夏にくらり、彼のとなり

 真っ黒な服に長い髪。無精髭も生えてて、いつも少し疲れた目をしてる彼は、バイト先のコンビニの常連さん。来店の時間は日によってまちまちで、大抵は夕ご飯とコーヒーを買っていく。持ち帰りの仕事があるのかもしれないし、深夜に働いているのかもしれない。
 お酒は週末にしか買わなくて、たまにスイーツも買うところが見た目とのギャップでかわいくて、少ないお釣りは募金箱に入れてくれる優しい人で、誰かが裏返して成分表しか見えなくなってるパンを表に返したり、お待たせしましたにありがとうと甘い低音で返してくれる。
 第一印象こそ、怖そうで危ない仕事してそうなんて妄想したけれど、随所から垣間見える人の良さに悪印象は簡単に覆って、伸ばし放題の髪や髭もむしろかっこいいと思えてきたから不思議だ。意外な一面を発見するたびに、私は密かにラッキーと心が躍るような気持ちでいた。
 素性も知れないその人がコンビニにやってくるのを心待ちにして、最近はそれが仕事のモチベーションになっている。
 来店したからって何があるわけでもない。”ただの”店員と客。いらっしゃいませではじまってありがとうございましたで終わる。会話は箸や袋がいるか聞くだけの関係。それでも、接客できると満たされる。こっそりとしたファン心理があるだけで、それ以上なんて望んでいなかった。


 真夏は夕方でもまだ暑くて、珍しく早い時間のシフトだった私は陽射しの強さに目眩を感じながら帰り道を歩いていた。
 アスファルトから登る熱気が、どんどん生命力を奪ってゆく。陽炎みたいにゆらゆらと平衡感覚が異常を訴える。休んでいたらすぐに良くなる。そう信じて、小さな日陰を見つけてついに道端にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか」
 しばらく目を閉じてうずくまっていると、低くて感情が乗らない声が真上から降ってきた。
 働かない頭が、あの人かも知れないと都合のいい妄想を始める。俯いた視界は自分の膝しかなくて、声の主を確かめられない。
 無視したみたいになってしまって申し訳ない。けど、ぼうっとしすぎて返事がうまく捻り出せず黙っていたら、もう一度、今度は心配の色を乗せて、しかも顔のすぐ近くから声がした。
「体調、悪いんですね?」
「……はい……」
 なんとか意思表示ができると、親切な誰かはすぐに冷たい飲み物を持ってきてくれて、まだ顔を上げられないでいたら「飲めなさそうですか。とりあえず冷やします」と首にボトルを当ててくれて、雑誌か何かでパタパタと煽いでくれた。
 何に悲観した事があるわけでもないけれど、世の中捨てたもんじゃないと感動を覚える。
 少し回復してきたら、スポーツドリンクの蓋を開けてくれるという行き届いた親切に、お礼をしなければ、とそこで初めて顔を上げた。
「へ」
 あまりに驚いて変な声が出た。あの人だ。コンビニの。常連の。
 やや下がり眉で心配そうに私を見つめる三白眼があまりに近い。
「えっあっ、すみません、お世話になって……」
 慌ててスポーツドリンクを受け取ると、彼は私が喋ったことに安堵したように一つ瞬きをした。
「いえ。仕事柄慣れてるんで」
 わぁ。まさかの緩い微笑みに、既に赤い顔に更に熱が集まる。
 これではまた体調が悪くなる、と慌ててボトルに口を付けた。喉を滑り落ちていく冷たさが、少しだけ頭を冷静にしてくれる。仕事柄、との言葉に、彼のプライベートを覗けた気がして、ボトルを握る指先がむずむずした。
「そこのコンビニの、店員さんですよね」
「はいっ。いつもご利用ありがとうございます」
 まさか。認知されていた。制服を着てないのに、ってことは顔を覚えてくれていたのか、衝撃的な事実に心臓がどくどくする。
「だいぶ回復したみたいで、よかったです」
 目線を合わせてしゃがんでくれていた彼は立ち上がって、持っていた雑誌(教科書のようにも見えた)をカバンに片付けた。
「家、この辺ですか。送りますよ」
 と何でもない顔で言った後、あ、と眉間に皺を寄せる。
「すみません、家までなんて怪しすぎました。つい」
「……つい?」
 つい、とは。常日頃から誰かを家に送るなんてことあるだろうか、と、疑問がそのまま口から出ておうむ返ししてしまった。
「ヒーローなんです」
 まさかの仕事だったけど確かにと思う部分も多い。何より一見して分からない、他のバイトは誰も知らないであろう情報を得られて、特別感が嬉しすぎる。
 彼は少し気まずそうに視線を落とし、小指で目の下あたりをポリポリかいて「先に言うべきでした」と呟いた。
「ヒーロー、すごいです。助かりました」
 へらりと笑う元気の出てきた私は、生のヒーローだ、とミーハーな気持ちが湧き上がる。ヒーローというみんなの憧れ的な職業の人と知り合うのは初めてで、しかもあの、あの、コンビニの彼がヒーローだったなんて、今までで最大の『意外な一面』だ。
「さすが、勤務中じゃなくても親切なんですね」
 どうやら、たぶん、VネックのTシャツはヒーローコスチュームには見えない。コンビニのバイトは休日にレジを打たないけれど、ヒーローはどんな時でも弱った人に手を差し伸べるのか。すごい。いや、職業関係ないか。道端で誰かうずくまってたら、サラリーマンでも主婦でも親切に声をかける人はいるだろう。私は、ちょっと、かなり勇気が要りそう。それを自然とできるからやっぱりヒーロー。
 と、思ったのに。
「さぁ、どうでしょう」
 彼は眉を上げて、軽く首を傾けた。
「半分くらい、役得だと思ってのことです」
「……え?」
 へらりと笑った半開きの口のまま、私はぴたりと固まった。
「それを伝えずに家まで送るなんてのは、さすがに良心が痛む」
「え?」
「気持ち悪いなら、タクシー呼びます」
 るんるんだった思考回路に突然爆弾を放り投げられて、理解が追いつかない。ともかく、気持ち悪いのはだいぶ治って、タクシーは必要無さそう。
「あの……歩けます」
 よっぽどぽかんとしていたのだろう。彼は、ふっと笑って「それはよかったです」と言いながら口元を手で覆った。

