唇とプレゼント

 彼と恋人という関係になってから、季節が一巡りして、また夏がやってきた。
 冬のうちに二回熱愛発覚の記事ですっぱ抜かれたけれど、それすら私たちの間に波風を立てることはできない程度には、しっかり仲良くさせてもらっている。
 ちなみに、ゴシップは二回とも私は関係なくて、山田くんはガッデムを叫んでいた。
 一回目はラジオの打ち上げで、先に外に出たら追いかけてきた女の子のスタッフと写真に撮られ、大勢いたのに二人きりで食事と書かれたらしい。二回目は、ラブホの駐車場から聞こえた悲鳴に駆けつけて、助けた女の子と出てきたところを撮られてラブホ密会と書かれたらしい。なんと演技の悲鳴に引っかかってハメられたって言うんだから、芸能界とは怖いところだ。
 つまり、ヒーローとしてもDJとしてもその知名度はうなぎのぼりで、有名税を払わなきゃいけないほどの人気で大活躍を続けているのだ。
 山田くんと協議の上、私たちは関係を公表しない事を決定しているので、必然的に外でデートをすることは少ない。どちらかの家で一緒の時間を過ごすことが多い。
 山田くんのお家はインテリアもおしゃれで、家電も充実していて、観葉植物もあるし、キッチン道具も同じブランドのもので揃っているし、肌触りのいい高級そうなタオルがいっぱいあるし、香水が数種類並んでいるのも見たし、シャンプーも海外のやつだった。
 何が言いたいかっていうと、デートや旅行に出ない、そして家の中は充実、で、私はこの一ヶ月ほど彼の誕生日プレゼントに頭を悩ませているのだ。

「バースデープレゼントォ?」
 山田くんは、左右の眉の高さを変えて、スマホから顔を上げた。
 コクコク頷くと、うーん、と顎に手を当てて考え始める。
 私は、悩んだ末、ついに本人に直接聞くという最終手段に出てしまった。
 高校生の、ラジオを一緒に作っていた頃にも彼の誕生日があった。わざわざプレゼントを渡す仲か微妙な気もしたけど、一応、消え物ならば迷惑にはならないだろうと、バスボムを買った。トレーニングの疲れがお風呂で癒せたらと思って。でも、なんだか女子っぽすぎるかなとか、センスないかなとか、逆に気を使わせるんじゃないかとか、プレゼントを渡す相手としての距離感を測りかねた私は、結局渡すことができなかった。
 それを踏まえて、本人のリクエストを聞くのが一番だという結論に至ったわけで。
「ううーん、ミョウジサンがくれるなら、何でも嬉しいケド」
 それじゃ困るから聞いてるのに。
 不満を込めて見つめると、山田くんも、だよなァ、と困ったように微笑んだ。
 数秒の間の後、彼の頭の上にピコンとライトが光る。
「プレゼントはお揃いのモノで、それと、一番に祝って?」
 一番に? きょとんとしていると山田くんは、にひ、と歯を見せて笑った。
「六日、平日だけど、泊りに来てくンない?」
 なるほど、そういうことなら。



