マズイ本音と美味いメシ

「相澤先生っ」
 昼休み開始のチャイムが鳴った一分後、愛嬌のいい声がノックとほぼ同時に職員室に突撃してきた。
 パソコンを見つめたままでも声の主はハッキリとわかる。慕われている嬉しさと鬱陶しさの両方の意味で、またお前か、と眉間に力が入った。
 ぎろりと視線をドアへと向ける、のだけれども、へにょりと眉尻を下げ、一直線に俺を見つめる潤んだ瞳に、悔しいかな「なんだ」と想像以上に毒気を抜かれた声が出てしまった。
 今日も今日とて、髪型や身に纏う雰囲気がやたらとふわふわきらきらしている。こんな愛らしい顔をして、一体何の用で来たのか。
 受け持ちクラスの生徒であるこの少女は、カッコいいとか好きだとか、何かにつけて俺に付き纏ってくる奇特な趣味の持ち主なのだ。頼むからあまり心臓に悪い事は言ってくれるなよと警戒してしまう。
 彼女はぴょこぴょこと俺の席までやってくると、背中に隠していた何かをサッと胸の前に持ち直した。
「お願いします、先生、これ食べてください!」
 職員室に響いた懇願に、差し出されたピンクの巾着袋。
 少女はその滑らかでもちもちとした頬をぷくりと膨らませて、迫力のかけらもないむくれっツラになると、頼んでもいないのに事の顛末を話し出した。





