猫の誤解を冷ますうどん


 隣に住むと、物理的距離が近くなる。だからといって心の距離は変わらないしプライベートも謎に包まれたままだけれど、ともかく生活圏が同じになる。
 だから、そう。うん。
 ゴミ出しで注意されたり。するわけで。
 デパートの子供服売り場で、女児向けの服を手に取りしげしげと眺める相澤さんを目撃することもあるわけで。
 こんなに華麗な二度見をしたのは人生で初だと思う。忍び寄る寒さの気配に、冬服を買っておかなくてはと思って久々にやってきたデパート。そこでまさか、まさか、相澤さんが不審者してるとは。
 反射的に、通路の真ん中に並べられたマネキンの裏に隠れてしまった。統一感のある冬コーデをしているマネキンファミリー。その一家団欒に無断で加わる怪しい女が爆誕。
 他人のプライベートを観察なんてのはマナー違反。何も知らないフリをして、すぐにこの場を離れるのがいい、と思う。思うけど、イケナイ現場を目撃してしまった焦りと共に、見逃すのは惜しいというような奇妙な興奮が湧き上がって、去るに去れず二の足を踏む。
 無意味に目の前のマネキン(母)のロングコートをチェックしている風を装ったりなんかして、チラチラと相澤さんを伺ってしまう。一体自分が何を求めてショッピングにやってきたのかもう思い出せない。
 だって。いや、本当に相澤さんだよね? こんなところで服を、あ、あぁうん、どう見ても相澤さんだ。上下とも黒の服で髪はぼさぼさな相澤さんだ。太く男らしい首と、Vネックから覗く鎖骨が魅惑的。ただ、派手な色の子ども服を選んでるだけ。
 つまり、娘さんがいらっしゃるんだ。子どもの服を選ぶなんてのは、父親として普通の行動に他ならない。なのに、こうも不審者みが出るものなんだろうか。というか、やっぱりあの有名店のちょっとお高いマカロンは奥さんの選んだものってことね。
 幸せそうなマネキンのファミリーに、相澤さんとまだ見ぬ奥様と娘さんを重ねてしまう。ダウナーなルックスからは『意外』と表現せざるを得ない、幸せな光景がそこにはあった。
 お隣の相澤さんは既婚で子持ち。
 ショック、というのとは少し違う。だって、私のささやかなときめきは恋じゃない。相澤さんの中身なんて何も知らないんだから。確かにルックスがドタイプでミーハーな気持ちは抱いていたし、推しがお隣でドキドキなのは間違いないけれど、等身大の恋なんかとは全くの別物。ダメージはない。むしろ、娘さんのために服を選ぶという素敵なパパの一面が知れてラッキー。というかね、そんなことより相澤さんが手に持ってしげしげと眺めている商品が衝撃的すぎるの。
 ガンリキネコ。ガンリキネコの青のスタジャン。そのセンス!
 子どもが着るキャラクターものってすごく可愛い。それは分かる。わかるけど、黒尽くめの相澤さんと手を繋いだ女の子の背中から、ガンリキネコがデカい目で眼力たっぷりに背後警戒してるのを想像すると笑えてしまう。ガンリキネコは悪くないし、相澤さんも悪くない。いや笑うなんて失礼すぎて申し訳ないけど、だってイメージとかけ離れすぎていて。
 話しかけてみたい。けれど、ただ見守っていたいような。それじゃ私が変態ストーカーになっちゃうし、お隣さん同士としてそんなイメージダウンは避けたいところ。そもそも相澤さんから見た私のイメージが悪すぎる。ゴミ出しに間に合わせようとして個性を使っちゃう単細胞で、Tシャツ一枚で廊下に出ちゃう露出女だと思われている可能性が大いにある。まぁ、その後もお弁当屋さんに来てくれたから、完全に嫌われてはいない、と思いたいけれども。けど、そこに更に、こっそり人のプライベートを観察しているストーカー味をプラスしたら流石に距離を置かれるに決まってる。
 もう、フードコートでうどんでも食べて落ち着いて帰ろう。
 そう思って、マネキンの影から歩き出した時だった。
「ぁ」
 最後に一瞬、と、ちらりと相澤さんの方を見たのが間違いだった。バチっと音が聞こえるくらい、意図せずぶつかり合った視線にピタリと脚が止まる。
「どうも……」
 聞こえやしないと知りながらも呟いて会釈をする。相澤さんもぺこっと軽く会釈を返してくれた。えへ、と笑顔を返して立ち去ろうと一歩踏み出した直後、相澤さんがスタスタとこちらへ近づいてくるじゃないですか!
