口実と約束

 朝から、じわじわと焦がすような暑さが登校の足を鈍らせる。駅から雄英までの道では、何人もの生徒が一様に陽射しと戦っていた。
 せめて風でも吹いてくれればいいものを、照りつける太陽は春とは打って変わって攻撃的で、しかも勝てる気がしなくて参ってしまう。
 ぱたぱたと制服の襟元を羽ばたかせても、微塵も涼しさを感じない。そんな中、意気揚々と駆けて行くのは大抵がヒーロー科の生徒だ。その光景を眺めながら、誰か個性で冷やしてほしいなんてご都合な空想をしてしまうほど、猛暑は私に重くのしかかってやまない。
 ふと、道の脇に立つ町内会の掲示板に視線が吸い寄せられた。目を引く鮮やかさで描かれた縁日のお知らせは、来週の金曜日の日付が大きく主張している。
 通り過ぎざまでも眺めてしまったのは、そのデザイン効果が巧みであったからで、内容を気にした訳ではない。
 だって、私が行くことは無いのだから。
 前へと向き直った先にはようやく雄英の正門が見えてきた。あと少し、と気合いを入れ直して数歩。「もうそんな時期かぁ」と聞き慣れた声が私を追いかけてきた。
 はっと肩越しに後ろを伺うと、山田くんと友達らしき男女数人が掲示板の前で足を止めて、縁日のお知らせを眺めている。
 話しかけられたかと思って焦った、自意識過剰が恥ずかしくなる。こっちに気づいてもいない山田くんに安堵して、私は人知れず足を早めた。さっさとエアコンの効いた教室に行って、この余計に火照った体を冷ましたい。
「今年こそ! 屋台全種類制覇してやろうぜ!」
 背中で聞いたその声は、とっても楽しそうで。やっぱり別世界の人なんだよなと実感する。彼のイメージにぴったりだ。男子も女子も分け隔てなくグッモーニンで一緒に歩いて、あんな風に賑やかの中心にいるのが相応しい。
 私は、重い足にプラスされた息苦しさを緩和するために、イヤホンを耳に突っ込んで校門をくぐった。
『縁日の花火、行かない?』
 “本日の主役”からそんな誘いのメッセージが来たのは、その日の昼休みだった。ランチも終わって、教室の座席で一人スマホと向き合い、午後の授業が始まるのを待っていた。
 クラスメイトの騒めきが孤独を縁取るこの時間の過ごし方は習得済み。それなのに、電波に乗ってやってきた一文がこんなにも心を踊らせるなんて。
 引き続き流れてきた掲示板の写真が、慮外の提案を押し上げる。
 今朝の通学路で見かけた時には、山田くんはお友達と縁日に行くような話をしていたはずなのに、どうしたのか。まさか、あの輪の中に加われとは言われないだろう。そもそも、この仲を他人に知られたくないと了解してくれているのに、この誘い自体何かの間違いじゃないだろうか。
 送り間違いでないなら、社交辞令ということだろうか。
 一瞬感じた浮き立つような暖かさが、途端に惨めさに変容して私の中に沈む。
 たぶん、断るのを分かってて、でも優しいから声はかけた、ってやつかな。行くって言ったら内心迷惑がられるやつ。
 それならば無用な気遣いだ。有り得ないと理解していながら、頭が勝手に存在し得ない賑やかな青春の一ページを妄想してしまった。
 縁日に行きたいわけじゃなく、あの、山田くんが楽しそうにしている輪に入る憧れみたいな、ねっとりとした感情が心の表面を覆っていく心地がした。朝彼と一緒に歩いていた女の子みたいに天真爛漫さがあれば、きっと山田くんと素敵な夏の思い出を作ることができるのに。結局のところ、羨ましいのだ。
『誰も知らない花火の特等席知ってるんだ』
 既読を付けてしまったからと、断りの定型文を打ち始めた矢先、追加情報が訪れる。
『その時間だけでいいから、ラジオ用に花火の音録音したいんだけど』
『ジングルとかBGMに混ぜられる?』
 ぽんぽんと連投されるメッセージ。つまりそれは、縁日の会場へのお誘いではなく、社交辞令的なお誘いでもない。花火だけ一緒にということで、ラジオのためで。
 また、勘違いだ。ふわりと軽く浮き上がった熱が誤魔化せない。身体中の細胞が震えて、卑屈に沈んだ心が一瞬で洗われたように透明度を増す。
『二人でになっちゃうんだけどさ』
 駄目押しのように送られてきた待遇に、私のネガティブが白旗を振った。
 ラジオの手伝いを始めてから、底辺で横ばいだった日常が壊れてしまった。何にも無頓着でいる臆病が、分不相応な憧れに手が届きそうで期待して、現実の自分自身に落胆して、なのに山田くんが覆して丁寧に救ってくれるから、目眩がする。
 花火、行きたい。する。できます。やります。本当に行っていいんだよね?
 これは、ラジオのためだから、と丁寧に理由をつけてくれる、山田くんの慈善活動の質の良さには頭が下がる。
 それでもいい。一人でできる事なのに声をかけてくれた、彼の優しさに甘えさせてほしい。
『いいよ。何時にどこ集合?』
 やっとそれだけ送ったメッセージは、送信と同時に既読がついた。
 音源なんてフリー素材でいくらでもあるから録音なんてしなくても、って思ったのに言わなかった。私は学内の有名人にかまってもらえて、秘密を共有して、特別な待遇を受けて、欲が出てきているのかもしれない。
 教室内の孤独は消えて、手の中に優越感を隠す。
 分かっている。これは、私が喋れないから、孤立しているから、与えられているだけ。私の喜びは自尊心が満たされただけ。それでも、どうしたってワクワクしてしまう。願わずにはいられない。
 どうか、来週金曜日、晴れますように。

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