ルーズリーフとサングラス

 春の鮮やかな青が、遮るものなど何もない屋上へ柔らかに降り注ぐ。
 私は、命の希望に満ちた緑の息吹を感じながら、ポケットからルーズリーフを取り出した。折り畳まれたそれを開くと、私を傷つけるだけの言葉たちが乱雑に並んでいる。
 なんて、くだらない。
 紙の端を両手で摘んで、片手だけ引く。折れ線に沿って、びりりと真っ二つになる誹謗中傷。重ねて、また半分に。もっと。細切れにちぎりまくって、拳の中にまとめて振りかぶる。
 全力で投げても、力なんて受けてないみたいに短い飛距離で、紙は無風の中を舞う。黒のインクをまるで無かったことにして、キラキラと光を受けて無限に翻る。
 下から、ぽかんとこちらを見上げるサングラスに気がついたのは、手にくっついたカケラまでぜんぶ落とし終わった後だった。
 運が、悪かった。いや、そういう運命だった。
 私の投げ捨てた紙吹雪を見上げていた彼は、ヒーロー科の有名人、山田ひざし。
「ヘーーイ! そこッ! 動くなよ!」
 馬鹿みたいに大きな声が、馬鹿みたいに校庭に響き渡る。ビシッとこちらを指差していたはずの彼は、瞬きする間に校舎へと消えた。
 想像の倍早く、ドアの向こうの足音が彼の到着を知らせた。バンと開けたドアノブを握ったまま、息を切らした彼はハァイとフランクな笑顔で片手を上げた。
「桜の妖精かと思ったぜ」
 春に似合う朗らかな声が放ったのは、まさかの、春に似合わない寒い冗談。こんなナンセンスなことをリアルで言うなんて。そんな冷めきった感想が視線で伝わってしまったのか、彼は片眉を上げて肩をすくめて微笑んだ。
 屋上と廊下の境界線を踏んでいた足が、一歩、私との距離を縮める。
「俺は山田ひざし、ヒーロー科二年A組! 個性はヴォイス! 趣味はラジオ!」
 知ってる。雄英の生徒なら私に限らずほとんどの子が知っている。一年生の時から、体育祭でも学校祭でも目立ってたもん。独特な髪型、派手なサングラス、それに、ラジオも。
 ポケットに手を突っ込んでゆっくりと近づいてきた彼は、柵際で下界を眺める私の横で止まった。
 私は、黙る。黙るしかないから。
「いーい天気だなァ、放課後は貸切で最高だな、ココ」
 ンー、と両手をあげて伸びをした彼は、青い空気を全身に浴びて爽やかさを撒き散らした。
 自己紹介して、お次は天気の話? 意図が不明で反応に困る。この人は、紙を投げ捨てたことを咎めるでも理由を聞くでもないのなら、一体なにをしにここに来たのか。
 私の訝しげな顔を見て、彼はフゥと小さく息を吐いた。
「何してたのか、問い詰めにきたわけじゃねェよ? キミが幻か人間か、確かめに来ただけ」
 太陽みたいに明るい笑顔の彼は、黙って俯く私の視界の外で、お節介がどうたらとか女の子が困ってたらどうたらとか、訳の分からない事を喋っている。
 よく回る口。私と正反対の。
「なぁ、名前は? 同じ二年だろ? サポート科かぁ」
 制服を見て勝手に私の身分を明かした彼は、全く反応しない私に、少し困ったように口を噤んだ。ノンストップだったBGMが途切れて、暖かな静寂に春だけが聞こえる。
 ざり、とスニーカーが床を擦る音に、視線は彼へと向く。
 彼は、山田くんは、柵に背中を預けて空を見上げていた。その、鼻筋のきれいな横顔は穏やかで、黙ったままの私に気まずさを感じている様子は無い。
 ぱちりと、まつ毛が上下して、その違和感にじっと見つめてしまう。
 ああ、横から見ると目が見えるんだ。さっきまではサングラスに隠されて分からなかったけど、その瞳は、春の若葉のような輝くグリーンを湛えていた。
 隠されていた宝石に魅了される。
 綺麗。
 ふわふわと抜けるような青に漂う雲が、彼のサングラスに模様を描く。宝石は動かないのに、光が夢幻的に揺らめいている。
 時間を気にかける様子もなく、私を無理に喋らせようという気もないことが、遠く空を眺める瞳から伝わってくる。私も、居心地が悪いとは思わなかった。それに、無視してここを去るなんてのも非常識だ。
 私は、ポケットからスマホを取り出して、メモアプリを開く。
 ――私はミョウジです。声が出ません。耳は聞こえます。
 すすすと指を滑らせて作成した、簡潔な文章。彼に画面を向けると、黙ってそれを読んでわっと口を開いた。
「ミョウジサン! なるほど、それで一言も喋ってくんなかったのね。OK、把握した。教えてくれてサンキューな」