 山田くんの部屋の上質な革張りのソファで、二人並んで壁の時計を眺める。ワインはもう一足先に開けてしまった。
 十一時五十九分。秒針が底辺を回ったところから、私はソワソワがマックス。山田くんが、隣で、セルフカウントダウンを始める。
「さん、に、いち、ハッピーバースデー俺!」
 七月七日を迎えた瞬間、私は目一杯パチパチと拍手をして、膝の上に用意していたプレゼントを差し出した。
 リクエストのお揃いは、キーケースにした。用意されているのを見ていたにも関わらずオーバーにリアクションをした彼は、ラッピングを丁寧に解いて「サンキュー」と微笑んだ。
 そしてもう一つ。差し出された小さな本に、山田くんは目を丸くした。
 お誕生日おめでとう!
 それすら声で言えない私は、せめて伝えられる手段で彼をお祝いしようと、ハートのたくさんついたメッセージブックに日頃の感謝を書き込んだ。
 恭しく小さな本を受け取って、綺麗な指先がそっと私の気持ちを開く。
 学生みたいな手作り感にどうか引かないでほしい。この一年近く、一緒に食べた料理や、ドライブ先の景色、照れながら二人で撮った写真を、可愛いマスキングテープやペーパーで彩ったコラージュ。
 綴った想いはありったけでも、文字にするとなんてありきたりになってしまうんだろう。そんな不安は、文字を追いかける山田くんの顔を見ていたら吹き飛んでしまった。
「あ、待って。泣くかも」
 思い出の写真とメッセージから顔を背け、キッチンの方を見つめた山田くんは、耳を赤くして大きな深呼吸をひとつ。
「オーケーオーケー、ちょっと心の準備ができてなかった。プレゼントは、あると思ってたけど、こりゃずりぃな。すっげぇサプライズ」
 小さく鼻をすすって、ヘラリと微笑んだ彼は、またページへと視線を戻す。
 こんなに喜んでくれるとは思ってなかった。何しろ、ずっとファンだったから、したためる想いはいくらでもあって、それをひたすら書いただけだから。
 綺麗なペリドットが小さく揺れながら、写真の周りを飾る文字を追ってページをめくる。
 時々震える髭が愛らしい。
 ちょっと照れ臭くてこそばゆい時間は、山田くんからのハグで締めくくられた。
「ハァ。どーしよっ。好き」
 ぎゅうっと私を抱きしめる腕が、DJの彼の口よりよくよく愛を語っている。
 山田くんのスマホは、さっきからブーブーと何度もバイブを鳴らして、たぶん誕生日を祝う言葉があちこちから届いている。
 けど約束通り私が一番に、おめでとうが、言えてないけど、伝えられたはず。
 熱烈なハグを緩めた彼は、こてんと私の肩に頭を乗せて寄り添ったまま、もう一度、その一ページ目を眺めた。
 初めてデートした水族館で、山田くんがこっそり撮ってたツーショット。水槽を楽しそうに眺める私と、カメラ目線で悪戯に微笑む山田くんという、アンバランスな二人が四角に収まっている。
 山田くんお誕生日おめでとう、から始まる直筆を指でなぞって、彼は私の手を握った。
「なぁ、あのさ、プレゼントにひとつ、お願いがありマス」
 なぁに、と首を傾げると、金色のまつ毛がパチリと一つ羽ばたいて、上目遣いに私を覗き込んだ。
「ひざし、って呼んで?」
 ふわっと顔が熱くなって、出したくもない涙が涙腺からじくじくと溢れ出す。
 うん、と頷いて、笑顔を作ろうとした頬が引き攣った。むず痒い恋人らしい申し出が嬉しくて、でもそれと同じくらい、悔しさが心を蝕む。
 山田くんの呼んでが、そういう意味じゃないことは分かってる。わかってる。文字で話す時に、ひざしって書けばいいのだ。そういう二人の距離の話。
 山田くんは、私の声が聞きたいとか、どんな声だろうなぁとか、喋るのにチャレンジしてとか、一度も言ったことがない。
 コミュニケーションも問題ない。文字でも、表情でも、もう慣れたものだしうまくやってる。
 だからこれは私の勝手な、呼びたくて、叫びたくてたまらない、もどかしい気持ちを消化できない私の琴線が、山田くんの意図しないねじ曲がった受け取り方で震えたのだ。
「ごめん、そーじゃなくて」
 分かってる、ごめん。
「ン……そんなに俺の名前呼びたいなんて、愛されてンなァ」
 そうなの。好きなの。
 おめでとう、ひざし、すき、ありがとう、全部声に出せたら。声に出せたら。
 私は、私を抱き寄せようとした山田くんの腕を止めて、その膝に跨って座った。
「ンえ?! どーした?」
 音にならないだろうけど、今できる精一杯を。あげたい。
 山田くんの、私よりだいぶお肉の薄い頬を両手で包む。戸惑って丸くなった緑の宝石が、きらりと光って私を写している。
 鼻からすうっと息を吸い込んで、山田くんを睨む。
 私は、慎重に、唇を動かした。
「…………」
 三回に分けてただ息を吐き出しただけ。やっぱり音は出ないのに、山田くんは、花咲くみたいににっこりと微笑んだ。
「聞こえた」
 バカだな、聞こえるわけないのに。
「もう一回」
 そうねだったくせに、首を撫でた手に引き寄せられて、唇は塞がれてしまった。こんなんじゃ喋れる人だってうまく言えないだろう。唇を動かして、彼の唇に直接、その名前を紡ぐ。
 私の『ひざし』はちゅっと可愛いリップ音に変わって、確かに鼓膜に届いた。
「聞こえたよ」
 ひざし。ひざし。そーゆーところが好き。私を肯定してくれる、弱いところも全部包み込んであったかくしてくれる。
 心の中で唱える名前に、返事するみたいに、ひざしは「ん?」と片眉を上げた。
 もう一度、私から顔を寄せる。
 柔らかく隙間を開けて触れ合った唇を、す、き、と動かすと、それはひざしに食べられてしまった。
 しっとりと奪われた声は、小さな水音になって愛を歌う。
「リップサービスが激しくねぇ? 止まらなくなりそう」
 おどけた口調に、ふふ、と涙を溜めたまま微笑むと、ひざしは喉仏をぴくりと動かして、ぐっとおかしな声を出した。
「かっわいい……すげー愛しい。声とかどーでもいいくらい、笑顔がめっちゃ喋ってる。声で呼ばれたらヤバいかも……」
 ひざしは、私の肩にぐりぐりとおでこを押し付けながらロングブレスのため息を吐いた。
「ね、もう一つ」
 顔を上げた彼は、あざと可愛く首を傾げる。瞬き一つで先を促す。
「俺も、名前で呼んでいい?」
 もちろん、と頷くと、ひざしは嬉しそうに目を細めた。
「ナマエ!」
 あ、これは。
 声にされたらヤバいの意味がよく分かった。みるみる顔が火照って、耳まで燃えるように熱い。
 追撃を放とうとニヤリとしたひざしの大きな口を、慌てて両手で塞いだのに、もごもごしながら、何度も、何度も、彼は私を呼んだ。
 誕生日だから許して? を挟みながら。
 まだ誕生日は始まったばかり。
 寝るまでと、起きてからと、仕事の後合流してからと。
 首を振っても、頬を膨らませても、楽しそうに私を追いかけ回して、ひざしはたぶん百回くらい私の名前を声にした。
 言い換えると、一日で名前呼びに慣らされた。ひざしの誕生日なのに、私の方がたくさん貰ってしまった。

 私はこっそりと星に願う。ひざしがこの一年を健康に過ごせること。

 それから、こっそりと胸に誓う。いつか声が出たら、絶対にやり返すんだからね。


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