シュトーレンに混ぜる懐疑

 どうやら、私と相澤さんは両想いらしい。
 ぴょんぴょん跳ねて喜びたいのに、安易にそうできないのにはいくつかの理由がある。
 その一。相澤さんは忘れられない女性がいる。その二。その彼女と私がよく似ているために気になっているだけかもしれない。その三。私は、彼が好きだと言ってくれたところで過去の彼女に勝てる気がしないので、いずれ惨めになりそうだと心配している。
 この一から三については、おそらくデートの末に、もしくはその後も仲良くお食事などをしていくうちに、懐かしさと愛情の判別がつくようになったり、相澤さんからの好意を素直に受け取れるようになったり、するのかもしれないと思う。
 けど、もう一つ気がかりな点がある。
 忘れられない相手がいるのだと聞かされて、ぴしゃり、燃え上がっていた恋に水をかけられて温度が少し下がったのだ。鎮火することはないものの、のぼせ上がっていたいた頭は冷静さとマイナス思が付け入る隙を生んだ。そしてもやもやと不安になったのだ。
 その四。すごく気が合う。それはもう、不気味なくらいに。
 けれどこれは私の自己肯定感の低さからくる悲観で、考えすぎだとわかっている。だって、相澤さんが私の好みを把握できる手段がない。
 私がたまに自分へのご褒美で買うお気に入りのマカロンも、得意のパキスタンカレーも、おでんの薬味は七味なのも、クリスマスといえばチーズフォンデュなのも、周りに吹聴していたわけじゃない。たとえ、昔の彼女に似ているからって私のことが気になって、懐柔するために身辺を調査したとして、どんなに高度なストーカー技術があっても、仮に部屋を盗聴してたとしても、知りようのない情報。
 全ては、運命的に、抜群に趣味の合う人と巡り合ったと。そういう事。それ以外ない。
 不穏な妄想を振り払って、両想いだって部分だけにフォーカスしていこう。
 顔がとってもタイプで、声も素敵で、気だるげな雰囲気もツボで、厳しさと優しさを併せ持っていて、ヒーローで教師で、食の好みが抜群に合う。そう。逃してなるものかと躍起になるべき、いわば超優良物件である。
 お互い大人だから、年齢的にも今後の人生のパートナーとして見るというのもあるし、過去の苦い経験や、社会的な事情が絡んできたりもする。好きだ! わぁい! でハイ恋人ってならない落ち着きと臆病さを、お互い持っているのだと思う。ただ、今、私たちは、付き合うの? それとも、どうなの? っていう一番恋が恋として輝きドキドキきゅんきゅんする時期であるはず。
 だからこそ、デート。しっかり考えて、お互いの恋愛観をね、事前にある程度擦り合わせる、それがやっぱり合理的な大人の恋愛だ。
 相澤さんが好きと言ってくれるなら、私は、お付き合いしてみたいなと思う。その気持ちは少しも嘘じゃない。
 せっかくクリスマスにデートに誘ってくれたのだから、素敵な時間を過ごしたい。そう、今後の方針が確定したら行動あるのみ。プレゼントを用意しよう。
 そもそも私からお礼がしたかったのに割り勘のデートになってしまって、それじゃあお礼にならない。お世話になった、迷惑をかけた、そして色々と気にかけてくれている日頃の感謝も込めて。
 時々食器などを買いに行くお気に入りの雑貨屋さんへ、出勤前の寄り道。
 クリスマスリースのかかった扉を開くと、あまりの普段との違いにお店を間違えたのかと思った。にぎやかな彩りに小さな光の粒をたくさん纏った、十二月をぎゅっと詰め込んだような空間が私を受け入れてくれた。
 ビーカーのサボテンには竜のツノがついていて、赤と緑のオーナメントが天井を飾っている。サンタの格好をしたくまの置き物、汽車の形をしたアドベントカレンダー、夢の世界のようなスノードーム、ガラス玉をぶら下げた木製のツリー、愛らしいジンジャーブレッドマンクッキー。あちこちに目を奪われて、わぁ、と感嘆の声が漏れる。
 じっくり見たい。けど、お仕事が後に控えているので、手早く用を済まさなくては。
 相澤さんへのプレゼントは何がいいだろうか。彼のお部屋を見る限り、とてもシンプルな生活をしてそうなので、持ち腐れにならない実用的なものがいいだろう。プロヒーローが日常使うアイテムはそれなりに拘りがあるような気がして、プライベートな私服の時に使えるもので、実用性を重視して――色々と見て迷ったけれど、ひとつのマフラーに目を奪われた。見つけた瞬間、これだ、とピンときた。相澤さんが白い布のかわりに首に巻いて、口元を埋める姿が想像できる。黒髪にも似合いそうな、ふわふわのボルドーのマフラー。
 プレゼント決定。ついでに、私が食べたいので小さめのシュトーレンを丸ごと一本。お裾分けすると言ったら受け取ってくれるだろうか。きっと素敵なクリスマスを過ごせる。疑う必要も、不安に思う必要も無いんだから。