 沈黙が嘘のように、言葉が張り切って飛び出してくる。
 声が出ないと知っても、彼は会話を止める気はさらさら無いようで私の反応を待っている。別に、と軽く首を振ると、何が嬉しいのか、彼はへへへと笑った。
「声がでねーのは個性関係?」
 私は視線を逸らして肩を竦める。さあ何でしょうね、あなたに話す事でもありません、の、線を引く意味で。
「ふぅん」
 彼は口笛を吹くみたいに唇を小さくして、それから何か思案するようにまた空を見上げた。私の指先は次の言葉を作成する。
 ――声が出たとしても、山田くんのラジオみたいに話せる日は来ないと思う
 なぜ声のことを気にかけてくれたかは知らないけれど、私はどっちみちあなたと楽しくお喋りする日は来ませんよ。と。
 なのに彼は私の自虐には目もくれず、嬉しそうにサングラスからはみ出すほど瞳を輝かせた。
「俺のラジオ聴いてンの?」
 頷けば、ひひ、と歯を見せて、嬉し恥ずかしそうに鼻の下を擦る。
 何を隠そう、友達が少なく学内情報に疎い私は、彼のラジオから最近の噂や流行を捉えていた。ミーハー精神より実益重視とはいえ、立派なヘビーリスナーだ。
「サンキューリスナー! これも何かの縁だから、今週はミョウジさんの好きなトークテーマでフリートークするぜ! リクエスト、ショーミー!」
 ツンツン、と彼の指先がスマホをつつく。
 私がリスナーだというのは余程彼を喜ばせたらしい。さっきまでと段違いのテンションで、饒舌が増した。さっきまでだってあんなに喋っていたのに、それ以上を出すのかと驚いてしまう。
 テーマ。彼のラジオのトークテーマは、何がいいだろう。先週は体育倉庫の怖い噂についてだった。女子がよく盛り上がるのは恋愛トークのあった翌日だから、ええと。
 ――気になる子と距離を縮めるテクニック、とか?
「イェア! なかなか刺激的なテーマじゃねェの! さてはコアなリスナーか?」
 眉を顰めて小首をかしげてみる。そんなでもないです、の態度。彼は顎に手を当ててむぅと考えて、それからニヤリと笑った。
「ははーん、わかっちゃったぜ」
 なに? と首をかしげる。
「さては君、恋愛のお悩み抱えちゃってるな?」
 呆れた。私の目は半分になる。山田くんのラジオで人気になりそうなテーマを上げただけだし、私の悩みは恋愛なんかじゃない。
 ――大はずれです
「シヴィー!」
 彼はハハハと快活に笑って、あ、と拳で手のひらを打った。
「そうだ! あのさ、ラジオ手伝ってくれたりしねえ?」
 はぁ? 突拍子もない申し出に、ますます顔が歪む。
 ――喋れないのに?
「ミキサー募集中なのよ。音源編集、興味ない? サポート科は技術っぽいからワンチャン、それにヘビーリスナーだって言うし? なぁ、お願い!」
 ――音楽作るのは好きだけど
「マジで?! 逸材じゃねえか! 奇跡だな!」
 ――ラジオの編集はしたことないよ
「じゃーさァ、まず一回! このとォーり! この運命に免じて!」
 彼は、手を合わせて頭を下げる。ぎょっとした。捲し立てていた言葉はシンと鎮まり、戸惑う私の前で彼は停止している。
 私なんて、何の経験もない、初対面の、普段会わない別の科の、紙ばら撒いてた変人の、声も出ない謎の女だ。ヒーロー科の有名人が募集かければ即人が集まるだろうに。彼に、そんな、私なんかに必死に頼む理由が分からなくて、そんな、へりくだった事しなくていいのに。変に気持ちが焦って、ぞわぞわする。
 首を振っても頷いても、逆立った髪の頂点をこちらに向けてる彼に私の意思は届かない。だから、その、頭の前で合わさった手を、綺麗に整えられた爪の指先を、握った。
 パッと顔を上げた山田くんのサングラスの上から覗く瞳が私を貫いた。彼の懇願の手は、私の指から逃れて、ぎゅっとスマホごと私の両手を包む。あ、と後悔する間もない。肯定と取られた触れ合いに、彼の笑顔が弾ける。
「サンキュー! 助かるぜ! 気楽に、な? 俺がミョウジサンの分もガンガン喋っていくから、ヨロシク頼むぜ」
 何がヨロシクなのか全く分からない。分からないのだけれど、こくり、ゆっくりと、頷いてしまった。
 春の陽射しによく似合うその緑の瞳に魅了されて、私の世界に新しい風が吹き始めた。

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