りんご飴の告白

 奇跡が起きた。十五年に一度くらいの頻度の奇跡。相澤と、花火を見に行くことになったのだ。
 現在絶賛夏休み期間。授業が無い分、職員室で相澤といられる時間が長くて、日々スキップする勢いで出勤している。
 事務作業をこなしながら、ふと、生徒たちが花火大会の事を話していたのを思い出して「花火いいなぁ、相澤一緒にどう?」と冗談めかして誘ってみた。すると。
「あぁ、たまにはいいな」
 と。言ったのだ。あの相澤が。
「珍しすぎて怖い」
 怪奇現象でも見たような顔をしていたら、冗談なら行かない、なんて唇を尖らせ始めた髭面に心臓を射抜かれて、慌てて待ち合わせの約束を取り付けた。
 相澤と花火大会に行ったことがあるのは一度きり。まだ雄英一年生の頃、クラス全員で行こうと盛り上がったから、相澤も巻き込まれる形で参加していた。まさか、あの頃からずっと拗らせていて、今年こんなチャンスが来るなんて。
 私は懐かしい記憶を呼び起こす夏の匂いを感じながら、花火大会当日までの数日を、ジタバタしながら過ごした。


 群青色に白い花が散りばめられた浴衣の合わせを、そわそわと撫で付ける。良く言えば上品。だけれど、可愛らしいとも派手とも言えないデザイン。
 もっと鮮やかな色彩の、若々しく愛らしいデザインはいくつもあった。そういうのが着てみたい気持ちはあったけれど、普段の振る舞いと乖離しすぎてて似合わないと笑われる未来しか見えなかったから、手を出す勇気が出なかった。
 相澤はハーフパンツに半袖のTシャツというシンプルな格好で待ち合わせにやってきて、私を頭からつま先まで視線で一往復撫で付けると、薄い唇を開いた。
「おまえがその色着てると、雄英の体操服を思い出す」
「は、はぁ?」
 どんな感想を言われるかドキドキしていた私は、予想の斜め上のコメントにあんぐり口を開けて素っ頓狂な声を出してしまった。
「なにそれ。あ、学生くらい若く見えるってこと?」
 現役の雄英教師同士だもの。確かにこの色は生徒たちがよく着てる色だ。そして私たちもかつて毎日のように着ていた。うん。長い付き合いだものそんな記憶が蘇っても、仕方ない仕方ない。
「良くも悪くも、変わってないってことだな」
「ハイハイ、どうせ私は昔っからあちこち傷だらけで、女子力ナッシングですよ
「そこまで言ってないだろ」
 一瞬でも褒め言葉を期待して、なんなら普段とのギャップで相澤をドキっとさせられるかもなんて、見当違いすぎた。これっぽっちも響いてないみたいでいっそ清々しい。
「相澤だって、昔っからずっと髪はボサボサ、ゼリーばっかり、オシャレさのカケラもないじゃないの。そろそろね、浴衣着てきた女性相手には、可愛いとか似合うとか言えないと! モテないよ」
 視線でなぞられている間、恋してる瞳をしちゃってなかったかな。照れ隠しみたいに可愛くないことを捲し立てて、ホラ行こう、と花火スポットまでの屋台の道をずんずん進む。
「あー……。可愛いよ。似合ってる」
「言わされた感ー!」
 後ろから放たれたお世辞に、半身振り向いて睨むと、相澤は困ったように眉を下げて口を噤んだ。
「黙らないでよ! 山田なら棒読みでココロからオモッテるぜとか言ってギャグにしてくれるのに、相澤っていつもそう」
 ぷんと頬を膨らませると、相澤は突然私の袖を引っ張って「りんご飴あるよ」と進路を変えた。あぁもう、私がりんご飴好きなのをなぜ覚えててくれてるの。十五年も前の事を。
「……確かに、山田との方が楽しいのかもな」
 りんご飴の列に並ぶと、横に立った相澤は遠くを見る目でそんな事を呟いた。鼻筋が綺麗で見惚れそうになる。あぁ、うん、山田とは楽しいけど、それはそれ、これはこれっていうか、別に相澤を責めたかったわけじゃなくて。
