浴衣大作戦

「ねぇ、ひざしぃ」
「なーんだよ随分できあがってンなァ」
 ご近所の一個年上の幼なじみ、ひざしが居酒屋に到着した時には、私は既に三杯目のビールを飲んでいて顔は赤くなっていた。
「あのさ、今って、夏じゃん」
「オーイェス、紛うことなき夏だなァ」
 生一つ、と喧騒の中よく通る声でジェスチャーまでつけて店員さんに注文したひざしが、向かいの席に腰を下ろす。
 これは、私たちの定期飲み会。いつもの居酒屋、いつもの”飲もう!”メッセージ一通で、時間も決めない現地集合。今日は私からの呼び出しだった。
「夏といえば、お祭り……お祭りといえば浴衣……と、思いませんか?」
「んん、どうしたどうした」
 私が注文してテーブルに並んでいた焼き鳥を断りもなく串のまま頬張りながら、ひざしは口の中に物が入ってると思えない綺麗な発音で私の相談を促す。
「あのさ、相澤くんの、浴衣姿って見た事ある?」
「ン、あぁー、んー、ねぇな!」
 よく考えたうえで、無い。その返答に私は絶望し、へたりとテーブルにおでこをくっつけた。
 だって私と相澤くんは、ひざし経由でたまたま知り合って、つい先日付き合い始めたばかりなのだ。圧倒的付き合いの長さのひざしが、一度も見たことないってんなら、きっとそういう習慣がないのだ。相澤くんは恐らく浴衣を着てお祭りに行こうと誘っても微妙な反応に決まってる。
「ひざしで見たことないなら無理じゃん!」
 頭上の彼はそんな私を無視して、やってきたビールのジョッキを持って、これまた勝手に私の飲み掛けのジョッキにコツンと乾杯をして、ぐいっと煽る。
「っぷはぁー」
「おっさんくさぁい」
「あぁ? んなこと言ってるヤツには協力しないぜェ?」
 普段プレゼントマイクなんて気取ってるひざしのオフの姿にケラケラ笑った私は、その一言にぴたりと黙る。
 ふんふん、なになに、何、私の言いたい事はお見通しで、しかも何か策があると見た。
「よーするに、おまえは、相澤に浴衣を着せてお祭りに行きたい、と」
「さすがっ、ひざしさすが! その通りです! して、なにか秘策が?」
 ひざしは左右の眉の高さを変えて、ふふん、ともったいぶって鼻を鳴らした。
「俺がヒトハダ脱いでやるぜ?」

 ――で。ひざしが言うには、こうだ。
 この辺りで一番大きなお祭りは、ド派手な花火大会がウリの全国的にも有名なお祭りで、毎年警備にはヒーローも参加する。もちろん、毎年駆り出されている相澤も、今年も参加する。
 だからそのお祭りに、二人でデートは無理だ。
 それを聞いた時点で私はやけになって小エビの唐揚げを三個も口に入れた。
 けれどひざしは続けた。警備には休憩時間がある。一旦腕章を本部に返して持ち場を交代して休憩に入るから、本部前にいれば必ず会えると。
 まぁ、いいだろう。その有益な情報には感謝する。そんで、どこに浴衣要素があるのか。
「そこは俺にお任せよ」
 とひざしは自信満々に人差し指をピッと立てた。
「相澤の不審者的な真っ黒な出立ちは、祭りの空気を不穏にするから、浴衣着ろって言うわ」
「通じる気がしない!」
 ずさんが過ぎる計画に爆笑していると、ひざしは大真面目に続けた。
「いやいや、俺みたいなザ・ヒーローっつー目立ち方はいいけどよォ、変に目立つのは避けるべきだろ? それに、現場に溶け込んでた方が、裏での悪事は見つけやすいってモンだし。ヒーローの仕事で服装合わせるのはよくあるから、そんな変な提案じゃねぇよ? てなワケで、お祭りに馴染む服装してくる事に決まったって虚偽の情報伝えとくわ」
 それでいける?! と内心疑ったものの、ひざしがあまりに真剣に語るものだから、ウン、じゃあ、よろしくお願いしますと頭を下げた。
 しかも全額奢った。これで失敗してたらただじゃおかないんだからね、なんて突っつき合いながら、私は今度は新しい浴衣を買うかとか髪型とか悩み始めていたから、恋すると悩みも欲も尽きないというのは本当なのだ。


