個性と防音室

 昨日、私は彼の熱意に押されて、ラジオの編集を手伝うと頷いてしまった。
 そして、今日、私は山田くんの家に向かっている。
 親しい友人としてではなく、あくまでもラジオのために。というのも、私は昨日イエスと頷いた後、とても難しい顔をしてしまったのだ。
 やってみたい気はある、けれども、本当にラジオ作りで力になれる自信は無くて。何しろ経験も知識もないから、可能不可能の判断材料が不足している。
 出来ないかも、と伝えると、内心嫌がっていると取られるだろうか。嫌なわけじゃなくて、自信がないだけだけど、でも迷惑そうだと思われて彼が手を引いてしまわないだろうか。中途半端な技術では期待に添えないかもしれないし。などとごちゃごちゃと考えて、何をどう伝えればいいのか分からなくなった私は、スマホに添えた親指を止めて唇を噛んだ。
 そんな私を見て、山田くんが不足している情報を集める機会を提案してくれた。
 無理そうだと思ったら断ってくれて構わないから、まぁとりあえず機材やデータ見に来てよ、と。逃げ道まで残してくれた彼の優しさに、私は異世界を覗く決意をした。
 放課後の道を、スマホを確認しながら歩く。
 あの時流れるようにトークアプリに追加された彼の連絡先。本日の主役、と書いたタスキをかけた山田くんのアイコンが、少ない友達一覧の中で異彩を放っている。
 そのアイコンが私にメッセージを送ってくるのだから、とっても不思議な気分だ。
 送られてきた住所をルート検索して、初めての道を進む。だんだん大きな家ばかりになって、街路樹がやたらと綺麗に整備された通りは私に不釣合いで不安になる。本当にこっちで合っているのか何度も画面を確認した。ここを曲がったらすぐ、とのナビに従って角を曲がると、外で待っていた山田くんが、パッと晴れた顔で手を上げた。
 辿り着けた安堵と一緒に、家の大きさに驚いて、やはり場違いを感じずにはいられない。
「迷わなかった? ちょっと遠かっただろ」
 明るい声が歓迎の意思表示をしてくれる。いらっしゃいませ、なんて畏まった誘導をされて、ぺこり、頭を下げて敷居をまたぐ。
「ごちゃごちゃしてっけど、ま、見ないフリしてもらって。こっち」
 他人の家の匂い。プライベートな空間に踏み込むこそばゆさに、無意識に肩を狭める。友達、と言っていいのか分からないけど、つまりその、同級生の家に遊びに行くなどは、ほぼ初めての体験だから。年相応とは言えない緊張が恥ずかしくて、私はできるだけ落ち着き払って、無垢材の床を踏みしめた。
 二階への階段はスルーして、リビングを抜ける。ごちゃごちゃなんてしてない。たくさんのインテリアや壁に飾られた写真は、ごちゃごちゃというよりそういうセンスの塊だ。それに山田くんの幼い頃の写真がたくさんで、ご両親の愛と暖かな家庭を感じさせる。
 じろじろ見るものでもないかと、目の前の背中を追いかけると、その足は重厚な扉の前で止まった。
「サァ、どうぞ俺のプライベートブースへ」
 ぐっと体重をかけて、扉は開かれた。
「防音になってンの」
 ベッド、デスク、パソコン、マイク、コンポ、レコードプレーヤー、たくさんのアナログディスク。
 一見音楽のための防音、にも見えるけどこれは違う。山田くんの個性のための部屋だ。子供向けの壁紙がハイセンスなレコードジャケットで飾られている。
「そのへんにくつろいで!」
 小さなローテーブルには既にコップが二つ置かれ、緑茶の薄緑の中に氷が浮かんでいる。
 制服のスカートを撫でながら、示されたテーブル脇にぺたんと座ると、彼はパソコンの電源を点けた。ぶうんと慣れ親しんだ起動音に心が緩む。
「とりあえずさ、俺のアーカイブは、聴いてくれるモンとしてェ――」
 まぁ、ほぼほぼ聴いてます、と頷く。
 私はミックス――つまり、録音した山田くんのトークをトリミングしたり、BGMを重ねたり、内容に合わせてエコーなどのエフェクトをかけたり、なんていう作業をパソコンでする役割になる。
 録音機材、最新の編集中データ、それに、こんな風にしたいって憧れのラジオ番組を一緒に聴いたりして、できそう、とイメージが固まってきた。ふむふむ、ウン、こんな感じなら。
「アッ」
 山田くんは突然立ち上がり、素早い動きで部屋のドアを開ける。床に落ちていたドアストッパーを足でひょいと寄せると、コンと蹴って重い扉の下にねじ込んだ。
 私が頭にハテナを浮かべていると、彼は元いた場所に戻ってきて、気まずそうにギクシャク腰を下ろした。
「あー、あのホラ、防音の部屋でさ、そのォ、女の子と二人なんて、アレだろ!
