微睡のふちで誘うバリトン

 枕に沈める頭の位置が定まらない。何度もスマホで時間を確認しては、早く寝なきゃと焦るのに、気がつくとSNSで深夜の放浪仲間を探してはいいねを押してしまう。
 ダメ、寝なきゃ寝なきゃ。目を閉じてみるけれど、どうも寝姿勢がしっくりこない。しまいには足首がむずむずしてくるし、明日、いやもう既に今日の仕事の事なんか考え始めてしまう。
 隣の消太が起きないように、小さく何度も寝返りを打って、スマホを見て、消して、もぞもぞと布団を直す。
「ねむれないのか」
 ころりと向きを変えると、薄目を開けた消太がふうと大きく寝息の延長みたいな息を吐いた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ん、おいで」
 寝起きの掠れた声が、むにゃむにゃと溶けながら私を招く。寝ててくれていいのに。その腕は私のためか、消太が抱き枕が欲しいだけなのか。
 持ち上げられた布団に乾いた風が吹き込んで、隙間を埋めるように私は消太の腕の中へ。やたらとほかほかした消太と布団に包まれて、目が冴えている私は後悔した。
 これじゃあお水飲みにも行けないし、スマホに手が届かないし。嬉しいけど、消太の胸におでこくっつけて、落ち着くんだけど、でも消太はもうほとんど夢の中で私は眠れそうになくて。
「すぷーんのチョコが……」
「え?」
 寝ぼけてるのかな。吐息成分の多い、ふやけた発音に、何のことかわからず聞き返す。返事は期待していなかったのに、今度は存外はっきりとした返事があった。
「ん、なんかもらった、冷蔵庫」
「誰から?」
 今度はすぐに返事はない。
 ふぁ、と大きなあくびを筋肉質な腕に隠して、大きく空気で膨らんだ胸にぎゅっと抱きすくめられる。
「女の……先輩……」
 低くて音質が悪くて、でもはっきりときこえましたけど。
 女? ちょっと待って。寝ぼけてまずいこと言ってない? 寝てていいと思ってたけど撤回だわ詳細。
「どういう経緯で?」
 うん、と、私の質問を聞いてるのか聞いてないのか分からない可愛いお返事のあと、足が絡まってくる。すね毛がじょりと私の美脚を撫でるのがちょっと気持ちいい。
 片足は消太の太腿にむっちりと挟まれて固定されてしまった。そんなスキンシップで絆される私ではない。
「甘いもの好きだから」
 だいぶ遅れた返答は、そこで途切れる。消太は別に甘いもの好きってほど好きじゃないでしょう。その先輩が甘いもの好きなの? まってよこれじゃ寝られない。
「……途中で説明放棄しないで」
 腕ごとだきしめられて、足も取られてしまっては、ぐりぐりと胸板におでこを擦り付けるくらいしか抵抗の余地がない。
 ぐりぐりに少し意識を取り戻した消太は、悪気もなさそうに、ぽやぽやとした目と頭でやっと口を開いた。
「おしゃれなお土産を、探してて」
「私に?」
「おまえ以外誰がいるんだよ」
 ん? ん? つまりあれか、先輩が甘いもの好きなんじゃなくてか。
「えー、あ、私が甘いもの好きだから?」
「うん」
 当たり前、答えるまでもないといったふうに目を閉じた消太は、すぅっと力を抜いた呼吸をはじめる。
「……冷蔵庫、見てこようかな」
 ちょっと腕を抜け出そうと身じろいで、足も引っこ抜いてみようとした、その時。
「だめだ」
「え、私のために貰ってきたって、ちょ、腕つよい」
 ぐえ、と声が出そうなほどのホールドで、胸板に限られた視界。ぐっと背中を布団に押し倒されて、消太はどさりと私の上で拘束力のあるお布団になってしまった。
「喋らせるからだ」
 消太の渇き気味の唇が耳を掠めて、髭が絶妙に触れるか触れないかの心地でくすぐったい。
「だって女とか言うから」
「言ってない」
「言いました、女の先輩に貰ったって」
「あぁ、かやまさん」
 なぁんだ、香山さんか。最初から名前で言ってよ。
「ねぇ重いよ、お土産見たいんだけど」
 張りのある肩の筋肉をぺちぺちと叩く。消太は私の髪に指を通して、頭の形をなぞって、それから耳たぶをふにふにと揉んだり耳の裏に指先を通したりして遊びはじめた。
「……このまま寝たい」
「えー自分の体重考えてください」
 流石にずっとは重い。も少しよけて、くっつくならさっきみたいに横向きがいいな。
 そう肩を押してるのに、消太はずるい。
「ナマエ」
「ん?」
 低く鼓膜を揺らす熱。指で遊ばれてない方の耳を、食べられてるかと思うほど湿らせる吐息。
 背中に差し込まれた手が、ずるずると腰まで下がって、こんなにくっついてるのに、ぐっと引き寄せられた。
 音を生む前の舌が、耳元でぴちゃりと小さく鳴る。
「すきだよ」
 珍しすぎる直球にぞくりと肌がざわめいて、抵抗の気力は消え失せてしまった。
 熱い唇は好きを塗りつけながら頬へ移動する。体温が急激に上昇して、消太の手のひらを感じる背中が、いやお腹の奥底が、じわじわとした疼きを孕む。
「ナマエ」
 甘すぎる囁きの口移しに、反射的に瞼が落ちる。
 ちゅ、と何度も降り注ぐリップ音まで、ねっとり微睡を帯びて夢へと誘う。
 やがて満足したのか、浮き上がった唇は閉じた瞼にも口づけを一つ。
「ここにいなさい」
 なんてずるい、私の意志を聞いていない命令。眠気と一緒に何か別の熱を移された私は「わかったよ」と辛うじて声に出した。
 ようやく、大半の重さは布団に落ちて、圧迫から解放された肺が大きく息を吸い込む。私はただ抱きしめられる形になって、目は閉じたまま、消太の太い腕のちょうどいい重さを受け入れた。
 スマホを取ろうとは思い至らず、足首のむずむずはなくなっていた。お土産は、明日消太から直接もらうことに決めて、暗闇に意識を放流した。
「おやすみ」
 おやすみ、いい夢を。

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