「こんにちは」
「こ、こんにちは、相澤さん。あの、先日は失礼しました。えっと、マカロン、美味しかったです」
「そりゃよかったです。突然すみませんが、今お時間ありますか」
「へ?」
 眉を下げ、申し訳なさそうに上唇をつんとさせて、どうやら「何をじろじろ見てるんですか」という話ではなさそう。
 相澤さんは、すぐそこの小さな女の子のマネキンが背負ったウサギのリュックへ視線を落として、神妙に私に問いかけた。
「女の子は可愛いキャラクターが好き……ですよね?」
 ぐ、と喉が動作不良を起こす。真面目な顔でそんな質問をされると思わなくて。
 相澤さんという人物のキャラクター像が合うたびにくるくる変化して、その魅力の底知れなさに翻弄されている。
「好きだと思います……。女の子向けの服を探してるんですか?」
「えぇ、そうなんですけど、以前俺の選んだ服は周囲にぎょっとされて……」
 真面目に選んだ服なのに、周りから微妙な顔をされて戸惑う相澤さんを想像すると、大変に面白いし気の毒だし情緒が狂ってしまう。さらに、父親から貰った服をダサいと言えない女の子が気遣ってガンリキネコスタジャンを着て同級生にバカにされる未来まで妄想が及んで、それは回避しなければという使命感が芽生える。
「私もセンスに自信はないですけど、一緒に考えるくらいなら……」
 せめて、ガンリキネコを回避して無難なものをおすすめするくらいなら、私にもできるだろう。相澤さんはほっとしたように表情を緩めて「お願いします」と髪を揺らした。
「あっちの方に色々あったんで、見てもらえますか」
 太い指先が、女児向けの衣類コーナーを示す。先導されて追いかける黒い背中は、ずんずんと恐竜や車柄のエリアを抜けて、ファンシーでプリティーな空間に辿り着いた。
 可愛い服に囲まれてる相澤さん。カラフルな中の黒一点。長い前髪とアイパッチもあるせいで表情が読みにくく、不審者として通報されないか心配だから、私が一緒にいるのは良かったかもしれない。
「これなんてどうかと思ったんですけど」
 さっき見ていた青と白のスタジャンを再びラックから取り出した彼は、表は無難なそれをひらりと裏返す。その瞬間、どデカいガンリキネコが背中いっぱいバーンと登場して、その眼力がゴリゴリに笑いのツボを刺激してきた。息を止めて堪える私の前で、相澤さんはいたって冷静にその猫と見つめ合う。
「かわいいですよね? 目がデカくて。猫ですし」
 猫への信頼ハンパない。
 相澤さんは一ミリもふざけた様子なく、落ち着いたバリトンボイスでガンリキネコへの感想を述べた。その様子に、恐らく以前もガンリキネコのアイテムを選んでプーイングを受けたことが容易に想像できた。
「そうですね。可愛いと思います。でも、もしかすると、そのサイズを着る女の子はそういったキャラクターものは年齢と見合ってないのかもしれません」
 かわいいものは永遠にかわいいんですけど、それを身に付けるか、と言われたら、喜んで着るのは幼稚園児までかも。もちろんその子の好みによるけど。
 そんな説明をして、娘さんの年齢や髪色、個性による身体的特徴など、服を選ぶ上で必要な情報をいくつか聞いてみた。
 相澤さん曰く、娘さんは別にガンリキネコが好きなわけではないとの事。ならば尚更、ガンリキネコをいいと思ったのは百パーセント相澤さんのセンスってことだ。どうしようもなく湧き上がってくる笑いが、どうか自然な笑顔になっていることを願う。
 無邪気だけど賢くて、活発というより大人しいタイプ。そう聞いて、シンプルなテイストの服が並ぶ方へ誘った。ふりふりヒラヒラしていない、大人の服をそのまま小さくしたようなデザインが並んでいる。見るからにかわいくって子供が好きそう、を求めて来たなら驚くかもしれないけど、最近の子にはこういうのが人気だと思う。流行りというべきか時代というべきか。
 タータンチェックのスカート、ワンポイントにお花がついただけのセーター、オータムカラーのキルティングジャケット。定番かつ女の子らしさのある服をいくつかオススメしてみると、相澤さんは感心したように「似合いそうだ」と言いながらそれらの色違いなどを物色している。
 ふと、思う。
