たわむれ

「おじゃましまーす」
「とぉーりあえず、座って!」
 はじめての朧の部屋。家主はぎこちなく、両サイドに行儀よくクッションが配置されたソファを手で示し、ゲームの電源を入れた。
 色のまとまりのないインテリア、少し無理矢理詰め込まれた本棚、配線のごちゃっとしたデスク周り、多分ゲーセンで偶然取れたバトル漫画のフィギュアがひとつ。生活感たっぷりで、頑張って片付けたんだろうけど随所に朧らしい雑さの見られる部屋に、私は両手を広げて歓迎された。
 コンビニの袋から飲み物とお菓子をテーブルに出して、ソファに二人で座って、コントローラーを握る。
「私強いけどいいの?」
「のぞむところだ!」
 キャラクターを選択して、レースが始まる。ふふんと鼻息荒く、じりじりとエンジン吹かして赤のランプが緑に変わった瞬間飛び出した。
 ガチャガチャと色んな指が色んなボタンを操作する音が白熱する。
「あっ、あっ、ミスった」
「よっしゃ!」
 テレビの中では何台もの車がアイテムで攻撃しあいながら競い、現実では、私と朧の肘をぐりぐり当て合いながら勝負を楽しむ。
「ちょっと、もぉ、ここでソレはずるい!」
「へっへっへ、作戦勝ちだぜ」
「まだ勝負ついてませーん」
 得意げに笑いながらも、寄りついた右側から朧のソワソワが伝染してきてむず痒い。
 三秒ごとに、足を組んだり解いたり、手をぶんぶん準備体操のようにしたり、背中を背もたれにつけたり離したり。まったくゲームに集中していない。
 まぁ、集中してないわりに強い。確かに。コースを熟知してるし、ショートカット使ってくるし。
「おぼろ」
「んん?」
 ラスト一周のフラッグが揺れる。
 ちらり、横へと視線を飛ばす。好戦的な大きな吊り目が画面を見つめている。
 その向こう、寝室という別室の存在しないこのワンルームでは、どうしたって目に入る。この部屋の中で格段に目立ってしまうほど、異様にピシリと整えられたベッド。
 ラストスパート、最後の大きなカーブの手間、私は勝負を仕掛けた。
「すきあり」
 ちゅ、と横顔の頬にキス。
「う、えっ!? え、あ! あ〜!」
 カーブを曲がりきれずコース外に飛び出した車が落ちてゆく。
「へっへーん、私の作戦勝ち!」
 一位、ウィニングランを決める私画面には紙吹雪が舞っている。
「ず、ず、ずるい、そりゃーずるすぎる!」
 なんとかゴールにたどり着いた朧は、コントローラーを投げ出して、頬を押さえて真っ赤になっている。
「おま、ちゅ、ちゅーは反則だろ!」
「ふぅんちゅーごときで、大袈裟ですね」
 むう、と唇を突き出した朧が、可愛い睨みをきかせてくる。
 ちゅーごとき、だろう。飲み物とお菓子を出されて萎んだコンビニ袋の中に、あと一つ残っている箱を思うと。
「つーかさ、ちゅーってどうやってすんの?」
「え?」
 朧はコントローラーを握りなおし、次のコースを選択した。レーススタートのカウントダウンがはじまる。
「唇と唇をくっつけるに決まってるじゃん」
 ガチャガチャと、また操作音が本気を出す。肘もぶつかり合って競いながら、頭は朧のむくれた照れ顔を思い出してしめしめと満足していた。
「そーじゃなくて、もっとすげーやつ」
「すげーやつ」
 ヘアピンカーブでドリフトしながら、私はあははと笑う。すげーやつね。
「舌いれちゃうやつ?」
「そう、それって、舌入れてさ、そんでどーすんの?」
「うーん。入れた舌で、口の中を舐めたり」
「なっ」
 一位だった朧のカートはコースの壁にぶつかって、ぐりぐりと方向転換している。
「あとは、舌をちゅって吸ったり絡めたり、するんじゃないの?」
「すっ、か」
 追い討ちをかけるように私の放った攻撃アイテムが炸裂して、朧のカートはぼよんぼよん跳ねて、私はそれを優雅に追い抜いた。
「朧よわ」
「ちげーよ! ナマエのせいだろ!」
「質問したのは朧じゃん」
 いいっと歯を食いしばった朧がレースに復帰する。
 私だけ一時期彼氏がいて、そちらの経験値について一歩リードなのだけれど、それがどうも朧をもやもやとさせているらしい。
「あと二周あるからな! こっから勝ったら、そのチュー、させろよ」
「はぁ?」
 朧は一方的な勝負をふっかけて、ソファから床にずるりとお尻を下ろした。ゴール間際のほっぺちゅーを防ぐためか、肘での攻防から逃げたのか。
 耳を赤くして真剣なコントローラー捌きを見せる彼は、ぺろりと唇を舐めた。
