叶わない恋なのに

 真っ白なカーテンが青空を透かして、チクチクと視覚を刺す。
 消毒液の匂いと、キーボードを打つ心地よいリズムが、覚醒未満の脳みそを少しずつ現実に引きずってくれる。次第にはっきりと見えた天井と、水色のパーテーション。
 あぁ、倒れたんだ。と思った。けれど、どうして倒れたのか、ぼんやりした頭はまだはっきりと記憶の道を振り返ることができない。
 布団の中の両手を、ぐー、ぱー、と動かしてみるが痛みも違和感もない。
 清涼な風がふわりと部屋に吹き込んで前髪を撫でていくのが心地良い。
「相澤くん、起きた?」
 夢の世界に響いた迦陵頻伽の声に、弾かれたようにガバッと腹筋で起き上がり布団を跳ね除けた。一瞬前までの微睡が嘘のように、現実がキラキラと輝いて、秋の午後の日差しが瞳の中で弾ける。
 ベッドを囲む白い帳が遠慮がちに揺れて、隙間から丸い目がパチリとこちらを覗いた。
「起きました。大丈夫です」
 ホッとしたように微笑んで、シャッと軽快な音と共に、先生が一歩この緩く断絶された空間に入り込んできた。
「相澤くん、授業中に倒れたの。覚えてる?」
 こてん、と傾いた首に合わせて、先生のさらりとした髪が揺れる。
 ふわりと花が香って、その瞬間記憶の蓋がぱかっと開いて、恥ずかしさと一緒くたになって溢れかえる。あぁ。クソ。
「すみませんでした……」
 項垂れて、熱くなった顔を手で隠したところで、この羞恥は和らぐこともない。
 俺は、芸能のダンスの授業中に、思いっきり足がもつれたのだ。つんのめって先生の胸の中へ。未知の柔らかさに勢いのまま埋まった顔が、汗の少し湿った服と肌の境目で息を吸い込んでしまって。あろうことか、いや、ありがたいことに、いや、なんというか、先生は俺をぎゅっと抱き止めてくれたのだ。
「俺……すみません」
「いやいや、事故だもの。というか、頭は大丈夫? あの、ぶつけたところ……」
 結果転ぶことなく、十分に衝撃的な肉圧を感じた後、抱き合った腕を緩めて先生に大丈夫かと顔を覗き込まれた。動揺したに決まってる。返事も返事にならないまま俺は、後退りをして、転倒して、パイプ椅子に後頭部をぶつけて。
 ダサすぎる。ダサいうえにセクハラを。最悪だ。
「腫れちゃったかな?」
 心配そうな声と共に、ギシ、とベッドが俺を冷やかす。ドキリとしてるのに心臓は止まったみたいに緊張して、瞬きひとつできない。
 先生は片手を俺の横について、細い腕を伸ばして、繊細な指先で俺の後頭部を撫ぜた。
「だ、いじょうぶです」
 思わず間近で見つめてしまった先生の顔は、十いくつも歳上とは思えない愛らしさで、この距離では呼吸すら憚られる。
 見つめ合うのに耐えられなくて視線を下げると、谷間が。
「っ……」
「腫れてないけど、痛むなら冷やすもの持ってこようか?」
 むしろそれは別の用途で必要そうなので貰いたい。
「いや、もう、帰ります」
 帰ろうにも布団から出られない。
「うん……でも、顔も赤いし、調子悪そうだけど……あ、送って行こうか?」
 先生の車で? やめてくれ。興味がありすぎて、断らなければいけない今が悔しい。
「や、もう、大丈夫なので。先生はもう、仕事に戻ってください」
 まだ訝しげに眉を下げてる先生は、最後に俺の髪の中をなでなでとして、ようやくしゃんと立ち腕を組んだ。ちょっと尖った唇が可愛すぎて、布団の上で握った自分の手のテーピングが何周巻いてあるかを数えたくなる。
「相澤くん。ふらつくほど疲れてるのは良くないな」
「はい」
「ちゃんと食べて、早く寝なきゃダメだからね」
「はい……」
「じゃ、カバンはさっき山田くんが持ってきてくれたから、気を付けて帰ってね」
 ひらりと手を振って、白いカーテンの向こうに消えたのを見送って、大きなため息を吐く。
 早く寝るのは無理かもしれないと思いながら、不在だったリカバリーガールが戻ってきて追い出されるまでたっぷり十五分ゴロゴロとしていた。
 薄まることのない、甘い記憶に苦しみながら。

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