 この様子だと娘さんにはサプライズだろうから、本人に相談できないのはわかる。でも、奥様と一緒に選んだらいいのでは? と。
 何か、そうしない理由があるのかもしれない。街が廃墟の面影をなくし活気に満ちた今も、家族構成についての質問は繊細な部分で、慎むべきという空気が強い。マカロンは奥様が選んだ、というのも私の妄想でしかないし、実際に聞くのは緊張があるものだ。
「娘さん、お誕生日か何かですか? きっと喜びますね」
 私はそういえば父親に服を選んでもらったことなんてない気がして、相澤家の愛に溢れた日常に勝手に思いを馳せる。そんな私に、相澤さんは「いや」と短く思考を切るような否定をした。
「娘ではないんです」
 ええ? と思わず声が出た。きょとんと目を丸くした私に、相澤さんはさらりと告げる。
「俺に子どもはいませんし、結婚もしてませんよ」
「んぇ?」
 さっきの倍くらい間抜けなリアクションに、彼の鼻からフスンと息が飛び出した。
「え、じゃあっ、この服は誰の」
「仕事の関係でよく会う子がいるんです。衣替えをしたら去年の冬服が小さくなっていたような話をしていて、それで」
「そうなんですね。てっきり、ご家族がいらっしゃるんだと勘違いしてました。マカロン、女性の多いお店だから、奥さんが買ってきたのかなって……」
「あぁ。あれは……。俺が、甘いもの好きなんです」
 意外。意外な一面を何個見せてくるの相澤さん。どれも好感度上げてくるのどういう現象なの。
 そわそわする。へぇ、ふぅん。独占欲強いカノジョ、または奥様は幻だった。
「既婚の子持ちに見えました? 寂しい独身一人暮らしですよ。あなたと違って」
 見えました。意外だなぁ、なんて、失礼ながら思っていました。でも、一度幸せ家族の妄想をして思い込んでしまったせいで、今度は独り身だということに違和感を覚える逆転現象が起こっている。混乱して即座に反応できなかったけど、最後のはどういう意味だろう。『あなたと違って』って、相澤さんも同じような勘違いをしていた?
「いや、私も、寂しい独り身ですよ」
「へぇ……野暮だと思ってツッコミませんでしたが、アレはいわゆる彼シャツ、ってやつじゃないんですか」
「あの時のっ! あれは、いや、なんだかダボダボの服安心するっていうかよく眠れるっていうか……全然、男の気配ゼロなんで、そういうのじゃ、ないです」
 あぁぁ不意打ちの恥ずかしい回想が耳を熱くする。油断していた心に爆弾を放り込まれて、わたわたと処理しようとしたけど、この弁明は完全に失敗している。その証拠に相澤さんはハッと息を吐いて笑った。
「ゼロなんですか。なら、仲良くしても問題ないですね」
「なかよく
 ついに回路はショートして、読み込み中のままフリーズしてしまった。
 えぇ、と頷く相澤さんはどこか満足そう。アイパッチと長い髪でほとんど見えない横顔からは分からないけど、単純に面白がられている? 仲良く、に深い意味は無いと言って。
 相澤さんの持っているスカートに合わせたらどうかな、と思って持っていた編み込みニットのセーターが、さっと彼の手に攫われていった。
「コレに決めました。貴重な休日につき合わせてしまってすみません。今度、お礼します」
「はっ。いえいえとんでもない。さほど参考にもならない無難な提案しかできなくてすみません。お礼なんて、お気遣いなく。お隣のよしみです」
 混乱して逆に饒舌になる私と、落ち着いた相澤さんの対比に既視感を覚える。ちょっと揶揄われているのかもしれないけど、嫌な気持ちにもならなくて、むしろ。
「では。また弁当買いに行きますね」
 軽い会釈の後、相澤さんはスタスタとレジに向かって歩いて行った。
 なんてこった。本日も無事情報過多。
 別に、相澤さんが既婚者でも子供がいてもショックじゃない。けど、全部勘違いだったと分かった途端、ぱあっと晴れた気分になった。なんだろう。なかよく、したかったのかもしれない。仲良くしてもらえるとわかって、嬉しいのかもしれない。
 落ち葉が風に舞う季節なのに、私はじんわり汗をかいて、取り残された子供服コーナーでひとりパタパタと顔を仰いだ。
 お隣さんは、不思議なセンスで独身らしい。

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