繋がるDecember U

 今日の私の好調ぶりといったら、自分で言うのもなんだけど天才すぎた。自分が午前中にこなすべき仕事はテキパキと片付けて、トラブルに対応して担当案件の進まない夏深《かふか》くんのヘルプをして。タスクを一つクリアするたびにギアが上がって、ミスのひとつもしていない自信があるくらい。忙しさに比例する充実感が自己肯定感を潤して、誇らしい気分で昼休憩に入った。
「助かりました。昼飯は奢らせてください」
 げんなりお疲れの夏深くんに、奢ってもらうのもしかるべき。そう思える程度には大活躍だった。
「じゃあ牛丼で」
「またそんなのでいいの?」
「いいの!」
 私たちの間では、こういう場合は牛丼かハンバーガーと決まっている。
 色気のない選択は、もちろんわざとだ。自意識過剰かもしれないけれど、彼は多分、私を気に入ってくれている。でも、職場で恋愛なんて面倒すぎる。だから、彼とおしゃれなカフェとかは絶対に行かないし、奢り奢られはワンコインまで。アウトオブ眼中の態度を取りつつ、けれど同僚としては良好な関係のラインを保ち続けたいのだ。
 二人で牛丼屋を目指していたところで、横断歩道の向こうに見覚えのあるボサボサ頭を発見した。思わず大きな声で呼び止めると、長い髪で陰った顔があからさまにゲッとして、けど私が駆け寄るのを待っていてくれる。
 会えてよかった。それもこれも、私の好調の全ては、この小汚い髭面の男のおかげなのだ。
「こんなところで何してるんだ」
「辺鄙な場所ってわけじゃないんだもの、いたっていいじゃない。昼間だし」
 細い眉が、ん、と上がり、ふむ、と無表情へと戻る。
 モッズコートにジーンズという服装と、首のあの細い布を巻いてないところを見るに、彼は休日なんだろう。両手に買い物袋を下げて、生活感にあふれた出で立ちはヒーローを連想させない。
「どちらさま?」
 横断歩道の途中で置き去りにしてきた夏深くんが、横からひょこっとやってきた。
「あ、私この方に助けてもらったことがあって。少し話するから先に行ってて。私、並盛りで温玉つけてね」
「りょーかい」
 夏深くんはイレイザーにぺこりと会釈して、ひらひら手を振って牛丼屋の方へと歩いて行く。その背中を数秒眺めてからイレイザーへ向き直ると、彼は少し道の脇へ寄って、話をする姿勢を作ってくれた。
「で、何がよかったって?」
 イレイザーに倣って道の端に並び立つと、話を促される。さっさと終わらせて立ち去りたい気持ちも多少はあるだろうけれど、急かすような物言いじゃない。話しかけられたら話を聞くのが当然だという、根っからの良い性格が滲み出ている。不審者に見えても優しいヒーローなのだ、彼は。いやいや、失礼。
「謝罪とお礼をしたくて」
 先日の、ヴィランから助けてもらった件のお礼をきちんとできる前に、重ねて迷惑をかけてしまったのだから。それに、素晴らしい癒しもくれた。
「何も。仕事のうちだよ」
 俯きがちに、長い黒髪をふわりと揺らし、丁寧にお断りされた詫び言。けれど、それでは私の気が済まない。
 アラームの電子音が私に朝を連れてきた瞬間の、あの爽やかな目覚めの価値はお金じゃ買えない。夢の世界に引き留めようと縋り纏わりついてくるような重だるさは無く、質の悪い睡眠がもたらす頭痛もなく、パチリと目が空いた瞬間そこは清々しい朝だったんだもの。良質な睡眠は、食事の栄養なんかより圧倒的に仕事のパフォーマンスを高めてくれる。
「久しぶりにすっごくよく眠れたの。本当にありがとう」
「そりゃ良かったね」
 さもどうでもよさそうに私から逃げてゆく視線は、冷え切ったアスファルトを優しく撫でる。イレイザーが渡ろうとしてたはずの青信号は点滅して、また赤になってしまった。
「ごめんなさい。片付けまでさせるなんて、本当に申し訳ない」
 さすがにそれは、ヒーローにやらせることじゃない。酔っ払っておんぶしてもらうなんて、それだけで相当酷いのに、散らかり放題の部屋に恥ずかしげもなく呼び入れて、片付けを指示して寝落ちるなんて、非常識にも程がある。私だってシラフならそんなことさせないんだけど、いかんせん、アルコールが礼儀を蒸発させてしまったのだ。
「酒の飲み方には気をつけた方がいい」
