任務完了、恋がスタート

 怪しく煌めく夜の街。地下のオシャレなバーにて、カウンターで肩を寄せ合う男女が一組。その背中は一見すると恋人同士、だけれど、その実は敵が来店するのを待つヒーローのバディである。
 と、いうようなモノローグを頭の中で流してみるくらいには――
「暇だねぇ」
 ノンアルコールカクテルのグラスを指先でツーっと撫でながら、極めて小さな声で呟く。何しろ、もう一時間もイレイザーと肩寄せ合ってるんだもの。今日は空振りの気配を、彼も感じ取っているはずだ。
「気を抜かないでください。職務中ですよ」
 この可愛くない後輩は、緩んだ私をぴしゃりと正論で迎え撃つ。まさか気を抜いてなんているはずもないし、勿論常にピリピリと出入り口を警戒している。とはいえ暇は暇じゃん。
「わーかってますよぉ」
 言いつつ伸びをすると、イレイザーの裏拳がコツンとオデコを打った。
「いたぁ。ちょっと、ラブラブな恋人設定なんだから、優しくしてくれなきゃ」
 イレイザー自分の手のゴツさ自覚してないの? 私の丸いおでこが傷付いたらどうしてくれよう。
 裏拳してきた手を握り指を絡めてみる。捕縛布を扱う手はすべすべとは言い難い皮の厚さで、指先まで鍛えられていることがよくわかる硬さをしていた。
「指、太いね」
 さらに、大袈裟に擦り寄って、彼の肩(というか身長差てきに二の腕)にこてんと頭を預けてみる。
「ん゛ッ……! っ、ぐふッ」
 途端に声を押し殺してサイレントで咽せるイレイザー。ややサイレントに出来てないけど。
「……失礼すぎない?」
「すいません、あまりに……似合わなくて」
「ひど」
 会話の内容はともかく、こんなにべったりイチャイチャしてたらバカップルにしか見えないとは思う。表情がどうなっていようとも後ろ姿は完璧。みんなあるよね、こう、人目も憚らず離れなくないみたいな、歯止めが効かないくらい恋が燃え上がってる時。
「イレイザーも腰に手くらい回してくれないと、私の片想いみたいに見られちゃうんじゃない?」
「それならそれでいいでしょう別に。金づるに媚びる女みたいで。俺の見てくれだと、金の絡む関係の方がそれっぽいんじゃないですか?」
「確かに……じゃあもっと媚びなきゃなぁ、あーーん」
「コラ」
 ナッツを摘んで、薄い唇に押し付けてみた。コラ、と言った隙にねじ込むと嫌な顔しつつカリカリ食べてくれる。
 なんだかんだ私を引っ剥がすでもなく作戦として受け入れてくれるのは、そこはかわいいんだよね。
 彼はこういうバーにはあまり来ないのだろうか。こういう作戦に支障がないくらい慣れているべきと思うし、彼もその辺は考えていることだろう。けど、俺オシャレなバー知ってますよ、なんて女の子を誘う姿は想像できない。似合わない。
 逞しい指をさすさす撫でながら、ふふ、と顔を覗き込んで笑いかけると、目を逸らされてしまった。ナッツを流し込むようにグラスを傾ける姿はどこかぎこちない。
「もしかして、こういうの慣れてないの?」
「ブッ」
 瞬間、バーボンみたいな麦茶が、薄い唇の隙間から吹き出した。
「やだ、もぉ! すみませんおしぼりひとつくださぁい」
 手を上げてカウンターの中へ呼びかけると、バーテンダーがおしぼりをもってきてくれた。
 恐ろしい形相で固まるイレイザーの顎髭から水滴がぽたっと垂れている。お口を拭いてあげようとしたら、おしぼりは奪われてしまった。
「あなたは随分慣れてますね。どこで覚えてきたんです」
 口をふきふき、カウンターテーブルもふきふき、イレイザーは手際よく飛び散った麦茶を抹消する。
 私が慣れているのは当然だ。近接戦闘向きが突出した個性だから、感知や防御、逃走が得意なヒーローとチームアップでミッションに当たることが多い。どうすれば複数人でいて自然に街に溶け込めるかは、暗闇にばかり紛れ独立独行のアングラのでやってきたイレイザーとは経験の差があるだろう。
「それはね、先輩だからね」
「たった一年でしょうが。実戦経験の差はそんなに無いと思いますけど」
 眉間の皺を隠さないイレイザーは、はぁっと特大のため息をついた。
「慣れてないなら、どうしてこの任務に手を上げたの?」