 そして来たる決戦の日。
 私のすることなんて、新しい浴衣を着て髪をセットして、ひざしに教えてもらった相澤くんの休憩時間に合わせて警備本部のテントに行くだけだ。
 もし何かトラブルが起きたりして、予定通り休憩に入れないとか、結局会えないとなったら、相澤くんは申し訳なくなっちゃうだろうなと思って、事前に誘う事はできなかった。
 完全なるサプライズ。
 だから、予定通りいかなくても、相澤くんから私に連絡が入る事はない。
 期待せずに――なんて言いつつ大いなる期待をしながら、わたあめ屋さんの影から本部テントを見守っていた。
 ひざしが言ってた休憩時間、テントには何人かの出入りがあったけど、やっぱり相澤くんは戻ってこない。
 もしかして少し遅れてるだけかも、と待っていると、テントから、相澤くん、らしき人物が出てきた。
 というか、入ったのも見てたのに、気が付かなかった。
 だって、普段と違い過ぎる。浴衣着て、髪も結んで、捕縛布は腕に持っていたから。
「あ、相澤、くん!」
 慌てて飛び出して声をかけると、相澤くんは私を見つめて、目を見開いた。
「来てたのか」
 グッジョブひざし、やるじゃんひざし、今度お礼するねひざし!
「浴衣、すっごく似合うね」
「ありがとう。ナマエもね」
「ん、ふふ、ありがとう」
 向かい合って、なんだか恥ずかしいやり取りをして。とりあえず褒めたけど、まじまじ見るとかっこよすぎる。
 長身が着こなす紺色の浴衣に、白い帯が映えている。束ねた髪の後毛が、やけに色っぽい。顔まわりに髪がないせいで、いつもよりもその端正な顔立ちがよく見えちゃって、目のやり場に困るよ、ええと、ええと。
「ビールでも飲む?」
 飲まなくても飲んでるみたいな頭の悪い発言に、相澤くんはぷっと吹き出した。
「仕事中だよ」
「あっ、そうだよね、ごめん」
 ドキドキしちゃってわけが分からない。どうすんの、もう三十路になるのにこのトキメキは、落ち着きが無さすぎるんじゃないの。
 相澤くんは、笑いが落ち着くと、いつもの冷静な眼差しで、真っ赤になっている私を覗き込んだ。
「おまえも飲むなよ」
「え……ダメ?」
「ダメ。……俺がずっと一緒にいられればいいが……」
 悪いね、我慢させて。と。頭をぽんぽん撫でられたのは嬉しいけれど、どういう意味?
「私、そんな、暴れるような酔い方しないよ?」
 相澤くんと飲んだことあるのに、悪酔いしてトラブルでも起こすと思われているのかな。人に迷惑かけるタイプじゃないんだけど。
 見上げた顔は、何故か呆れたように眉根を寄せている。
「酔ったおまえが、可愛くて無防備だから言ってんだよ」
「えっ」
 えっ、が心の中で百回くらい連発されて私の頭はショートした。
「休憩、短いけど、少し回ろうか」
 わ、ぁ、そうだよ。可愛い一つでショートしてる場合ではない。私たちの時間は短い。
「行く、あの、射的やってほしいんだけど」
「あぁ、あっちにあったな。ほら」
 ほらってどこ、見えない、と背伸びして、出店の並ぶ人混みの通りを一生懸命観察していると、横からふっと吐息が笑うのが聞こえた。
「手、だよ」
 首を回すと、相澤くんの微笑みに視線が縫い付けられちゃって、固まってると視界の下の方で、そっと、優しく、指が絡まる。
「……ごめん……」
 理解力は酔っ払いレベルだ。全部恥ずかしくて、やだもう。笑われてばっかり。
 私は、きっと耳元首も赤くなっていそうなくらい熱くて、俯いたのにそしたら今度はきちんと恋人繋ぎになってる手が見えて、あぁどうしたらいいの。
「行くぞ」
 と引かれる手。
 迷子にならないための合理的手繋ぎ。そうそう。合理的。きちんと理由があっての。理由があっての恋人繋ぎ? だめだめ深く考えるな私。
