一日がかりの愛の告白
男向けのゼクスィを買った。
まさか俺が買うことになるとは夢にも思わなかった。山田にもヒューだのワォだの言われたが、そんなの俺が一番驚いているし動転している。
もうすでに、彼女が気に入りそうな式場についてはリサーチ済みだ。この近辺はもちろん、彼女の実家方面も、ついでにハワイの式場まで目星はつけてある。もし彼女に希望があればそこで挙げるが、ないなら、俺がプレゼンできるようになっておくと円滑だろう。何しろ、一生に一度のことだから、これ以上ないと思わせるほど幸せな式にしたいと思っている。そう、もう一度なんて考えは微塵も浮かばないように。
結婚指輪は一緒に選びたいだろうと思いまだ買ってないが、婚約指輪は既に手元にある。半年前から。
この半年、できていないことはプロポーズだけだ。俺がこんなにも踏ん切りの悪い男だとは。さっと告げて、次の段取りへ進むのが合理的。頭では理解しているが、いざとなると言葉に迷ってしまうのだ。
この半年、彼女からは結婚の「け」の字も出なかった。
一度、大きなチャンスがあった。彼女が友人の結婚式に出席したのだ。おしゃれした彼女はきれいで可愛らしく、一人で行かせるのは心配なくらいだった。帰宅後、「素敵な式だったよ」と笑顔で報告してくれた。その後に「私もあんな風に……」なんて続くかと思いきや、何もなくサッパリと別の話題へ移ってしまった。そうだな俺たちもそろそろ、と用意していたセリフはタイミングを逃し、翌日も言い出せず、完全にきっかけをきっかけにすることに失敗した。
デートもしたさ。いわゆる定番の、夜景の見えるレストランでの食事もした。ポケットの中の小さな箱を気にしながらだと、フルコースを味わうというのは難しい事だった。結局何も言い出せず、元気がないとか上の空だとか心配されて、その優しさに癒されるだけに終わった。
ここで対策を考えなければ進展はない。
つまりプロポーズする期限、詳細には候補日を予め決めておくのだ。何も決めず自然な流れでプロポーズをするのはもう無理だと分かった。
そして今日。いい夫婦の日だ。
俺はこの日に決めていた。
夜まで引きずるなんてのは経験上愚策と言える。やるならば朝から。逃しても今日のうちにまだチャンスがあるように。
朝食が和食だった。味噌汁と、昨日の残りの炊き込みご飯。それと卵焼き、漬物。
チャンスだ。プロポーズといえば味噌汁だろ。毎日味噌汁、的なやつだ。
頭の中になんだかごちゃごちゃとセリフを用意しつつ、俺はお椀に口をつけ、湯気の立つ味噌汁を啜った。ほっと身体の中が温まる。染み渡るとはこういうことを言うのだ。
ここですかさず。
「……うまいな、味噌汁」
「ほんとー? 実は出汁変えたんだよね」
ちがう。美味しさだけ褒めてどうする。
「明日も作れるか」
「もちろん」
ちがう!
「いや、同じのをという意味じゃなく……」
「ん。消太わかめよりほうれん草好きだもんね。明日はほうれん草にするね」
「ありがとう」
さすが俺の好みを把握してくれている、じゃなく、ちがう。これではただの味噌汁好きだ。ちがうが、ここから毎日味噌汁路線への軌道修正は無理だ。
ダメなら次。いい嫁になる、なんて一般的に言われる長所を褒め、理想の結婚相手だと意識してることを伝えて会話を広げたい。
「料理、腕を上げたよな」
「へへへ照れるなぁ」
いや、俺は何目線だ料理長か。こんなに美味い炊き込みご飯作れないくせに偉そうな態度をとってしまった。ちがうんだ。おまえの手料理がこれからもずっと食べたいという話を。
「胃袋掴まれてるなと思うよ」
「嬉しい
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ちがう。伝わらない。彼女は悪くない。俺が悪い。
一旦仕切り直そう。深呼吸だ。そうだ、そもそも部屋着で寝癖のままプロポーズというのも、いいタイミングじゃなかったな。うん。
方向転換だ。
俺は食器を洗い、彼女が洗濯機を回して、同じタイミングでソファでひと段落。
今、か。
「いつも、洗濯とか任せっぱなしで悪いな」
「時間ある方がやってるだけでしょ」
「掃除も俺よりうまいし」
「そぉ?」
ちがう。ちがうが、ここからどうすればいいんだ。『いい奥さんになるな』は、そこはなとなく『俺以外の誰かの』感があって言いたくない。が。俺にとっては。
「完璧だよ」
「あ、最近コロコロの粘着が強力なタイプ買ったからかな」