「返す言葉もございません」
 ぺこりと頭を下げると、彼の持つ荷物が目に入った。中には大量のエナジーゼリーと、カロリーバーと、プロテイン。あと、猫雑誌と猫のおやつという意外なアイテムがチラ見えして、笑いが込み上げてむぐぐと頬を膨らませた。
 まずいまずい。私は、コワモテの可愛らしいギャップに弱い。
 吹き出しそうになる口角の上がりを、できるだけ爽やかな笑顔に調整して、思い切って顔を上げる。思ってたより高くにあった顔を仰いで、額を空に向けると、彼は無気力に私を見下ろした。
「お礼、させてください」
 改めてまっすぐ見つめてみると、髭や髪型でダークな印象を受けるけれど、その素地はかなり端正だ。そしてちょっと童顔。暗闇で見た時は怖かったし、家に来た時は酔ってて観察する頭が無かったけれど、太陽の下で見るのは何かが違う。
「仕事のうちだと思ってるから、気にするな」
 イレイザーは大きくも小さくもない声でキッパリとそう言った。そう言うと思っていた。
「そう? じゃあまた仕事しに、うちに来てくれるの?」
 三白眼が見開いて、髭の頬がひきつる。
「それは……」
「じゃあ、やっぱり仕事じゃなくて、イレイザーの親切ってことじゃないの。ね、お願い。お礼受け取って」
「はぁ……わかったよ。で、何なんだ。今持っているのか?」
「う。ええと、今はないから、後日!」
 買い物袋には、スピードチャージ系の食品ばかり詰まっているのだから、イレイザーの食生活だって私に注意できたものじゃないに決まってる。
 お礼は、物よりも――。
「健康的なご飯なんてどうでしょうか」
 イレイザーの前髪が冬の風になびいて、眉間の皺がむき出しになる。受け取って終わりな物だと思っていたのかもしれない。
「もれなく私も健康な食事をすることになるし、私の食生活改善にも繋がると思うの。イレイザー心配してくれたでしょう?」
「……そうだな」
「うん。ありがとう。夕食時に時間の取れる日を教えてもらってもいい?」
 冷えた指先でいそいそとスマホを取り出して、カレンダーを確認する。なんだかんだ言いつつ取り合ってくれるのだから、印象に反して優しく流されやすい人だ。それにかこつけて少し勢いで押してる感はあるけれど、難なく彼の次の休日を聞き出すことに成功した。
 なるほど、五日後。私の職場で年末年始休業が始まる日だ。ナイスタイミング。
「じゃあその日、夜七時に、私の家に来てください」
 スマホのカレンダーに予定をしっかりと入力して、重要のマークまでつけた。つけなくても、忘れることはないだろうけど。
「了解……は、家?」
 眉間の皺がさっきより濃く寄って、悪い目つきが更に悪くなる。
 うん、そう、家。何か問題ある? とそぶりで伝わるように頷いて、きょとんと無言で見つめると、諦めたようなため息が彼の口元を白く隠した。
 ふと、ロック画面のスマホへ目を落として、ハッとする。ヤバい。ランチが間に合わない。
「私、お昼休憩時間が……。突然引き留めてごめんね。じゃあ、忘れずに来てね」
 イレイザーの発見で忘れかけていた空腹が、舞い戻ってきてぐうと鳴く。
 軽く手を振って、目当ての店に向かおうと歩き出した瞬間、カクンと手を引かれて。
「おまえ、連絡先……」
 イレイザーの引き留めに驚いて振り向くと、彼は、いかにも不本意と言った苦い顔をしていた。
「を、別に、交換したいわけではないんだが」
 私も別に必要としてないけど。首を傾げると、彼は小さく息を吐いて手を離した。
「一応、休日とはいえ、緊急要請がある、場合がある。連絡も無しにすっぽかすことになったら、俺もさすがに心苦しい」
「なるほど」
 それは納得の理由だし、むしろお気遣いいただいてありがたい。
 手首にかけた買い物袋をガサガサ言わせながら、イレイザーはポケットを探って、ピッと名刺を突き出してきた。
 シンプルすぎる白黒のそれは、ヒーロー名と電話番号という必要最低限の情報しか載っていない。
 なんだかプレミアムカードを手に入れたような、ラッキーな気分で胸がほくほくする。番号をスマホに入力して、ワンコール。彼のコートのポケットからは、初期設定のままの着信音が鳴ってすぐに切れた。
「……勘違いするなよ」
「あはは、わかってますって」
