらと駅の近くを歩いている。
 花火まで時間はあるけれど、あの場所へ行くなら少し急がなくてはいけない。けれど、記憶とはだいぶ違ってしまった通学路にいちいち目を奪われてしまう。
 あの頃、新しく出来たクレープ屋さんがもう無い。山田くんに、忙しくて俺食べに行けないから食べて感想を教えて、と言われて並んだのにな。
 あ、でもスポーツ用品店はまだある。お店から出てきた山田くんとばったり出くわして、テーピング買ってたんだ、って話しかけてくれたのに、周りに人がいすぎて逃げてしまった申し訳なさを思い出す。
 縁日の、神社があるのはもう少し向こう。私は結局三年間一度も行かなかった。夏のそよ風に乗って、焼き鳥や焼きそばのいい匂いが漂ってくる。
 あの日と同じだ。なんだか胸がいっぱいで、お腹が空かない。
 更に向こう、坂道を登って行く途中で確か細い脇道に入ったんだ。
 記憶より少し登ってもそれらしき脇道が見つからなくて不安になり始めた時、ようやく、あの頃より少しアスファルトがボコボコになった道を見つけた。
 スマホのライトを点けて、鬱蒼とした道へ踏み込む。ここはまだ、自転車に乗ってきた。そして、砂利になったここで降りて、山田くんの背中を追いかけて歩いて――。
 花火の音が聞こえ始めた。あぁ、木の隙間から、鮮やかな光が差し込んでくる。ここだ。
 突然に木々が晴れ、夜空に咲く大輪と遠くまで敷き詰められた街明かりが視界を埋め尽くす。ああ。たどり着いた。階段状の土留のてっぺん、目下には道路。
 眩い光が空を照らしては散ってゆく。お腹に響く大きな音も、肌にそよぐ土と草の香りも、あの日と同じ。
「ミョウジサン……?」
 懐かしすぎて幻聴が聞こえてきた。ここまでくると笑えてしまう。ラジオの聴きすぎでこんな鮮明な幻聴が……。
「ヘイ! 俺! こっち!」
 やけにはっきりとしたその声に、夜空を見上げていた目線を下ろす。
 土留の階段の行き着く先、山を削って作られた道路に停まる、ありふれた国産車。その横で見慣れない金髪ロン毛の、丸メガネの、私とは縁の遠そうなスタイリッシュな佇まいの男性が手を振っている。
 見上げてくる彼の姿。どきりとした心臓の高鳴り。なぜか脳裏によぎる、春の屋上。
「ミョウジサン! マジ?! わかんねーの?! 山田ひざしですけどー!」
 は? え?
 声は確かにそうだけど、山田くん、え、山田くん?
 彼は車を離れ、一段の大きな土留の階段をヨイショと登ってくる。髪を上げている姿しか知らなくてピンとこなかったけど、近づくにつれてわかった。あの髭、そして、綺麗なグリーンの瞳が。
 花火が、その背中を押すように照らしている。
 驚きすぎると人は言葉を失うというけれど、私は最初から言葉を失ってるのに尚そう思ったんだから、もうその驚きといったらつまり言葉を失うほどのもので。
 見れば見るほど山田くんだ。大きな口で歯を見せて笑うその顔は、高校の時と変わらない。ぶわり、全身鳥肌が立って、両手で口を覆う。
「ここにいるんだから、忘れたってわきゃねェよな?」
 目の前で首を傾げる彼は、確かに山田くんだ。生身の。そして、生声だ。数年ぶりの。
「久しぶり」
 こくりと頷く。
「元気だった?」
 こくりと頷く。
「俺の声届いてるー?」
 こくりと、頷く。
 山田くんはハハハと声を上げて笑った。花火の事なんて頭から吹き飛んで、色とりどりの光を受けて煌めく山田くんの瞳から、目が離せない。
 フィナーレの連発が派手に夜空を彩っているのに、それも全て山田くんの背景にすぎない。ようやく追いついてきた感情が荒ぶって涙になる。
「終わっちゃったなァ」
 ふいと空を眺める山田くんにつられて、花火の硝煙のただよう夜空へ視線を向けた。私が見れたのは終了の号砲だけ。
「ココ、降りれそ? せっかく会えたから、送らせて」
 まだ現実に降り立っていない私は、ふわふわした頭で頷いた。
「ハイ」
 差し出された手に、何も考えずに手を重ねる。暖かく、たくましい指が私の体重をいくらか支えてくれる。土留の段をひとつひとつ降りて、道路にストンと降り立った頃、私はようやくプレゼント・マイクと手を繋いでいるという事実を飲み込んで、顔が真っ赤になっていた。
「嫌じゃなかったら乗って! 俺はも少しお話したいケド、どう?」
 話をしたい。私も。
 この奇跡みたいな再会が、夢じゃないことを確かめるために。

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