 ど、どれ。
「やましい事はナイ! んで、逃げれる! OK?!」
 お、おーけー……?
 やましい事って何だろう。山田くんが、私に対して何かするわけもない。それに、防音の部屋も何も、私はそもそも声が出ないわけだから、防音が私にもたらす影響なんて……。
「アッ、いや待って、防音は、ちげーな忘れて! や、アレだほらドアが重いから!」
 山田くんは手をぶんぶん振りながら派手に前言を撤回した。首を傾げていると、取り乱した様子の彼は、恥ずかしそうに顔を両手で覆ってテーブルにゴンと額を打って突っ伏した。
「俺っ、なんかミョウジサンと、フツーに喋ってる気分で」
 その言葉に、はっとする。
「だって、俺の話聞いて、もっと説明してほしいとか、理解したとか、伝わってくんだモン……」
 そうだ。私はここに来てから、一度も彼にスマホで意思を伝えていない。私の表情や佇まいから、何でも察してくれる彼とはまるで確かに、普通に会話してるかのようなテンポの良さがあった。
 いつの間にか緊張が消えていたのはそのせいかもしれない。
 あぁ。なるほど。
 彼が私を、ラジオに誘った理由は、そういうことか。疑問と答えが同時に輪郭を持ち、胃の中にストンと落ちる。
 さっき廊下とリビングを通る時に目に入った写真で、幼い山田くんと写るご両親は必ずイヤーマフを付けていた。それは山田くんの個性から耳を守るためだろう。そしてこの防音室だ。彼はつまり、幼少からの個性をコントロールできず、この部屋で多くの時間を過ごしたのだろう。
 理解のできる年齢になったら、さぞ声を出す事が怖かっただろう。
 つまり彼は、ひとりぼっちで孤立して声の出ない私に、過去の自分を重ねて、ってコトでしょう。私の個性は声とは関係ないけれど。ああ、だから昨日声が出ないのは個性関係か聞いてきたのか。おせっかいというか、放っておけない性格はまさにヒーロー課然としていて眩しさすら感じる。
 ただ、私の個性は声じゃない。優しさで私と関わろうとしてくれている彼には、その事を、言っておかなくちゃいけない、気がしている。
 突っ伏していた顔が、ちらりと私を伺う。
 気にしてませんよ、の表情を読んで、彼は困り眉のまま微笑んだ。
 山田くんの家に来て初めて、スマホに文字を打つ。
 ――お気遣いありがとう。
 理由が、同情であれ共感であれ、嫌な気なんて少しもしなかった。むしろスムーズな意思疎通が心地よくて、楽しかった。
 ――自分のパソコンでやってみたいから、データ送って。
「オーライ! だよな? できそーって顔してた!」
 嬉しそうに大きな口を開けたいつもの山田くん。その声は少しだけ、空間に響いて、開け放したドアから漏れる。
 できそう、なんならやってみたいってくらい興味あるよ、楽しそう。けど、その前に、こうやって私と関わろうとしてくれる彼に隠してちゃいけない事があるの。
「ん? なんか言いたそうだなァ?」
 ――私の、個性のことなんだけど
 嫌がられるだろうか。いいけど別に。
 ――人の心が読めます
 ほら、文字を追うグリーンが揺れた。みんな、だから私に近づかないの。
 ――使わないようにしてるけど
「そーっかァ」
 山田くんは、嬉しそうに、照れたように笑った。それは少しの沈黙も迷いもなく、好きなアーティストの話でもしているみたいに、自然に。
「教えてくれてアリガトな! あー、なるほどなぁ」
 え? どうして。思ってたのと違う。
「ついでに声の出ねぇ理由なんてのは」
 ――心因性だから、個性の発動とは関係ない
「おっ! んじゃー、そのうちオハナシできんのな!」
 できないよ、もうずっと、声が出ないままだもの。
 というかもっとあるでしょう、心を読まれる可能性考えたら、発動条件とか効果範囲とか気になるもんじゃないの? そんな詮索なしにどうして、誇らしそうな顔するの。どうしてオハナシできる日を楽しみにできるの。
「へへ。他に言いたいコト聞きたいコトは? 遠慮すんなよ?」
 遠慮とかじゃなく、今まで得た事のない反応に戸惑って、思考は粘度を増してちっとも巡らない。首をふるふると横に振った私に、山田くんは驚きの声を上げた。
「マジで?! こーんなにレトロレコードあんのに気にならねェ?!」
 そんな話、やだ、心が解ける。
 警戒を微塵も持たない彼に、重大発表を他の話題で吹き飛ばされてしまった。身構えていた心が対戦相手を失ってつんのめって転ぶ。
 個性は使いたくないから、使わないようにしてる。けど使えるんだよ。でも、だから私は、そのヒーロー性が由来の優しさを勘違いすることはない。
 オーライ、大丈夫。二人で、楽しいラジオを作りましょう。

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