 彼は軽く手を上げて、ちょうど青に変わった横断歩道の向こうへ消えて行った。
 面倒くさそうな口ぶりとは裏腹に、イレイザーは困ったように、けどほんの少し目元を緩めて微笑んでいた、気がした。



 約束の五日後は、仕事に明け暮れているうちにあっという間に訪れた。
 部屋だって綺麗に片付けたし準備は万端。食欲をそそる香りが部屋に充満して、鼻歌を歌いながら食器を出して。ピンポーンと鳴り響いたチャイムにパタパタと走ってドアを開ければ、そこには、口元をマフラーに埋めて、とっても分かりやすい表情をしたイレイザーがいた。
『言いくるめられた感が否めないが、約束してしまった手前反故にするのはヒーローとしての信用に関わるから、そこまで乗り気じゃないけどお礼を受けに来た』と、顔に書いてある。
「本当に来てくれた。よかった」
「約束だからな。心配なら確認の連絡くらいすればいいだろ」
「催促みたいになって、面倒かなって」
 連絡先を交換したのは緊急時用だもの。私たちが連絡を取り合ったのは、アレルギーや嫌いな食べ物がないかをショートメールで質問した一度っきり。繊細な性格じゃないし、イレイザーにとっても面倒だろうし。来なかったらそれはそれ、仕方ない事情もあるだろうと、連絡をする頭がなかった。彼も、まぁ、と同意に近い反応で。
 気を取り直してにこりと微笑んで「入って」と扉を大きく開けると、彼は「え」と目を丸くした。家で合流して、食べに出かけると思っていたのかもしれない。
「健康的な食事だから、手料理がいいかなと……ダメ?」
「いや……ダメなことないが……」
 この時間に上がりこむのは、っていう気持ちは確かに、理解できるけども。彼はもっと夜が深まってから私を運んで上がっているじゃない。今更何を心配も警戒もすることがあるのか。私だって、イレイザーを襲おうなんて思ってないもの。
「とりあえず入って。ちょうどできたところだから」
 片足だけ靴をつっかけて、腕をいっぱい伸ばしてドアを押して、もう一段階光の漏れる隙間を広げて彼を招き入れる。
「あぁ。邪魔するよ」
 観念したようにまつ毛を伏せて、彼は真っ黒のブーツを脱いだ。
 一安心だ。帰るなんて言われたらどうしようと思った。
 リビングでコートを受け取ってハンガーにかけていると、イレイザーは綺麗になった部屋を感心したように見回して、最後にその視線はテーブルへと着地した。
 部屋の真ん中、この前はコンビニ弁当の空だの本だのでごちゃごちゃだったテーブルには、すっきりと鍋がひとつ。卓上コンロに乗せられて、蓋の蒸気穴から湯気を燻らせている。
「すき焼きか」
「です」
 この五日間、うんと唸ってメニューを考えた末、オシャレで高度で初挑戦な料理はリスクが高いと判断。そして健康というからには野菜も摂取できて、人様にお礼としてお出しするに相応しいそこそこ値段の張る材料を使える料理で。
 断じて、手間を惜しんだわけではないし、調理技術が乏しいわけでもない。選択としてはベストだと考えたけど、イレイザーにどう取られるか。そもそも手料理は悪手だったか。人に振る舞うということ自体そうそう無いから、自信のなさが口に現れて舌が空回る。
「健康的と言ったら手づくりかなって。でも作れるものが少なくて」
「料理しそうな人の部屋じゃなかったもんな」
「む。料理だって掃除だってできます。この通り」
 ふうん、と鼻で返事をした彼に、どうぞ、と座布団を勧めると、ゆったりと胡座をかいて座った。すき焼きのチョイスを良いと思っているのか、はたまた嫌いなのか、その表情を直視できない。動いていないと落ち着けない私は、食器を準備しにキッチンへと引っ込む。
「お料理苦手ってわけじゃないし、やればできるんだよ? それにほら、市販の割下だから味は保証されてます!」
 卵と取り皿を持ってリビングに戻ると、イレイザーは黙って蒸気を見つめていた。
「お肉は高いの買ったから……やっぱりお詫びとか言うなら、お寿司とかの方がよかったかな?」
 芳しくないリアクションに、不安になった。だって謝罪とお礼という名目で、嫌なものを食べさせるわけにもいかない。そんな私の硬い表情に気づいたのか、彼はこちらを見上げて、ふっと緩く微笑んだ。
「いいや。好きだよ。久しぶりに食べる」
