おはようというしあわせ

 じんわりと目の奥が眩しい。心地良い太陽の香りが、風に乗って頬を撫でていく。きっと窓が開いている。
 今何時だろう。こんなに気持ちよく眠ったのはいつぶりだろう。爽やかな朝特有の微睡をもう少し楽しみたいなと、目を閉じたまま愛しい気配の方に寝返りを打った。
 朝の香りを胸いっぱいに吸い込むと、耳に大きくて暖かい手が降りてきた。顔にかかる髪を後ろにすく手は、ほどなくして頬を包む。
 朝の空気と手の暖かさが気持ち良すぎて、目を開けずに堪能していると、
「おはよう」
 低くて落ち着いた声が聞こえた。その声があんまりに甘くて優しいから、どんな顔をしてるのかなって、ゆっくりと目を開ける。
 ベッドに座った相澤さんは、仕事中の姿からは想像もできない、緩んだ微笑みを湛えていて、つられてこっちまで笑顔になる。
 頬に寄せられている手に擦り寄って甘えると、彼は耳をふにふにと弄りながら、向かい合って横になった。
「おはよ、なんじ?」
 自分のものながら、予想以上に掠れて気の抜けた声が出た。
「もう10時だよ」
「ふふ、晴れの匂い、気持ちいいね」
「天気いいから、どっか行くか」
「いーねー」
 どこか行こうかという提案とは裏腹に、ベッドから出す気は無いのか、ぎゅっと彼の胸に閉じ込められる。
 安心する、相澤さんの匂いがする。もぞもぞと腕を動かして、抱きしめ返すと、彼が「あー」と悩ましい声を出す。何かなと思って顔をあげようとしたのに、その前に頭を抱きすくめられて叶わなかった。
「……一緒に行きたい場所があるんだが」
「ん。どこ?」
 また、あー、と宛のない声がする。ぴったりと彼の胸にくっついたおでこが、鼓動や呼吸を感じる。いつもより、ドキドキしてるような気がする。
「嫌だと思ったら言ってほしい」
「うん?」
 どことなく緊張しているような、迷っているような、自信が無さそうな声で、彼が呟いたのは、有名な高級ジュエリーのブランド名。
 なんだろ? そこに行くってこと? 高級時計とか欲しがるタイプじゃないよね? 
「えーと、それは」
 まさか、でも、もしかして? 期待と混乱で、何を言うべきか分からない。不意に、頭を抱きすくめていた腕が緩くなり、やっと彼の顔を見ることができた。密着から離れて、空気が涼しく感じる。
 ぱっちりと目があった。相澤さんは、少し難しい顔をしている。
「指輪を、買いに」
 指輪を。
 あまりの驚きに、目を見開いたまま口をパクパクさせてしまう。
「こっそり買っておこうと思ったんだが、どんな物がいいか分からなくて、あとサイズも、お前に選んでもらうのが合理的だと判断した」
 いつもより早口で話す彼の声。じんわりと目の奥が熱くなって、その意味が脳に浸透していく。あれ、それってつまり?
「婚約指輪のつもりだが……」
 ややあって、スマートにサプライズとかできなくてすまない、と。
「今、寝顔を見てて、おはようって言うのが……毎朝、こうならいいと思ったんだ」
 鼻の奥がツンとして、じわじわ目に涙がたまる。
「う、うれしい」
「一緒に選んでくれるか?」
 こくこくと頷きながら、再び彼の胸に顔を擦り付ける。背中にまわる腕に、ぎゅっと力が入った。
 涙と一緒に、笑顔になる。
「え〜、幸せ」
「あぁ、俺もだ」
「ビックリした」
「俺も」
「そうなの?」
「一応、レストランを予約しようか調べていたんだが、今言いたくなった」
「ふふ、レストランも行きたいな」
「もちろん」
 ぎゅっと抱き合って、顔を見なくても分かる。彼が優しく微笑んでいること。でもその顔が見たいから、相澤さんの胸を押して体を離すと、彼もぐいっとのしかかってきて、押し倒される格好になる。
 優しいキスが頬に、鼻に、おでこに、目尻に降り注いで、ついでに髭がチクチクして、くすぐったくなる。
「ねぇ、私、相澤になっていいの?」
 こめかみにキスしていた彼が顔を上げ、鼻先同士をくっつけて囁く。
「お前がいいなら、結婚してくれるか?」
 大きく頷いて、イエスの返事を贈ると、終に唇に長いキスが降りてくる。
 なんて爽やかな目覚め、素晴らしい1日の始まり、快晴の空と若葉の風、白いレースのカーテンがゆらゆら揺れて私たちに祝詞を囁いているみたいな、幸せの全ての朝。

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