「まぁ、そこがいいっていうか、相澤は相澤でそのままでいいんだけどさ!」
 恋を拗らせてる私の問題です、とは言えないので相澤を承認してみる。りんご飴好きな事覚えてたの嬉しいとかは言葉にならないのに、捻くれた事ばかり口から飛び出すんだもん。こんな可愛くない女、相澤のストライクゾーンは知らないけど、どう甘く見積もっても友達止まりだろう。
 相澤は真顔で腕組みをして、斜め下の私を見下ろした。
「いや、良くないね。昔から変わらないままで、それはそれで悪くなかったが……そろそろ変わるべきだな」
 ううん。相澤はそのままでいいのよ。相澤が山田のように、ジョークを交えてハイテンションに喋り始めたら恐怖だ。ただまぁ、少しくらい気の利いた事を――否、私以外の女性にそんな事したら勘違いする人が続出で色々大変なことになる。
「そんな急に変われるもの?」
 変わらなくていいのに。ある程度塩な感じで、そう簡単に優しさを見せないで。なんだかんだ甘くて世話好きな所を知ってるのは、一部の人間だけにしといて。
 傲慢さを見透かされたくなくて、色とりどりのフルーツ飴を選ぶふりをしてみる。横からの視線を感じて、相澤の方が向けない。
 すぐに順番が来て、迷いなく大きなりんご飴を買って、ちょっと人波からも外れて脇の木陰に来ても、三白眼はオート追尾機能がついてるみたいに私を追ってきて居心地が悪い。
「相澤、なに、一口いる?」
 真っ赤で艶やかなソレを差し出してみると、割り箸のところを握っていた手をがしっと掴まれた。
「なっ」
 大口開けた相澤が、きれいな飴を割ってがぶりと齧り付く。心地いいASMRが脳に浸透して、なぜか耳が熱くなった。
「ん。甘い」
「食べ過ぎっ」
 というか私この続き食べるの? 相澤が齧った所を? それは最早、あの、あれ、ナニ?
 喜怒哀楽のどれでも表現できない感情に、白く欠けたりんご飴を見つめる。しかも、まだ手を離してくれない。離して、と言わないまでも少し手に力を込めると、更にぐっと握られて引っ張られた。二口目などやるものか。心臓に悪い。
「相澤、昔から、変な揶揄い方することあるよね」
「かもな。昔っから変わらず、お前が好きだからだよ」
 は、な、なんて?
 幻聴が聞こえた気がする。目の前の髭面の声で。一瞬止まった息は、プロヒの反応速度でどうにか吹き返す。
「はっ?! え、なっ、突然のキャラ変やめてよ! そういう冗談は良くない!」
「ここで冗談言って何になるんだ。心から思ってる」
「そ、そこでソレはもう嘘なのよ。だって、全然、女として見てないくせに!」
「キスのひとつでもしたら、信じるか?」
 き、きす? 間接キスじゃなくて、普通のやつ? りんご飴関係ないやつ?
 相澤の小さな黒目は、屋台や提灯の暖色の光を受けてキラキラと光っている。りんごひとつ間に挟んだ至近距離で、真っ直ぐ私へ向いている。少しだけ、私の反応を楽しむような悪戯な余裕を湛えていて、なんとなく、嘘なんか無い、気がした。
 衣紋を抜いて晒したうなじを夏の夜風が掠めていく。ぱっと空が明るくなって、ドンと大きな音がお腹に響いて、歓声が上がるのが遠く聞こえた。
「ほん、き、なの……?」
 喉はカラカラに渇いて、声がひっくり返った。
 ねぇ、花火はまだ始まったばかりなのに、どくどく煩い心臓だけ先にフィナーレ迎えそうだよ。
 りんご飴を二人で握った手が、ひどく熱い。じりじりと近づいてきた距離。半歩後ずさっても簡単に私を覆った影。慌てて目を閉じると、相澤が香る。
 まだ一口も食べてないのに、甘いりんご飴の味がした。

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