「よかった!」
「変にしゃれた店に連れて行かれるより、気軽でいいな」
「でしょう」
 そういうタイプだと思った。フレンチでナイフとフォークを手にしたイレイザーなんて想像できないし。
 受け入れてもらえた途端に、へへへと笑いが溢れる。緊張が緩和して、体が軽くなった気さえする。テーブルに持って来たものを置いて、今度はお肉とお酒をキッチンに取りに行って戻ると、イレイザーは「お」と上機嫌に眉を上げた。
「追加のお肉と、お酒も、あるよ」
 じゃあんと掲げた二つの贅沢品。
 お肉は霜降り黒毛和牛。有名な酒蔵の日本酒は、その辺のスーパーでは売っていない高級ラインのもの。
「いいな。貰うよ」
「よかったー」
 安堵して緩む表情。ペタンと座布団に座って、二つのグラスに透明な液体を注ぐ。食事やお酒の内容がお気に召したようで、イレイザーの薄い唇が弧を描く。
「その節は大変お世話になりました」
 改めて頭を下げ、グラスを突き出して。
「こんなにしてもらったら、帳消しどころかお釣りを払わなきゃいけないな」
「ふふ。お礼を口実に私も食べて飲むもの。遠慮しないで食べてね」
 チン、とグラスがぶつかって、アルコールが喉を熱くする。
 さぁさぁ、とついに蓋は開かれて。
「いただきます」
 私たちは手と声を合わせた。
 イレイザーは、落ち着いた声でローテンションで喋るけれど、案外に会話はテンポよく続く。私の部屋でしゃんとする気負いもなく、猫背で鍋をつつき、大きな口でお肉を頬張る姿はなんだか少年っぽさまである。
 どうやら彼は、アルコールで少し無口が解消するタイプらしい。
 普段の食事は、やっぱりゼリーなんかで済ますことも多いらしく、私のコンビニ弁当以下だと笑ったら、むすっと、全部じゃないし普通に食べる時もある、なんて言い訳をしていて可愛かった。
「男と二人で宅飲みなんて、警戒心がなさすぎないか」
 食事もお酒も楽しく進み、二人とも若干目が据わってきた頃。〆のうどんを取り分けていると、イレイザーがぽつりと言った。
「えぇ? そうかな。でもイレイザーだから」
 酔いが回って、少しふわふわする。よく考えないで浮かんだ答えを返せば、イレイザーの気の抜けた眉がきりっとした。
「俺は何だと思われてるんだ」
「ヒーローでしょ」
「そういう問題か」
 この前だって、片付けしかしないで帰って行った彼だもの。何が起こるって言うのか。
 イレイザーの態度を思い返しても、私と仲良くなりたいなんて下心は微塵も感じられない。それどころか、面倒だとか、必要以上の接点を持ちたがらない、避ける雰囲気すらあった。
 ふと、それは、あまり根拠も脈絡もないのに、お酒が進んで曖昧になった回路が別の予感に繋がる。
「……もしかして、私がイレイザーを好きにならないかって心配してる?」
 イレイザーはうどんを受け取りながら、心外を顔全面に押し出して目を見開いた。
 二回も私を助けてくれたヒーロー、かっこいい、優しい、好き! ってなりそうな気持ちはわかる。うんうん、それはお礼を受け取るのだって、まるで好意をエスカレートさせるようで気が進まないでしょうね、と頭の中で頷く。
 しかし、彼が心配しているだろうその可能性は限りなくゼロに近い。
「ふふふ。ご安心ください。私、ヒーローは恋愛対象外なので」
 ぴっと手のひらを彼に向けて、ニッと笑って見せると、イレイザーは「そうか」と呟いて、うどんを一口すすった。随分とあっさりとした反応に、私は勝手に別の可能性を考える。
「あれぇ、じゃあ、彼女いるの? もしかして彼女に悪いことしたかな」
「いないよ。恋人は作らない」
 へぇ。恋人は作らないんだ。へぇ。恋人は、ってことは、恋人じゃない関係の人はいるのかな。なんて野暮なことはさすがに聞かない、けど。
「それまた、どうして?」
「ヒーローだから、いつ何があるか分からない。残して悲しませるような相手は、作らない方がいいだろ」
「ふうん」
「恋人や家族のいるヒーローも、それはそれで、幸せなんだろうと思うが……俺には、たぶん向いてないんだ」
 なるほどね。そういう主義なわけね。それは私と気が合うわけだ。
「そういうおまえは、どうしてヒーローだけ対象外なんだよ」