「う、さすがにコレは私でも食べられん……」
 麗日か?
「未知の……お味ですわ……っ」
 八百万か。
「化学兵器かよッ!」
 峰田の気配を感じる。
「クソみたいなモン食わせんじゃねぇ!」
 爆豪だな。
 表情筋のコントロール能力がすごい。長いまつ毛の目も、形のいい眉も、なんとまぁよく動く。
 ころころと百面相でクラスメイトの真似をした彼女は、一通り満足した様子で大きくため息を吐いた。
「ひどいんです! みんな私のお料理が不味いって言うんです!」
 血色のいい唇を尖らせて、ふんと鼻息を荒くした彼女は、了解も得ずに俺のデスクに巾着をドンと置いて、その口紐を解き始めた。
 曰く、ことの発端は調理実習で。彼女の関わった料理が一つ残らず不味くなり、クラスから大バッシングを受けたらしい。それから何度も料理に挑戦してはクラスメイトに講評を願うも、毎度の不味さに今や誰一人として試食すらしてくれないと。
 そういえば最近腹痛を訴える生徒が数人いたが、なるほど原因は彼女だったのか。
 何でも卒なくこなす、やや完璧主義の気のある彼女が悔しさをバネに何度もリベンジする流れは容易に想像できた。
「レシピ通り作ってるのにぃ!」
 口を、い、の形に食いしばったまま巾着に手を突っ込む少女は、若干目に涙を溜めている。
 まぁ俺だって、ここでくだらん帰れと言う程冷酷じゃない。一体どんなゲテモノ料理が出てくるのか、不安もあるが興味もある。まずは見てから考えてもいいだろう。
 ピンクの巾着の中からは、ウサギと花が描かれた愛らしい二段弁当が取り出され、パソコンと書類しかないデスクが突如としてファンシーに呑まれる。
「お嫁に! 行けないってまで! 言われたんですよ!」
 憤慨している彼女は俺の方なんて見向きもせず、上の段と下の段を分けて置く。細い指先が内蓋の隙間にカリと綺麗な爪を差し込み、パカリと開く。
 とたんに鼻腔をくすぐる匂いは、特別異臭とは言い難く、むしろいい香りに思える。
「そしたら皆、相澤先生なら食べてくれるかもと」
 なぜだ。俺を生贄にしようとしてるのか?
 眉間に寄った皺も意に介さず。蓋に隠されていたプラスチックのピンクの箸が、ずいっと差し出された。
「頼みの綱なんです、相澤先生! お願いします!」
「……ああ」
 可愛げしかない勇ましい顔つきの少女から、その熱に押されて、俺の手は寸足らずな箸を受け取る。受け取ってしまったからには、もう後には引けない。
 クラスの総意としてお嫁に行けないほどの不味い飯が、一体どんなもんなのか。俺はまじまじと、子供用みたいなお弁当箱を観察した。
 下の段には混ぜご飯のおにぎりが二種類、上の段には、卵焼き、にんじんの肉巻き、ほうれん草の和物に、コロッケか? 揚げ物まであるなんて豪華だな。隙間ではブロッコリーとミニトマトが彩りを添えている。確かに、そうだな、料理の表面は少し焦げている部分もあるが、俺の料理とそんなに変わらん。
 ミニトマトが不味いってことは無いだろう。評価して欲しいなら、手作りのおかずを食べるべきか。
「ちゃんと味見して、美味しくできたと思って持って来てるんです! 毎回!」
 おかずの詰まった段を手に取り、茶色い渦の線がはっきりした卵焼きを摘む。若干の緊張を感じてしまうのは、これだけの前置きがあれば仕方ないだろう。
 それでも可愛い生徒のため、俺は小さく息を吐いて、一思いに口に放り込んだ。
「もう、悔しくて! 私はね、絶対にお嫁に行きたいし、だから、」
「うまいじゃないか」
 口に入れた瞬間、出汁が多めなのか柔らかくジューシーさも感じる。味は少し薄めかもしれないが、これのどこが不味いんだ?
「え?」
 丸い目を更に丸くして、彼女はぱちくりと瞬いた。
「うまいよ」
 もう一度しっかり目を合わせて伝えると、彼女の目にはみるみるうちに涙が溜まる。
 こんな事で泣いてくれるな。俺が悪者に見られる。
 卵焼きは得意なのかもしれない。肉も食べてみるが、醤油味で米が進みそうで、美味い、と思うんだが。
 レストランレベルとまでにはそりゃ程遠いだろうとしても、まだまだ初心者な少女の作る料理として及第点ではなかろうか。
「ふ、え、ほ、本当ですか?!」
 さっきまでのプリプリした様子はどこへやら、頬を染めて眉をハの字にした彼女は、はわ、と両手で口元を抑えた。
「……美味しい、ですか?」
 信じられないといったように、細い声が震えている。なんともいちいち可愛らしい。
「ん、まぁ普通に食えるよ」
 じいんと感動しているところ悪いが、一口ごとに感想を述べるべきなのか? ほうれん草の和物も、美味い。
「ホントですか?」
「あぁ」
 俺の短い返事に、きゃあ、なんて小さな悲鳴とも歓声とも取れる声が上がる。どういう感情だそれは。なぜ、頬に手を当てる?
「お世辞も貰えない程とは思えないが、コレを全員が不味いと言ったのか?」
「はい、不味いんだと思います……先生本当に味覚が死んでるんですね」
「オイ」
「すみません! 私とばっちり味覚が合うということです!」
「そうか。で? だから、何なんだ」
 自分の発言を忘れているのか、彼女はきょとんとした微笑みで俺を見てもう一度ゆっくり瞬きをした。普段なら、覚えてないならいい、なんて追求しないだろう。けれど、どうも突き放すには彼女はか弱すぎる。いや近接タイプだから弱くはない。俺に睨まれても絡んでくるメンタルも強いが、そういう意味ではなく、つまり何なんだ。
「さっき、言いかけただろ。絶対にお嫁に行きたくて、だから、何なんだ」
 彼女はハッとして、それからもじもじと視線を逸らした。そういう仕草はどこで覚えるんだ? なるほどわかった、庇護欲を掻き立てられるってのはこういう事か。
「あ、だから、あの、美味しいって言ってくれた人と、結婚、したくて」
「料理のうまさなんて取るに足らないだろ。そんなの気にする男はほんの一部だよ」
 俺の味覚が一般的かどうかはさておき、この料理を美味いというやつはたくさんいそうなもんだが。
「そ、そうですか?」
「それにそんなに可愛いナリで、お嫁に行けないなんて事ないだろ」
「先生ぇ……可愛いなんて……あ、コロッケにお醤油使います?」
「使う」
 小さな魚の形の醤油入れが、巾着から遅れて登場した。この弁当は俺が手をつけてしまったし、ほかに食べる人もいないのだろう。それならば、試食だけして突っ返すのは勿体ない。
 華奢な手の中にあるちんまりした黒い魚へ手を伸ばし、彼女を見上げる。
「全部、もらっていいか?」
 息を呑んだ彼女の瞳が、熱っぽく蕩ける。どこからか吹いた風にふわりと揺れる髪が、まるで映画のワンシーンみたいだなどと思う刹那、光をふんだんに湛えた目をきゅっと閉じて意を決したように、彼女は息を吸った。
「はいっ! まるっと私の全部、もらってください!」
「は?」
 何故か醤油ごと握られた手。ぺこりと勢いよく下がった頭。
「ありがとうございます、先生! 明日も持ってきます!」
 弾ける笑顔に紅潮した頬、おまけに背景に花を浮かべた彼女は、手を振って羽根のように職員室から去っていった。
「……は?」
 一拍どころか軽く三拍は遅れて、しかしまだ処理中の思考回路は負荷に耐えきれず煙を上げている。
 いやいや、なんだ。何か重大な誤解をされて、いる気がする。私の全部ってなんだ? ん? 俺が要求したのか? いや弁当を、全部食べていいかっていう。
「イレイザー、コングラッチュレーションズ!」
「ハァ?」
 どこに隠れていたのか、タイミングを測ったようにマイクが現れる。ニヤニヤと腹の立つ顔をして、何がこんぐらっちゅれーしょんだ。
「美味しいだの、気にしないだの、可愛いだの、おまけに全部もらっていいかなんて職員室で見せつけてんなコノヤロー!」
 いや、いやいや、もうほとほと救いようが無いんだが、一番「はぁ?」なのは、満更でもない俺に、だ。まずいだろ、これは。
 突如、ぬっと目の前に伸びてきた黒い手に、宙を舞っていた意識が体に戻る。
「ちょっと一口」
「おい、勝手に取るな」
「ケチくさい事言うな、う゛ッ、まっじかよ! おえっ」
 奪われたコロッケは、可哀想にも文句を言われる。口を抑えて涙目になるなんて、流石に大げさすぎる。
「そんなにかい? 私にも一口」
 オールマイトさんまで人の食べ物に手を伸ばすな。
 さっと弁当を自分に引き寄せて囲むと、マイクもオールマイトさんも、ピシッと固まった。
「……俺が貰ったんで」
 せっかくの美味い弁当に、まわりからマズイマズイと言われるのは気分が悪い。せっかく頑張って作ったらしいのに、なら美味しく食べれるやつが食べるべきだろ。それとも、生徒の手作り弁当がそんなに羨ましいのか?
 取られないように睨みをきかせながら、俺はおにぎりにかぶり付いた。美味しいじゃないか。
 まぁ、明日も作ってくるのが本当かどうかはさておき、そうだな。弁当箱を返すときに、お礼は何を付けようか。


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