 相澤くんと近い距離で、一緒に人混みを抜ける。彼は迷わず射的まで案内してくれて、何が欲しかったか聞いてくれた。私はただ相澤くんが射的してる姿が見たかっただけだから、とうてい取る事が出来そうにない大きな景品を選んでコッソリとカメラを構えた。
「かっこよかった
「取れなかったのに、どこに満足してるんだ」
 怪訝そうな彼には笑って誤魔化して、人の波に倣って歩く。懐かしのラムネを買って飲んでいると緊張は少し落ち着いてきた。あれも美味しそう、お祭りといえばコレだよね、と話してるだけで楽しい。
「ナマエ」
 あちこちから声が飛び交う騒がしい中でも、相澤くんの低い声は耳に心地よく届く。
「なぁに? 食べたいものあった?」
「ん、や。……おまえ、山田と、頻繁に飲んでるのか?」
 舞い上がっていた私は、ひざしの話題にキョトンとしながら着地する。見上げた斜め上の横顔は、どこかばつが悪そうに見えた。
「んー、月に一回くらいだよ」
「そうか」
「ひざしが、どうかしたの?」
 今度は明らかに、唇がむうっととんがった。
「……ひざし、ね」
 ぽつりと零されたのは、明らかに不満を孕んだ声色。
 意図の読めない会話に、言い得ない不安がふつふつと湧いてくる。
「ぁ、相澤くん?」
 なんだかちょっと怖い気がして、繋いだ手にきゅっと力を込めると、相澤くんはハッと私を見下ろして、何故か苦い顔をして頬を染めた。
「言ってくれたら、浴衣着て祭りくらい行くよ。だから、今度はアイツに相談しないで、直接俺に言ってほしい」
「えと……」
 そうなんだ、相澤くんお祭りデートしてくれるタイプなんだ。
 いやいや、そういう話じゃない気がする。ええとつまり、そのこころは。
 察しの悪い私に、相澤くんは更に顔を赤くして、眉間に皺を寄せる。
 歩く速度を落とさずに、彼は私のために噛み砕いてくれた。
「山田に、妬くから、あんまりアイツを頼るな」
 妬く。相澤くんが。ひざしに。
「それは……ごめんね……?」
 考えてみれば、相澤くんを好きってなってから、ひざしへの相談も増えて飲むことも増えて、だから月に一回どころじゃなかったかも。
「いや、言いにくい雰囲気にした俺も悪かった。それに、幼馴染なのは知ってるし、飲むなとは言わない」
 飲むなとは言わない、言わないけどあまりいい気分じゃないって事じゃない?
「え……まってまって、相澤くん、や、やくの? ひざしに?」
「その、名前呼びも」
 ぎゅうっと握られた手から不満が伝わってくる。
 もしかしてっていうかもしかしなくても、今回の浴衣着てほしい作戦は、ひざしから筒抜けなんじゃなかろうか。
 そんで、嫉妬したと、いうことは。
「あ、え、えぇぇ、相澤くん、私のこと、好きみたいじゃん……」
 相澤くんは、ついに立ち止まって、信じられないって顔して私を見つめてきた。
「バカか。好きだから付き合ってんだろ」
 あぁ。
 なんか、遠くで、今年初の大輪の花火が上がってる。










おまけ

飲み会後、相澤と山田の会話。

「――っつーわけで、全員浴衣参加が決定したんで、相澤もヨロシクゥ!」
「んなわけねぇだろ」
「シヴィーなぁ! オイオイどこ行くもう少し聞けよ。な? おまえの愛しのハニーにさ、こーゆー説明でおまえに浴衣着せるって約束しちまったわけ」
「はぁ?」
「どーしても相澤くんの浴衣姿が見たい! って、俺に相談してきたんだぜ? 彼女に免じて着てやれよ。馴染む服装推奨なのはマジな話だし」
「推奨なだけだろ。まぁ、話は聞いたよ」
「ハハハ! 浴衣買いに行くなら付き合うぜー?」
「……うるさい」

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