 もぐもぐと顎を動かしながら、酒のツマミ程度の話題振り。ヒーローはダメ。その理由は至ってシンプルだ。手に持ったままの箸の先端を見つめて、私の気持ちは、しっとりと仄暗い雨の秋を思い出して耽ってしまう。
「叔父さんがね、ヒーローしてたんだけどね……市民を助けて、自分が犠牲になっちゃって」
 かっこいいヒーローの叔父さんは、私の憧れで初恋だった。ある日大人がみんな怖い顔してバタバタとして、病院に連れて行かれて。
「生きてるけど、自分じゃほとんど動けない身体になっちゃって。だから私は、ヒーローは恋愛対象外なの」
「そうか……」
 目の前の卓上コンロには小さく火がついて、鍋の中はくつくつと煮えているのに、うどんが少し冷めた気がする。すき焼きのいい匂いの中に感傷が燻って、なぜか私たちは同時にちゅるりとうどんをすすった。
 ごくん、と飲み込んで、健康な今に感謝する。
「じゃあ、私たちは恋愛に発展しようがないんだから、大丈夫だね」
 あは、と笑顔でスイッチを切り替えると、イレイザーは目を半分にして、わざとらしくため息をついた。
「大丈夫もなにも。今日が終わったら連絡先も消すよ」
「えー、そこまでする?」
 冗談と本気の境目が分からないのに、気兼ねない掛け合いが、私の意図を読んでくれる対応が、妙にしっくりきて心が軽い。
 私は、胸の奥からじんわりと湧き上がる期待を隠せなかった。
 だって、楽しくて、思考が合って、そして、彼は恋愛をしない。
「そもそもね、私は今、仕事を真剣にやりたいから、恋愛に割く時間がないの」
「立派なことじゃないか」
「だって、面倒じゃない? 約束がどうとか、休みがどうとか、記念日だプレゼントだクリスマスだなんだってさぁ」
「……仕事云々の前に、恋愛に不向きだろ、それ」
 うん、そう。そうかもしれない。私は誰とお付き合いしても、いまいち相手と同じ熱量で深く求めることができないのだ。
「けどまぁ、そういった煩わしさには同意する」
「うーん、イレイザー、話が合う!」
 ちびりとお酒に口をつけ、ヒゲを震わせている彼にも、そういう経験があるのだろうか。
 期待と予感が、確信めいて胸に膨らむ。
 イレイザーなら、面倒じゃないかもしれないと。
 仕事大好き。勉強する事もたくさん。時間は有限。恋愛にかまけている余裕はない。とはいえ、私にだって寂しい夜があるのだ。恋愛は面倒でも、気軽に温もりを得られる相手が、こうして鍋をかこめる相手が、いたらなんて思う。
 私は、もう空になる鍋の火をカチリと止めた。
「ねぇ、イレイザー。恋愛は面倒でもさ、溜まるものは溜まるんじゃない?」
 言葉ひとつで、私たちの間に交錯する視線が色を変える。
 セクハラまがいな問いかけであると、分かっているけど。アルコールを言い訳にしてしまえば、失敗を冗談に変える手口はいくらでもある。
 イレイザーは、無表情を崩さずに静かな瞳で私をまっすぐに見つめて、まぁ、と口を開いた。
「そうだな。ヒーローは禁欲主義じゃないからな」
 熱を帯びた視線。フライングした歓喜で口がニヤける。イレイザーは品定めでもするみたいに、スッと私の身体へと視線を落とす。服を透かして見られているようなドキドキが、お腹の奥を熱くさせた。
 私は、折り畳んでいた脚を崩して、そっとテーブルの下へと伸ばす。胡座をかいたイレイザーの膝に、ツンとつま先で触れる。
「面倒が嫌いな、恋愛に発展しようのない、合理的な関係なんて、どう?」
 脛をなぞる足先は、彼の中心へ向かう。イレイザーは、ニヤリと歯を見せて目を細めた。彼ももしかすると、結構酔っているのかもしれない。
 そうならば幸運だ。一晩だけでも、今日はなんだか、そういう気分。三大欲求の、最近満たされていない一つがむくむくと膨らむ。
 イレイザーが抵抗しないから、足の裏はついに彼の中心にたどり着き、まだ柔らかい分身を誘うようにねっとりと擦りあげた。悪戯なつま先が、イレイザーの大きな手にぱくりと捕まる。
「いいね。俺にとっても、都合がいいよ」
 誤解しないでね。最初からそのつもりで部屋に招いたわけじゃないの。けれど、私たちはあまりに、条件が合致しすぎたのだ。

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