夕焼けとバースデー

 長く伸びた影を引き連れて、静かな通学路を家へ向かって辿る。放課後取り組んだサポートアイテムの制作がなかなかに順調で、満ち足りた気分だ。私の心を写したようなオレンジ色の夕日が、あたり一面を充実で彩って輝いている。
 そうだ、アイテム制作の合間、山田くんから音声データが送られてきていた。
 私はイヤホンを耳に押し込んで、スマホを操作する。データ共有アプリから音源を再生すると、ジングルもエフェクトもない、彼の素の声だけがトークを始めた。
 私は結局、がっつりと彼のWEBラジオ制作を手伝っている。
 あの屋上での山田くんとの出会いから、日々が急激に動きを早め、あっという間に制服は半袖になった。
 教室内では相変わらず他人とのコミュニケーションは最低限で、けれど悪意を向けられることは無くなった。飽きたのか、気が収まったのかは知らないけれど。ともかく私は、彼のラジオ配信翌日なんかはその事を話題にしてる人がいやしないか、ソワソワと学校に通う事ができている。
 何より、このデータを聞くことができる役得は私に言い得ない勇気をくれて、ほんの少しではあるけれど以前より前向きに他人を見ることができるようになった、と思う。
 目に見えるような変化はないけれど、変化の兆しは確実に私の前でキラキラと瞬いている。
『もうすぐ七夕! 七夕といえばァ? そ! 俺の生誕祭! この世に生まれた瞬間に個性を発現させた、俺の伝説が始まった日よ』
 イヤホンから山田くんが喋る。トークの内容も楽しみつつ、私の頭の中では、どこを調整してどんなBGMをどれくらいの音量で流すかシミュレーションを行う。予定だった。
 七夕が誕生日なんて知らなかった。プレゼントとか渡すべきなのか。おめでとうのメッセージくらいでいいだろうか。生まれた時に個性が発現? それは、また、あの個性でそれは。それであの防音室か。彼はどうして――。
 私の脳内は余計な思考を始めてしまって、ミキサーとしてイメージを広げる余裕がない。
『っつーわけで、今日は俺の耀やかしい生い立ちについて――』
 突然、誰かが脇からさっと追い越して、目の前でくるりと翻って私に影を落とした。ビクっと足を止めて、完全に警戒態勢で目線を上げる。
 目の前には、満面の笑顔の山田くんがいた。
 夕日を背にうけた彼は、私の驚きようを見てしゅるしゅると笑顔を萎ませて眉を下げる。
「ワリ、びっくりさせたな。声かけたんだケド、イヤホンで聞こえなかったみたいだから」
 眉を下げ、手を合わせて、頭をかいて、耳を指差し。声より忙しい身振り手振りが、閑静な通りで山田くんの存在をより大きくしてしまう。
 彼のサプライズ登場に停止していた脳は、やっと働きを取り戻して青ざめる。
 驚かされた事は、それは、別に構わないのだ。イヤホンをつけて歩きスマホなんてマナー違反をしていた私が悪いのだから。そんなことより、まずいことがある。
 イヤホンを耳から引っこ抜いて、素早く周囲を見回して、親指がスマホのロックを解除した。
「あ! 俺の。早速聞いてくれてンの? さっすが仕事はえーもんな!」
 再生中の音源が表示された画面から、メモアプリに切り替える。楽しそうに話しかけてくる彼にわたわたと焦った私は、急いで文字を打って彼に突き出した。
 ――見られる
 ラジオのお手伝いをするにあたって、私は一つだけお願いをした。それは、私がラジオに関係していることを他言しないこと。なぜなら私へ向けられる不満の視線は避けられないと思ったからだ。勘違いも甚だしい嫉妬という感情の籠ったそれは、エスカレートすると睨むだけに終わらない。それは、山田くんのような学内の有名人が相手なら、尚更やっかいな事になるのは目に見えていた。
 彼は私の言う条件を二つ返事で了承してくれた。ヒーローらしく、俺がどうにかしてやる、なんて言ってくれなくて安心したのに。実際彼は学内で私と関わる事は一切無く、食堂で見かけた時なんかもスルーしてくれていたのに。
 それなのに、帰り道に親しげに声を掛けてくるなんて、言語道断にも程がある。誰かに見られたら噂になること間違いなし。山田くんはもっと自分の人気について自覚するべきだ。
「一応、人はいないなぁと思って声かけたんだケド、ダメだった?」
 困ったような微笑みに、彼が約束を忘れたわけじゃないと知って、慌てふためいた私の頭はゆるゆると冷静を取り戻す。
 確かにどれだけ目を細めても、長い一本道の前にも後ろにも人影はひとつも見当たらない。
 ということは、山田くんと一緒に帰る、のか?