 よそ見している暇はない。私も加速して、差し迫るライバルたちを振り切るためにスティックを倒した。
「お、だっ、ぐぅぅ! よっしゃぁー!」
「うそ! 負けた!」
 アイテム運がなかった。両手を高く上げた朧は、満面の笑顔で振り向いた。
「俺の勝ち〜!」
「ハイハイ、おいで」
「えっ」
 ツンと大きな目が丸くなって、豪快に笑っていた口は間抜けに力を抜いた。可愛い。
「お、え、ホントにしてくれんの?」
「勝負だったもん仕方ない」
 晴天の瞳が期待と緊張に揺れて、欲望に輝く。
 コントローラーを置いて、おいで、と手を広げると、複雑な顔をした彼は床に膝をついたまま、がばっと私のお腹に抱きついてきた。
「ほらほら、顔あげて」
「やっ、まてっ、それはなんか」
「やめる?」
「やめないけど!」
 腕を緩めて顔を上げた朧は、潤んだ瞳で私を見上げる。快活で大胆な百八十七センチの男子の上目遣いが、こんなに可愛いなんてどんなスペックなの。
 堪えるようにぐっと閉じた唇は、顎に皺を作っている。頬に手を添えると、ぴくりと目を細めて擦り寄ってくる。ため息が出そう。あまりの可愛さに。
「朧、口ぎゅってしてたら、舌入らないよ」
「う、え、あ」
「そんな口開けたら塞げないよ」
 ふふ、と笑えば、口は悔しそうに歪んで緩く閉じる。
「こんくらい?」
「はは、いい、いい、ちょうどいいよ」
 えらいえらいと頭を撫でて、綺麗な目を見ながら顔を寄せる。息のかかる距離に、ぱちぱちと瞬きする彼は、目を閉じてくれない。
「目、閉じて、恥ずかしいよ」
「そっか、ん」
 これが白雲朧のキスまち顔です。写真撮りたいなぁって気持ちは一旦閉まって、私は、ゆっくりと朧の上下の唇がくっついた線を、舌先でなぞった。
「んっ」
 広い肩がびくりと震えて、私の腰に回った手が服をぎゅっと握った。
「さ、最初っからこんななの?!」
「黙ってよ」
 私も目を閉じて、わななく口を塞いでしまう。下唇にしっとり吸い付くと、空いた隙間から熱い吐息が漏れる。
 漏れた吐息を食べるようにぱくりと柔らかな肉を堪能する。短く、角度を変えながら何度もふわふわと食むようなキスに、朧は口を中途半端に開けたまま、体はかちこちに硬直させて、鼻からふっふっと風を送ってくるからなんだか面白くなってしまう。
 ちゅ、と濡れた唇同士が水音を立てる。朧の喉がゴクリと鳴った。
 いよいよぬるりと唇の隙間に舌を差し込むと、粘膜の熱さに私の体温までぐんと上がる。朧の口の奥で息の詰まる気配がした。舌先はすぐに前歯につんと触れて止まるけど、ノックされた前歯がすぐに動いて、ぽってりと厚い舌がおずおずと顔を現して、私の舌先へちょんと当たった。
 ようやく出会った熱に、朧の喉が声ともいえない声を上げた。はっと朧は息を吸い込んで、隙間から流れ込んだ空気がひんやり感じる。
 朧の舌先を揶揄うようにくるりと舐めると、驚いたのか逃げてしまった。歯の裏をなぞるように口蓋をくすぐってみると、全身でびくりと跳ねる。
 そろそろ終えるべきか、まだ追い詰めても楽しいだろうか。一度舌を引いてちゅうとまた唇を啄み、そっと薄目を開けてみる。
 朧は瞼に力を入れて顔を真っ赤にして、鼻の穴までひくひくさせながら必死に接吻を受け入れていた。
 ふ、と思わず笑ってしまって、青く潤んだビー玉がぱちりと開く。
「んふ、あは」
 濃厚な接触は終わり、隙間五センチで笑いを塗りつける。
「笑うなっ」
「笑うっしょ」
 ムッと唇が届きそうなほど突き出して頬を膨らました朧は、ぐぬぬと呻き私の肩を掴んだ。
「わ」
 ぐっと突如として背が伸びた朧が、私をソファの背に押し付けて見下ろす。肩にかかる体重は絶妙に手加減されているけれど、その瞳は深く欲に溺れている。
 ゆっくりと、大きな手が、肩から首へと滑ってくる。
 空気が、湿って甘い。
「俺の番」
 いつもより低くて色気のある声。
 伏し目がちにゆっくりと近づいてきた顔が、あまりに真剣で。
 耐えられない。
「え、今のでわかった? できそ?」
 ふわりと空気が乾く。朧の瞳がきゅるりと光って丸くなった。
「でっ、できる! いや、できなくてもやる!」
「やればできる?」
「できる!」
 ん、と私の頬を挟んだ大きな手。跳ねた目尻の可愛い目が開いたままなのを笑いながら、私はそっと瞼を下ろした。
 私たちは、ぎこちなく愛し合う。時々笑って、照れて、じゃれあいながら。
 でもこの続きは、次のゲームに勝ったら、ね。

-BACK-



- ナノ -