 抹消ヒーローイレイザーヘッドが影に潜み、目立つヒーローが敵を討つ。そういうチームアップは数多あれど、今回のようにイレイザーまで姿を晒して、バーの中で(しかも男女で)敵を待つってのは、彼が請け負うにはちょっと珍しいタイプじゃなかろうか。面が割れていないという意味では適任な気もしないでもないけど。
「慣れてないわけじゃ……俺の個性が適任だと思ったからです」
「ふぅん」
 ま、受けた任務についてごちゃごちゃ考えても仕方ないもんね。やるからには先輩が、このちょっと緊張しているかわいい後輩くんに、偽装カップルのイロハを実践形式で教えてあげましょう。
 ぐいっとオレンジの液体を飲み干して、くてっと体の力を抜く。筋肉むきむきの腕に絡みついて、胸を押し当てたりなどしてみる。潤んだ瞳だって意のまま、可愛いは作れるの精神で、あざとく媚びて上目遣いでトロンと彼を見つめて。
「ねぇ、早くホテル行こうよぉ」
 吐息混じりでちょっと鼻にかかった甘い声で。これが演技派ヒーローの全力だぁ。
 ぐっと息を詰まらせたイレイザーは、グラスを握る手に力を入れた。また目を逸らすかと思ったら、ギリギリ私を睨んで耐えている。けどその口は、甘い言葉を返してはくれない。
「アホか。やりすぎですよ」
 ここでちゃんとノらなきゃ怪しまれちゃうでしょう、と指導を入れようとしたその時。耳につけていた通信機がピピっと着信を知らせた。姿勢は変えずに髪を避けるフリをしながら通信機に触れると、向こうから指揮警察の声が聞こえる。
「聞こえるか。もう一店舗の方にホシが現れた。すでに捕獲完了。無駄足させたな。そのまま解散してくれ」
「了解。このまま事務所もどりまーす」
 端的な説明に短く答える。あっちはあっちで確保後の処理で忙しいだろう。私たちはここで撤退。ヒーローが張っていたなんて誰も知らないまま、ただの客のふりを通してここを去るだけ。
 お疲れさま、と聞こえてきた声に返事をする前に、ふっとイレイザーの手が視界を滑る。無骨な指先が私の横髪をすいて、恐々と耳輪をなぞり、耳につけた通信機に触れて通信を切った。
 まるで口付けでもされそう。でも、するりと耳から顎までのラインをなぞって、暖かな手は離れていった。
「イチャイチャしただけになっちゃったね」
 やればできるじゃん。と思いながら体を離し、そそくさとグラスに口をつけた彼の背中を優しく叩く。
「せっかくだから飲んでく?」
 イレイザーと飲むことなんてあまりないから、せっかくだもの、ノンアルコールじゃなくて本物のカクテルで親交を深めるのもいいかなと。ただの客のフリ、が、本当にただの客になったっていいかなって。軽い気持ちで、なんなら三割社交辞令で聞いたのに、彼はゲっと顔を顰めて、それからカウンターに肘をついて両手で顔の下半分を覆った。
「……」
「やだ、消太くん、怒らないでよ」
 すぐに立ち去るべきだとか、真面目に任務に向き合えって言われちゃうのかな。まぁともかく帰るのね、と椅子から降りようとしたら、彼に腕を掴まれた。
「すいませんね、慣れてないもんで」
「仕事終わり飲むのに? 真面目そうだもんね。あ、バーにかな? 大丈夫よ私慣れてるし心配しなくても」
「そうじゃなく」
 居住まいを正して、何か言い淀む彼を見つめる。
 それ、麦茶だったよね。どうして少し頬が赤くなってるんだろう。間違えて本物のお酒だった?
「……あなたとサシ飲みなんて」
「え?」
「あんたが受けるって言ったから名乗り出たんですよ」
「うそ」
 ちょっとまって。可愛い後輩が、いつの間にか男の顔をしている。グラスの結露で少し湿った手が、私の手に重なって触れる。
「慣れてるんでしょう。あなたは。察してくれ」
 リーンゴーン。と頭の中に響く鐘の音。
 え、じゃあ、今までの私の行動が、どれだけ彼に衝撃的だったか。ごめん。そして何、この、握られた手が熱くなる感覚は。この、胸の高鳴りは。
 ただの、よくあるヒーロー活動の日。平和に解決したその次に、まさかの事件が現場で起きています。猛獣が吹っ切れたようです。
「誘ったのはあんたですからね。じっくり、教えてくださいよ」
 獣のような目が私の心臓を射抜く。
 ここからが私たちの特別な時間。演技が演技じゃなくなって、歯止めが効かないくらい恋が燃え上がるのは、今夜なのかもしれない。

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