 この状況で、離れて歩けなんて言うのも申し訳ないし、見られないなら、まぁ、うん、びっくりしたけど、ダメじゃない。
「よかった」
 彼は私の表情だけ読んで、ほっとしたように前を向いて歩き始めた。
 サングラスが西日を反射して、色素の薄い髪は光に透けて、マジックアワーが彼を溶かす。
 足音は二つ、少しだけズレたペースでアスファルトを踏む。脚の長さの違う彼が私より前に出ないのは合わせてくれているからだ。
 私は、山田くんと、帰り道を歩いている。
「ラジオどう、どこまで聞いた?」
 陽気な声が横から降ってくる。この状況に、言語化できない戸惑いが脳の容量をほとんど使ってしまって、彼の質問を処理するのに五歩分も時間がかかった。
 ラジオ、どこまで。私は握りしめていたスマホで再生時間の画面を見せ、まだ聞き始めたばかりだと彼が認識したのを悟ると、それからメモアプリに文字を打つ。
 ――大変だったんだね。生まれた時から個性が出てたって。
 生まれた瞬間から個性の制御を会得しているわけもなく、そして、ちょっと静かにしてね、を理解できるはずもない。
 どんなに明るく話したって、ラジオのネタにできたって、きっとたくさんの苦しみと努力があったはずだ。どうして私みたいに暗く沈まず、こんなに常にハッピーって感じでいられるんだろう。
「んー? ああ、そうネ。かなーりキツい時期もあったけど、それが全部悪影響っつーわけじゃないっていうか」
 そんな事あるだろうか。苦しみはトラウマだけを心に植え付けて、ストレスは体に異常をもたらすのに。悪影響以外の何があるの。
 幼い頃、知りたくもない他人の本音が勝手に頭に流れ込んできて、傷ついたり気持ち悪かったりした。個性の制御ができるようになっても、だからって、頭の中を読まれる可能性があるなんて嫌がる人が大多数だ。避けられて、疎まれて、声が出なくなって。そんな経験が何に活かされるの。
 怪訝な面持ちに気づいて、トークが続く。
「俺も一時期、喋れなくて。っつーか、笑うのもできねーし、泣くのすらできねぇの! 俺がワンワン泣いてみろ、無差別テロだろ?!」
 山田くんは、ハハハ、と大きな口を開けて笑う。
 どうして笑って話せるのか理解のできない私は、黙って唇を引き結ぶ。
「そのフラストレーションがァ! 今こーして俺に極上のトーク力をなぁ!」
 手振りをつけて、それはまるで勝利の演説みたいに、誇らしげに。その輝きは、強がっているわけでもなく、しなやかな芯を持っている。
 山田くんのように勝利を語れる日が本当に来るものなのだろうか。私も、何もかも乗り越えて、あぁそんな頃もあったね、なんて笑い話にできる日が来るのだろうか。
 ――どうやって、乗り越えたの?
「ん……まァ、制御を覚えたってのもあるし、色々だけどな。一番はさ、だって、ラジオに乗った声は人を傷つけないだろ?」
 細めた瞳がサングラスの隙間から私を見る。どきりと、心臓が震えた。
 彼の見ている世界の一端に触れて、私の何かがぱちぱちと煌めく。
 前に向き直ったサングラスの奥、宝石のような緑に別の色も混ぜて、なのに濁りなく澄んで、確かな希望を見つめている。
「俺の声は個性の範疇を出て、人を救うって、気付いたんだ」
 個性は傷つけるだけじゃない。
 はっきりと根拠を持った言葉が、優しく強く暖かく響く。
 私の個性だって、ラジオリスナーの心まで読めやしない。メッセージを送ってもらわないと、人の気持ちに触れられない、誰も傷つけない。
 それは理解しているようでしていなかった、古くて新鮮なコミュニケーション。
「そんで、個性込みでも、人を救う男になんの、俺は! くぅ、かっこいいぜ! 痺れるだろ?!」
 類稀なる努力が、勇気が、葛藤が、自信たっぷりの笑顔の裏に垣間見える。忖度でもお世辞でもなく、彼をかっこいいと言わずして誰に言うっていうの。
 かっこいい。
 しびれる。
 かっこいいね。
 言葉には出ないけど、心の底からそう思う。
「な?」
 目を細めて笑った山田くんがパッと私へ顔を向ける。横目でその得意げな顔を見つめて、こくりと頷いた。
「へ」
 素っ頓狂に裏返った声に流れは止まり、山田くんは口を半開きにしてぽかんと黙った。
 並んだ足並みは乱れ、私だけが二歩も進んでしまって、振り返る。
 山田くんは力の抜けた顎をぐっと閉めて、ブンブン首を振った。
「や、なんでもない!」
 何か変な事でもあっただろうか。首をかしげた私に、山田くんはニカっと歯を見せた。
「ミョウジサンの笑った顔見れたから、今日はなんか、スッゲーいい日!」
 え?
 それだけ言うと彼は、私を追い越して駅への道を駆け出した。さっきまで並行を保っていた長い影が、私の靴を撫でてパタパタと流れて行く。前方遠くに、雄英の制服を着た人がまばらに見えていた。
 頬が緩んだ気はしたけれど、彼の笑顔からはほど遠い私の表情筋の気まぐれが、どう作用して彼の今日をいい日にしたのか。私が笑ったから、何だっていうのか、それだけでいい日などと。理解できないけれど、その声色は嘘が無いように思えてしまって、私は元々ない言葉を失う。
 スッゲーいい日になったのは、私の方です。
 頬が、夕日のせいにするには赤すぎる。
 私は両手で顔を覆ったまま、しばらくの間そこから動けなかった。

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