 流れはよく分からないけど、どうやら家まで送ってくれる事になったらしい。
 彼は「立てますか」と手を差し伸べてくれて、私は流石にそれは緊張しすぎて無理で断った。明日くらいになったら、勿体無い事をしたと後悔するかもしれないけど。
 私が一人で時間をかけて立ち上がるのを、急かしもせず見守ってくれた。耳に優しい低い声で「無理しなくていいですよ」なんて言われたら、大抵の人が好きになっちゃうんじゃないだろうか。
 家の方向へ歩き出してもそんなに会話はなくて、そのせいでさっきの彼の発言が頭の中をぐるぐるした。
「顔、まだ赤いですね」
 と、言われたけれど、それは暑さではなくて、言葉の意味を理解してしまったせいだと思う。
 長くない道のりは、隣の存在にドキドキしているうちにあっという間に終わった。
「じゃあ、今日のところは失礼します。よく休んでください」
 家の前まで送ってくれた彼は、何を求めるでもなく帰る素振りを見せた。今日のところは、とは、どういうことなのか。まだ万全でない脳みそは答えに辿り着けない。
「あっ、ありがとうございました」
 レジから幾度もかけてきた言葉は流れるように唇から紡がれる。けど、今日彼はいつもの「どうも」とかじゃなくて、口角を上げて
「どういたしまして」と返してくれた。

「また、コンビニで」
 軽く手を上げて、彼が帰っていく。ちょっと猫背の後ろ姿から目が離せない。
 “ただの”が取れて、何かに変わる。次コンビニで会う時、どんな顔をすればいいの。よく見かける興味深いお客さん、というだけの感情とは違うものになってしまった。
 次に感じる目眩はもう、暑さのせいにできない。

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