 そう、思いたかったのに、なぜなの。
 ほくほくした気持ちで雑貨屋さんから出た私の前に、いつものように眠い目をした相澤さんが現れた。
「あ」
 私と相澤さんの声が被る。
 キン、と耳が冷えて、心臓がドキリとした。それはトキメキというより、驚きと恐怖が勝っている類のもの。大丈夫大丈夫とふわふわしていた気持ちが一瞬にして硬度を増して、どっと嫌な予感に支配される。
 相澤さんは通り過ぎそうになった足を止めて、眠そうな目で私を見つめた。
「こんにちは」
 どんなに見ないフリをしても、火種はずっとそこにあった。じゃなきゃ煙は立たないもの。それが今、不安を燃料に火力を上げる。
「こん、にゃっ」
 こんにちは、と、こんなところで、が混ざって盛大に噛んだ。焦りがそのまま口の動きに出て余計に焦る私に、相澤さんは黒髪を揺らして首を傾げる。
「にゃ……?」
 あざとい。かわいい。ルックスとのギャップがいい。少し前の私なら顔を覆ってジタバタしただろうけど、今、背中のぞくぞくした感覚は消えなくて、キュンと甘酸っぱい感情は湧かない。
「噛みました。こんにちは」
 仄かに香る程度の警戒心が私の言葉を短くする。頭にうっすら浮かぶ、尾行、あるいはGPSという単語。楽しかった彼との時間が、すべておぞましいもののように思えるまで最悪な思考が加速する。計算された運命にたぶらかされて、騙されて危うく丸め込まれるところだったんじゃない? いやいや、ヒーローで教師である相澤さんがそんなことするわけない。あまりに失礼だと振り払うけれど、目を瞑るにはもう大きく燃え上がりすぎていた。
「ええ、偶然ですね」
「ですよね」
 偶然も重なりすぎると、気楽に運命だなんて喜べなくなってくる。笑顔がへたくそだったんだろうか、相澤さんは私の壁に気付いたらしく、少し眉を顰めた。
「……偶然ですからね。この近くの事務所に用があって」
「そりゃ、もう、ぜんぜん、あの」
 その察しの良さがむしろ心を読まれているようで怖い。ダメだ。自然とつま先が立ち去る方へ向く。けどあからさまに逃げ越しを見せるのも気が引けて、出入り口を塞がないようにずれたんですって誤魔化せる範囲でじりじりと下がっただけ。雑貨屋さんの植栽の前で、二人で向かい合って立ち止まってしまった。
「あなたを尾けてたわけじゃないですよ」
 私が何をどう不安に感じているのか、相澤さんはまるで手に取るように分かっている様子だ。こんな思考が伝わってしまって申し訳ない。いたたまれない。目を合わせられない。けれど怖い。
「そうでしょうとも。もちろん。すみません」
「ですけど、そうか……俺は客観的に見るとかなり怪しいですね」
 不快にさせただろう、怒られるかもしれない、と思ったのに、相澤さんは「ふむ」と口元に大きな手を当てて、明後日の方向へ視線を流した。
「そんなこと……」
 無い、と言い切るには今更すぎる。首を振ってみたけれど、相澤さん相手に取り繕えるわけもなく。
「無理しなくて良いです。警戒心を持つのはむしろ良い事だ」
 相澤さんは私の失礼な疑いを知っても、嫌な顔ひとつしない。それどころか、気配りが足りなかったな、と眉を下げて、首元の布に顔を半分くらい沈めた。
「ほとんど知らない男ですしね。あまりに気が合って不気味ってのは理解できます」
 私の立場に立って考えてくれている。人格者のふるまいは圧倒的に清廉で、自分の浅はかで思い上がった妄想に惨めさを覚える。
 その優しさは、忘れられない彼女に似た私を見つけて、ようやくここまで近づいたのに離れて行かれたら苦労が水の泡になるから、過程を無駄にしないための打算的な優しさじゃないかなんて――。
 ぎゅっと握った袋には、今し方愛おしい気持ちで購入した彼へのクリスマスプレゼントが入っている。
 さっきまでポジティブだった私はどこへ行ってしまったんだろう。
 こんな気持ちで、こんな疑いを持って、私は彼とデートをするんだろうか。罪悪感と不安が同配合で混ざり合ったメンタルは、デートには向いていない。じゃあどうすればいいかっていうと、この不安を解消するべきなのだ。お隣さんとして、健全な付き合いを続けるためには。
「仲良くなったからこそ……考えを読まれているのかと思うくらい気が合うのが、嘘みたいというか、信じられなくて……あ、信用が無いってことじゃなくアンビリーバボーな方ですよ」
「アンビリーバボーね」
 ふと彼の表情が緩んで、張り詰めている(と勝手に感じていた)空気が柔らかくなる。
「失礼なことを考えてしまってすみません。本当に。でも、失礼ついでに、ひとつだけ、聞いても良いですか」
「どうぞ」