ちがう。
いや、まだ今日は始まったばかりだ。
諦めるものか。
「相澤って苗字、どう思う」
「え? うーん、どうと言われると……消太に似合ってていい感じだね?」
「そうか……」
「澤の画数多いよね」
ちがう。
同じ苗字に、と言おうとしたが、相澤になるとも限らないしな。
「子ども、好きだよな」
「好きだけど」
「俺も、嫌いじゃない」
「先生だもんね」
ちがう。
家族になることを考え始めたって話がしたかったんだ。
「手を繋がないか」
「いいよ」
「ずっと繋いでてもいいか」
「え? なぁに、いつもは恥ずかしがるくせに
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ちがう。
映画館に着くまでの間の話じゃなく、この先一生手を取り合って生きていきたいの方向性だったんだが。
「おまえの隣は俺だけだよな」
「そう、だね。反対側の隣、誰も予約してないみたいだったよ」
ちがう。
映画館の座席の話じゃないんだ。
「映画たのしかったね」
「あんな老後、いいなと思ったよ」
「田舎暮らしね! いいよね
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ちがう。
老夫婦の仲睦まじさの話だ。あんな風に俺たちも、という。
「夕食買ったものしかないけどいいかな?」
「いいよ。おまえと食べれば何でも」
「やだもぉ、消太今日、私に甘いね」
「毎日食べたいくらいだ」
「え、毎日お惣菜は太りそう」
ちがう。
おまえと、毎日、食卓を、囲みたい、という意味で。
くそ。なんでこうも、肝心のあと一歩、ほんの一言、単語ちょっとを付け足すくらいができないんだ。
緊張のせいなのか。結婚ってなんだ。どういう会話の流れだと結婚というワードに辿り着くんだ? 今彼女が風呂から出てきて突然『結婚しないか』と言ったら脈絡無さすぎて変だろ。何を突然、ってなるだろ。かといって自然に気持ちを伝えるって、その自然の過程がわからん。
髪を乾かしているドライヤーの音が聞こえる。今日、と決めていたのに今日が終わってしまう。部屋着のままじゃ、と朝は思ったのに結局また部屋着になってる。ああ、ほら、彼女が戻ってきた。
「消太、そうだ。今日、ケーキあるの」
「何の日だ?」
「さて、何の日でしょう?」
彼女はニヤリと笑って、俺の隣に座って、ソファを弾ませてぴたりと隙間を無くしてきた。シャンプーの甘い香りがする頭が、こてんと肩に寄りかかってくる。
付き合った記念日ではない。いい夫婦の日だが、まだ夫婦じゃない俺たちに関係があるとは思えない。なんだ? 誕生日でもないし、初めてデートした日も違う。キス? も、違うはず。
「悪い、わからない」
「でしょうね。たぶん、まだ何の日でもないからね」
彼女が腕を絡めてくる。華奢なてのひらが腕を辿って手首を撫でて、俺のゴツゴツした手と重なる。綺麗に整えられた爪の先が、薬指の付け根をツンと優しくつつく。
そういうことか。まいった。ああその手があったか。というかバレていたのか。全部。
無意識に大きく吸った息を、ふぅと吐き出す。今がその時だというのは流石に理解できた。全く、プロポーズのひとつすら俺は。俺には、ずっと、どんな時も。
「おまえがいなきゃダメみたいだ」
ちがう。これじゃあ足りない。
ふぅん、と相槌を打った彼女は、上目遣いでイタズラな微笑みをこちらに向ける。
「それは、何において? 洗濯? 掃除? ご飯?」
「俺の人生」
ふふ、と幸せそうに彼女が笑う。そして、「ケーキ取ってくるね」と立ち上がってキッチンへ向かったから、俺は指輪を取りに寝室へ行くことができた。これも彼女の計算のうちだと思うと、本当に、おまえしかいないよ。
「愛してる。結婚しよう」
「うん、しよう」
やっと、やっと。彼女の左手の薬指に、指輪をはめる。まるで彼女の涙と宝石は同じ輝きを放っていた。
なぁ、どうしたらいい。言葉ではこの感情を表現できない。口付けても、抱きしめても、足りないんだ。
これからも言葉で愛を伝えるのは苦手かもしれないが、許してほしい。
そのかわりと言っちゃなんだが、来年からは、いい夫婦の日らしいからな、って花束くらいは買ってくる男になるよ。
だから毎年、プロポーズした日でしょ、って笑ってくれないか。
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