俺の衝動は秘めたまま


 最近、少し楽しみな事がある。
 放課後生徒と野外訓練をした後、校舎に向かって歩く。恐らくそろそろじゃないかと思っていたら、背後から大きな声で名前を呼ばれた。やはりな、と気だるげな表情を貼り付けたまま振り向くと、ふんわりした毛の尻尾をブンブン振りながら見慣れた女生徒が走ってくる。
「見つけました! 匂いました! ふふん」
 そこはかとなく失礼な事を言いながら自慢げに鼻を鳴らしている彼女は、犬の個性を持っていて、最近妙に俺の周りをウロチョロしているのだ。
 きっかけは先月。ハウンドドッグをリスペクトして自主的に雄英の外周パトロール(と、本人は言っているが恐らくただの散歩)をしていた彼女が、偶然にも林の中で俺と出会ったことにある。雄英の敷地内に住み着いた野良猫に餌をやり、マイねこじゃらしで遊んでいるところを目撃されてしまったのだ。油断しすぎていた俺は「猫がお好きなんですか」とにんまりした微笑みを向けられて「あぁ、そうだ」と正直に答えてしまった。それからだ。彼女は「犬の魅力もたくさんあるんですよ、先生」と俺を犬派に靡かせようと事あるごとにアピールしてくるのだ。
 それにしても、俺はどんな臭いをしてるんだ。まさか臭いのだろうか。若干気になるが深掘りはせず、「どうした」と一応質問してみる。どうせまた「犬もかわいいんです」という話だろう。彼女は丸い目いつもより少し曇らせて、あの、と切り出した。
「今日も犬の魅力についてお伝えしようと思ったんですけど、困ったことがあるんです」
「困ったこと?」
 予想と違った切り口に、不覚にも関心を持った反応をしてしまう。彼女は耳をぴこぴこ動かして、無意味に踵を上げ下げして弾みながら、眉根を寄せて真剣な顔をした。
「あのですね、犬の魅力をアピールするにあたって、ライバルの猫についても調べたんです!」
 ライバルの猫ね。うん。すでに面白い。
「それで?」
 話を促すと、今度はぎゅっと苦々しく顔を顰めた。起伏に富んだ感情表現は見ていて飽きない。
「そしたら……猫って……猫って可愛いんですよ!」
「知ってる」
「困ったことに、猫にハマってしまいそうなんです……!」
 そう嘆いた彼女は、どうしよう、と両手で顔を覆って耳としっぽをへにょりと下げた。
 なんて平和で無邪気な悩みなんだ。素直に猫の魅力に感化される犬なんて。下唇を噛んで一呼吸。そうでもしないと笑ってしまいそうだ。
「困ることなのか?」
「こまります!」
 なぜ分からないのか、と言わんばかりの勢いで胸の前で拳を握った彼女は、眉を八の字にして垂れた尻尾をゆらゆらと左右に揺らした。
「だって、だって、相澤先生に犬もかわいいと思って欲しいのに! このままじゃ相澤先生のせいで猫派にされてしまう!」
「いや俺のせいではないだろ」
「え」と目を丸くして「たしかにっ」と納得してる様は、かわいい。普通に。変な意味じゃなく。面白いという感情強めの。
 何やら「うーん」と唸りながら腕を組んで首を傾げる彼女を横目に、俺は腰のポーチに手を突っ込んだ。ボールを一つ取り出して、手のひらに乗せて見せると、彼女の正直すぎる尻尾と耳がぴんと元気になる。
 手のひらのボールをぽんと軽く真上に投げてキャッチすると、視線はそれを追いかける。
「うぅ。もっと、先生が、メロメロになるような、犬の魅力を、伝えたいんですけど……」
 そう悩んだ素振りでも、ぽん、ぱし、ぽん、ぱし、と繰り返せば、目線はボールに釘付けで顔ごと上下に動いている。半開きの口はよだれでも垂らしそうだ。
「俺は犬も嫌いじゃないよ」
 尻尾はぶんぶん。そわそわとした足踏みだってしてしまって、俺の声を聞いてるのかいないのか。耳の付け根をカリカリ撫でてやりたい衝動は、ボールを弄ぶことで誤魔化している。
 かわいいやつだ。魅力は十分伝わってる。
「犬もかわいいですか?」
 突然の直球な質問は俺の心を見透かしたようで、一瞬手元が狂いそうになった。焦りながらキャッチしたボールは手の中になんとか捕まえることができた。
「あぁ、まぁ、うん」
 ボールの動きが止まると、彼女は俺を覗き込むように見上げてきて、なんだかドキリとした。変な意味じゃなく。距離感の近さに、ギクリというべきかもしれない。
「じゃあ……大好き、ですか?」
 もちろん、犬も好きだ。が、きゅるんとした瞳で熱く見つめられると、どうにもその好きは教師として生徒に言ってはいけない好きなのではと変に気を回してしまう。犬が。そう、犬が、という大きな主語でありながら、まるで私のことを好きかと聞かれてるように思えて。
「さぁ、どうかな」
「ええっ」
 ガガーンと効果音が聞こえそうなほど顔を崩壊させた彼女に、思わずふっと笑みがこぼれた。気を抜くと「かわいい」と声に出そうになるから今日はもうタイムオーバーだ。
「ほら走れよ」
 そう、思いっきり振りかぶって全身のバネを使い力いっぱいボールを投げる。見晴らしのいい広い敷地の上、青空に線を引くようにぴゅうっと飛んでいくボールに、黒い二つの宝石が輝いた。
「あっ! わぁーい!」
 話を切られても、ボールを投げられたら衝動的に走り出す彼女の元気な背中に、俺はこっそりと目を細めて、捕縛布に口元を埋めながらその場を立ち去った。
 ずっと向こうでボールを捕らえた彼女がここに戻ってきて、俺がいないことに悔しそうな顔をするのを想像する。次回は文句とボールの返却から始まるのだろう。
 楽しみだな。

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