 彼の醸す雰囲気は穏やかで、私だけが変に緊張している。冬の乾燥した空気が喉の潤いを奪っていくからかもしれない。私は、冷えた空気を鼻から小さく吸い込んで、気になっていた一つの質問を口にした。
「どうして……、あのマンションに、引っ越してきたんですか?」
 雄英高校に勤めていると知ってから、実はちょっと疑問だった。あそこには充実した設備の快適な寮があり、先の戦争の少し前に生徒も教師も全寮制になったはずだ。本当に教師なのか。ヒーローなのか。相澤消太を検索しても、何も情報が出てこなかったのも疑いに拍車をかけた。
 私がいたから、なんて答えが来るわけがない。だから、ほら、私の考えすぎだった、って笑えるような全く別の理由を聞かせて欲しい。
「寮は使ってないんですか?」
 私の質問の意図を正しく噛み砕くように、相澤さんはゆっくりと瞬きをして、唇を開いた。
「教師寮は便利ですけど、人と距離が近すぎてたまに息が詰まるんです」
 他人と共用部分がある生活。気が置けない仲間だとしても多少は気を遣うし、やはり一人暮らしと気楽さが違うんだろう。理解できなくもない。けど、ちょっと足りない。
 まだ訝しげな私に、相澤さんは更に続ける。
「それに、安いじゃないですか。家賃が」
「家賃が」
 雄英教師でヒーローもしていて、恐らく私の比じゃないくらい収入があるだろうに、なんて庶民的な価値観。
 大規模な避難生活があってからというもの、万が一を現実的に捉える人が増えた。再建した街で新たに部屋を探す時、避難のしやすさというのは市民が重点を置くところになっている。需要という意味で家賃も今までと相場が変わって、四階以上は少し家賃が下がるのだ。ほんの少しの差とはいえ、毎月の家賃は重なれば大きい。私もそれに釣られた一人である。
「俺は仕事柄、四階からでもひょいなんで」
「ひょいですか。結構な高さですけど。さすが、すごい」
 相澤さんはニヤリと歯を見せて微笑むと、冗談めかして首元に巻いた布にちょいちょいと触れた。
「ひょいですよ。こんど、見せましょうか。あなたくらい抱えてもいけますけど」
「いやいやいや怖い、遠慮しておきます!」
「残念。でも、まぁ、あの部屋にした決め手は……雄英からマンションまでの間に、上手い弁当屋があったことですかね」
 納得できます? と首を傾げた彼に、絆される。さっきまで不安だったのに、急に親近感がわいて、さらにお弁当屋さんを持ち上げられたらちょっとニンマリしてしまう。
 ほっとした。笑うと緊張がほぐれる。疑われていい気分はしなかっただろうに、わざと笑わせようとしてくれた。そういう優しさが、好きだと思う。
「私も家賃が安かったからです。それと、公園が近いから」
「いいですよね」
 私たちはまだ出会ったばかり。お互いがお互いに惹かれているのは確かだけれど、知らないことばかりだ。恋に落ちるスピードばかりが速すぎて、落ちた先に何があるのかわからないから疑懼の念を抱くのかもしれない。なんならアレ。幸せすぎて怖いってことに近いのかも。
 関係を変える前に、きっともっと深く知り合っていくべきなのだ。彼が言っていたように、隅々まで。
 不意に、相澤さんが通りの向こうへ目を向けた。少し離れたところのビルから雄英の制服を着た子が出てきて、きょろきょろと周囲を見回している。あのビルにはヒーロー事務所が入っているから、そこから出てきたのだろう。相澤さんのことを見つけて、ほっとした顔でこちらへ駆け寄ってきた。
「生徒が来たんで、もう行きますね」
「本当に雄英の先生だったんですね」
「疑ってたんですか」
「いや、そういうわけじゃないんです! 実感? っていうか、なんていうか」
「まぁ、教師っぽくない自覚はありますけど」
「相澤さんは教師っぽいですよ。ちゃんと叱ってくれて厳しくて、それがちゃんと愛の鞭で、いい先生だと思います」
 左様ですか、と眉を上げる彼はどこか照れ臭そうに見える。
「あっ、私も仕事! 遅れちゃう」
「じゃあまた。気をつけて」
 片手を緩く上げてくれた彼に、今度は自然な笑顔で手を振れた。
 相澤さんの、知っていたけど知らなかった新たな一面を見られて嬉しい。そして、私は安堵していた。あまりにも偶然が重なりすぎて怖くなっていたけれど、今日のこの出会いはどう考えても偶然以外ありえない。重なってきた今までの偶然だって、やっぱり全て偶然だったのだ。ならば、こんなにタイプで、更に好みも合う人は、運命の人だと思って恋に酔ってもいいんじゃない?
 相澤さんが私を好きでいてくれるのだとしたら、そこに、どんな理由があったって、このまま仲の良い恋人になれるような気がした。
 お隣さんは、大丈夫。きっと。大丈夫。

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