今日という日に夏を詰め合わせ

「見て、虹!」
 夏だから夏らしいことしましょう! と張り切って提案してきた休日の昼下がり。
 アパートの裏手に小さなビニールプールを出して、散水ホースで水を溜めながら、彼女は向日葵みたいな笑顔を俺に向けた。
 ベンチから見上げた彼女は、夏らしく強いハイライトと濃い影に彩られて眩しい。その向こうの晴れ渡る空に、虹は見えない。
 まつ毛にまで太陽を湛えて細められた目は、不満気に更に細まって、顔じゃなくて足の方見てよ、と頬を膨らませた。
「可愛かったんで、つい」
「にーじ! 虹を見てくださーい」
 さっきから水をかけられている足に視線を下げると、シャワーの水がキラキラと光の粒を撒き散らしながら、俺の膝下で虹を作っている。
 日に当たって暑かったスネは、虹を浴びて涼を得る。小さなプールの水面はぱちぱちと弾けながら水位を増して、足の甲を沈めた。
 見下ろす七色は踏み潰せそうなほど。それでも彼女はとても嬉しそうにシャワーを揺らす。
「綺麗だねぇ」
「そうだな」
「消太に虹くっついてる」
 ふふふ、と笑って虹の生成をやめた彼女は、俺の隣にぽすんと座り、サンダルを脱ぎ捨ててプールにちゃぷんと足を突っ込んだ。
「よーし、かき氷食べよ!」
 そして意気揚々と、用意してきた保冷バッグに手を伸ばす。
 彼女がこの夏欲しがったのは、味つきの氷や冷凍フルーツをふわふわに削れるかき氷器。
 先々週くらいに、夏休みも仕事ばかりでどこにも連れて行ってやれないから、埋め合わせに何かほしいものとか無いかと聞いた。数日悩んだ彼女が「あのね、コレが欲しいんだけど」といそいそ見せてきたのは、たった数千円のかき氷器だった。それでいいのかと聞いた俺に、一緒に食べられたらそれで充分、と。恋人らしいデートができないことに文句の一つも言わず、ささやかでも俺との夏を楽しもうとする健気さに、愛しさが込み上げた。
 彼女はワクワクと、新品のかき氷器を俺との間に起き、保冷バッグからじゃじゃーんと何かを取り出しす。
「なんとなんと、プリンを凍らせてみたの。プリンのかき氷!」
 丸い製氷カップから、黄色の塊をかき氷器にセットして、ガラスの器を出口下に配置。
「消太、まわして?」
「ん」
 喜んで。仰せのままに。
 本体を支えて、ハンドルを持って。かき氷器を回すなんて子供の時以来だ。
 シャラシャラと涼しげな音を立てて、ガラスの器に降り注ぐ綿雪。彼女は真剣な顔で、削り刃の高さを調整して、そのこぼれ落ちるふわふわの出来栄えに感動の声を上げた。
 二人分の氷を削るくらいだと、腕が疲れる前にあっというまに完成してしまう。足を冷やす水に加えて、目と耳に涼しげな氷の様に、汗すらかかなかった。
「いただきます」
 わぁい、とスプーンでふわふわの黄色い氷を掬い、ぱくりと赤い唇が閉じる。
「美味しい〜!」
 満面の笑みにつられて、食べる前から美味しい気分だ。
 俺も眩しい銀のスプーンを口に運ぶ。シロップをかけるより柔らかな甘さと、舌にとろけて消える滑らかさが新鮮で、確かに美味しい。
 平日ならうんざりする目に痛いほどの陽射しも、今日ならば、足水にかき氷日和だと歓迎することができる。
 ぱくぱくと機嫌良く食べすすめていた彼女は、急にぐっと顔を顰めてその手を止めた。
「どうした?」
「頭痛い!」
「ははっ」
 急いで食べるからそうなるんだ。
「うぅ、美味しさと痛みの戦い……」
 こめかみに手を当てて、唸る彼女が可愛い。
「無理するな、俺が食べてやるから」
「だめ、私のだもん」
 さっと器を俺から遠ざけて警戒の顔を向けてくるところも可愛い。
 二人の間を遮るかき氷器を避けると、あげないよ、と急いで食べようとする、子どもみたいな無邪気さが愛おしい。
「取らないよ、ゆっくり食べな」
 ちゃぽ、と足元で水滴が跳ねる。幾重にも重なった波紋が、四本の脚の間で複雑で規則的な線を描く。
 落ち着いて器を膝の上で持ち直した彼女が、かき氷器分の隙間を半分詰める。
「ねぇ消太。あのさ、今夜、花火とかどうかな」
 俺が嫌がるかもしれないと思ってる時の、目線を合わせない提案。
 花火。泊まりでもないなら、せっかくののんびりした休日だ。彼女が望むならばやぶさかではない。
「花火大会あるのか?」
「んーん、普通にここで。実はスーパーの花火コーナー見たらなんだか懐かしくて、買ってきてあるんだけど……」
 それでいいのか。反対するわけもない。
 本当にそんな事でいいのかと、今から行ける距離でどこか花火を上げていないか調べるべきかと、思考して固まった俺に彼女が不安そうな視線を寄越した。
 だめ? なんてスプーンを咥えながら可愛く首を傾げる。
「いいよ、やろう」
「やったぁ! 今日すごい、夏の詰め合わせだね!」
 ぴょこぴょこ肩を弾ませて喜ぶ彼女に満たされる。あぁなんて平和な願いだろう。
 キラキラと陽射しを拡散するプールの中で、素足が触れ合う。
 暑いってのに、こてんと肩にもたれてくる彼女から、夏が香る。
「幸せ」
 ぽつりと、耳に届いた小さな呟きに、心が震えた。
 海水浴や広いプールじゃなく、安くて小さなビニールプール。
 オシャレなお店のじゃない、手作りのかき氷。
 花火大会じゃなくて、スーパーで買ってきた手持ち花火。
 それでも幸せと言う彼女が、好きで好きでたまらない。
 器を置いて、温度の低い手が彼女の頬を攫う。甘く冷たい唇に、少し温くなった俺の唇が熱を分ける。涼しい息を飲み込む、白昼堂々の青空の下での口付けに、プールの水が揺れて戸惑っている。
 悪いか。たまには俺だってそういう気分になる。
 すっかり熱くなった頬から、汗ばんだ首筋を撫でて離れると、紅潮した彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「あのね、えっと、そういうのは花火の後にしよ?」
「ふっ……了解」
 上がった体温を下げるように、彼女は溶けかけたかき氷を飲んだ。
 爪先を泳がせながら、まだ遥か頭上の太陽を見上げる。さっさと沈めばいい、と思う。
 二人の夏を詰め込んだ一日を心の財産にして、明日からも俺は平和を守り続けたいと思うのだ。

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