頷きでノックアウト

 自主練にイナサくんが付き合ってくれるようになって、私の放課後は少しばかり密度を増した。
 ヒーローになるという純然たる目標を一緒に見据え、全力で切磋琢磨してくれる相手。それも、裏表のない性格で、かつ個性の相性が悪くて私の訓練にもってこいの彼だからこそ、私は相談や弱音を溢せるほどに心をゆるしていた。そして誰にでも分け隔てないイナサくんも、どことなく、私には特別打ち解けてくれているような気がしていた。
 実力的には(僅差だと思いたいけど)イナサくんの方が上で、彼にとっては練習にならないんじゃないかと思ってた時もあったけど。イナサくんは真っ直ぐな目で元気よく、戦闘スタイルの違いは新しい発見があるっス! と二人の特訓を有意義にしてくれている。
 今日も今日とて――真剣勝負に男も女もない。イナサくんからは清々しいほど容赦ない攻め。私はかわしきれずに旋風に巻き込まれて、黒星確定。最後、相打ち狙い苦し紛れのラスト一発なんて、放つ時に目も開けてられなかった。
 私を浮き上がらせた風が弱まってきて、きちんとコントロールされているのを感じるから、たぶん当たらなかったんだろう。
「また負けた!」
 弱まった風の中で叫ぶ。いつもなら、しゅるりと優しい風が私を地面に座らせて消えるのに、今日は、あれ、あれ。
「ぎゃっ」
「うっ」
 ぐらぐらと進路を誤った強風は、私をポイっと落っことして、ドスン、とイナサくんを巻き込んで着地した。グローブじゃない方の手が、がっしりと私の背中を抱き止める。
「すんません!」
 視界をさえぎるボサボサの髪を掻き上げ、土埃の匂いに咳払い一つ。私は、イナサくんに重なって地面に倒れ込んでいた。
 彼の顔は、ひっくり返ったマントが覆い隠していて見えない。どうやら私の窮余の一撃は、彼のマントを暴れさせて、その視界を奪ってしまったみたい。
「ごめん、大丈夫?」
「っス」
 ぺらりと赤いマントをめくる。ずれた学生帽の日陰の中で、小さな黒目がきょとんと私を見つめて、ニカって笑った。
 痛くも痒くもなさそうな笑顔にほっとして、そして、ちょっとの嫉妬が湧き上がる。私の下敷きになっている鍛えられた肉体は、厚みがあってどっしりしてて、埋めようのない圧倒的なフィジカルの差を実感させる。
「最後の、やばかったっスよ」
「どこがヤバいの? マントにしか当たってないじゃん」
 こんにゃろ。余裕じゃないの。続く敗北が悔しくて、生まれ持った骨格に触れてしまったら羨ましくて、そしてイナサくんだから甘えて。卑屈になった私は、普段なら隠すマイナスな感情を隠すことなく唇を尖らせた。
「羨ましいなぁ、くそぅ」
 どん、とその胸に頭突きしてみる。
 瞬間、背中にあった大きな手のひらが、ガッと勢いよく私の肩を掴んでグイッと引き剥がした。
「何言ってんですか!! 狭い場所での繊細な作業! 人を怖がらせない声かけ! 機敏で小回りのきく移動! 俺も羨ましいことたくさんあるっスよ!」
「……そ、そう?」
 真下から与えられた予想外の熱量。肩を握りつぶしそうな力の籠った手。嘘なんて微塵もない、力強い眼差し。
「そう!」
「ありがとう……。うん。へこたれてないで、前進あるのみだよね」
 えへへ。褒められてむず痒くなって、へらりと頬が緩む。
 けど、ちょっと手の力は抜いて欲しい。ねぇ、と声に出そうとして、私は息を止めた。だって目の前のイナサくんも、目を丸くして息を止めている。その顔はみるみる赤くなって――。
「だっ!」
「だ?」
 ぶは、と大きく息を吐いて、はぁっと豪快に酸素を吸い込んだ彼は、軽く持ち上げた頭をガツンと地面に打ちつけた。
「今俺は……! 士傑学生にあるまじき感情に飲み込まれるところだった……!」
「ど、どーしたの」
 いつも大きな声を出す大きな口は、真一文字に閉じた。
 赤い顔で私を見上げるイナサくんのあんまりに熱い視線が、私の心臓まで熱くした。
 どうしたの、なんて簡単に聞くべきじゃなかった。私たちの間にあるのは、純粋な仲間としてのリスペクト。そう。男だとか女だとか、かっこいいとか、優しいとか、励まされるとかそんな事は抜きにして。抜きにしての、自主練なのだ。それを揺るがす質問なんて、すべきじゃなかったのに、後悔しても遅い。
 じっと私を射抜いて焦がした鋭い目は、止まった時を動かす合図のように瞬きをひとつして、やっと口を開いた。
「……士傑は、異性交遊禁止なんスよ」
 聴いたことのない、低くて落ち着いた声。『ヒーローを目指す私』が、一瞬『女の子の私』に支配されて、脳みその回路が混乱する。
 ちがう、そんな。私たちは、仲間で、ライバルで――。
「え、あ……」
 突然、彼の上に座っているのがとんでもない事に思えて体温が上がる。握られた肩は指先の緊張を感じて、イナサくんの血の巡りが速さを増した気がした。
「……禁止で、よかった、ね」
 お互いに。
 気付いてしまった気持ちに、今はそっと蓋をする。ふざけて揶揄うみたいに、ニシシと笑って見せる。
「立つから、肩離して。痛いよ、もう」
「あ゛ッ! ごめん!」
 イナサくんはハンズアップの勢いでようやく肩を離してくれて、私はパタパタ服を払いながら立ち上がる。
「ん」
 まだ地面に転がってるイナサくんに手を差し伸べると、彼は私の手を握って、そして。
「解禁されたら……伝えたいことがあるっス」
 繋いだ手に、自主練の勝負と全く違うドキドキが走る。
 ぐいっと引っ張って立ち上がりを補助すると、上下は逆転。頭何個ぶんか上からこちらを見下ろす瞳は、今日二回目の真剣勝負を挑んでくる。
「いいスか?」
 爽やかな風が頬を冷ますように吹き抜ける。
 私たちは友達。ヒーローを目指しているから、まだ、友達。けど。
 ぎゅっと握られた手から逃げられず、私は今日二度目の黒星を確信して、こくり、一度だけ頷いた。

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