気まぐれと繋ぐ手


 寄り道して帰ります。
 手のひらに届いた彼女からのメッセージに、無意識に大きく息を吸い込んだ。膨れた肺が空になる頃には、もう端末はポケットの中。
 サンダルをつっかけて、タオルと傘を持って外へと繰り出した。
 湿気った空気が肌に張り付き、空はどんよりと今にも溢れそうな涙を堪えているようだった。
 彼女は、例えるなら猫。
 楽しそうな方へふらり自由な性格で、忙しい時に限って背中から離れず、好きだと撫でればそうかそうかと鼻先を上向ける。無計画そうに見えて芯があり、あらゆる事態に対応する柔軟性がある。
 しかし、今日の気まぐれな寄り道はいい判断とは言えないだろう。一人ならばきっと、ほら、ついに降り出した雨が彼女を濡らして立ち往生させてしまうから。
 恐らく、スマホはマナーモードだしバッグの中で、俺から今連絡したとて彼女の目に入ることは無い。
 それでも、とりあえず家を出てしまった。なんとなく勘でそうすべきだと感じた。
 あの時間の連絡ということは、最寄駅から家までに寄り道を思い立ったのだろう。さて、彼女の興味を引くものは何があっただろう。
 俺は駅へと向かう足を止めず、傘の下からきょろきょろと左右へ視線を走らせて情報を集める。新作ドーナツ? コスメの期間限定値下げ? アロママッサージ体験特別価格? いや、どれも違う気がする。
 あっという間にいくつもの水たまりができて、サンダルでよかったと思うくらいの飛沫が足に跳ね、部屋着の裾もじっとり水を含んだ。
 寄り道の目的を探すことから、雨宿りできそうな避難場所を見つける方向へ意識をシフトしてみる。ふと、路地裏の狭いアーケード飲屋街の存在を思い出し、横道を覗きながら歩く。
 彼女は濡れてしまっただろうか。風邪をひくじゃないか。こんな天気の日に、このタイミングで寄り道なんてしなくても。
 ゲコ、とカエルの声に呼ばれるように横を向く。ここか、と見つけた細い入口のアーケード。アーチを描く古ぼけた看板が上にあるけれど、その文字はハゲて錆びてほとんど読めやしない。
 雑草も手入れされているのかいないのか、地面の隙間は緑に侵食されていて、駅前通りの華々しさからギャップが激しい。
 怪しげなヴィラン予備軍が巣食うにはうってつけに思えるその場所へ踏み入れると、アーケードの柱のすぐ足元で彼女がしゃがみ込んでいた。
「あ! 消太だ」
「まったく……」
 ぱっと目を丸くして嬉しそうに笑顔を咲かせた彼女。心の中で安堵と苛立ちが渦巻いて俺は言葉を失った。
「突然降ってきたからさぁ、服がね、透けちゃって」
 そう言いながら立ち上がった彼女の白いブラウスは、その内側の下着の色をはっきりと透かしていた。
 天気予報を見てなくても降りそうだとわかるだろ真っ直ぐ帰ってこいよ。服装込みで考えて行動しなさい。どしゃぶりの雨に降られたとはいえ、こんな危険そうな場所に女性一人で。何かあったらどうする。というかすぐに連絡しろ。油断しすぎだあほ。
 そのへんをごくりと渇いた喉で飲み込んで、透けた下着を隠すようにタオルをかけてやる。ありがとうと微笑まれたら、残るのは、会えて良かったって感想くらいなもんで。
 俺の心情なんてどこ吹く風、彼女はねぇ見てとアーケードの影ばかりの景色へと顔を向けた。ほぼシャッターの降りたそこは、まるで大通りから取り残された古い時代を感じる。カエルがどこかで飛んでぴちょんと音を立てて、隅の方に僅かだが紫陽花も咲いている。壊れた秘密基地みたいな、初めて踏み入れるのに不思議と既視感があった。
「ノスタルジックで汚いのに綺麗で不思議な場所」
「あぁ」
 遠くを見つめる丸い瞳に、割れたアーケードの屋根から注ぐ雨がキラキラと映っている。
「雨のおかげで素敵な場所を見つけちゃったな」
 その横顔に見惚れていたら、突然こっちを向いたから驚いて隙が生まれてしまって。
 刹那、濡れた両手が頬を包んで引っ張られて、背伸びした唇がちゅっと触れる。
「消太、大好き」
 不覚。色んな意味で。
「……帰るぞ」
 はぁいと間延びした返事に、伸ばすなの注意は飛ばない。先に歩き出した俺の後ろで水たまりを蹴る無邪気な音がする。
「手繋ぎたいなぁ? でも消太が濡れちゃうからなぁ」
 全く。独り言は完全に俺宛。
「ん」
「ふふふ。いいの?」
 半分だけ振り向いて手を差し出せば、遠慮なく腕に擦り寄ってくる。ぎゅっと一つの傘に収まって、人目も無いからいいものの、こんな外でひっつけるのは雨の日限定かもしれない。
「俺も好きだよ」
 珍しく、俺も大きな独り言を傘の裏に呟けば、彼女はハッと俺を見上げて、なぜか顔を顰めた。
「む」
 むって何だ。
 ふいっとそっぽを向いた彼女は、ドーナツ食べたいな、なんて話を逸らす。
 よく見えないけどその頬がいつもより赤い気がして、俺は気まぐれで掴みどころのない彼女を少しだけ理解できたような気がした。
「ところで、何が目的の寄り道だったんだ?」
 そういえば何か寄りたい所があったのでは、と問い掛けると彼女は空いた手で濡れた髪を整えながらニコリと笑う。
「おっきなカエルを追いかけててね」
 その答えに、俺は理解しかけた彼女を掴みきれず空振りした心地だ。楽しそうだな、と相槌を打ちながら、繋いだ手がするりとどこかへ行かないようにぎゅっと力を強めてみたが、ちっとも安心なんてできなかった。
 いつかふらりと消えてしまいそうな、根のない草、野良の猫。
 野生の勘だろうか、彼女は少し曇った俺の顔を覗き込んで微笑むと、手を握り返してくれた。
「また迎えに来てね」
 ぶんぶん、二人の間で繋がった手が揺れる。探すなと言われない事に、俺は幾分か救われて、揺れても離れない手に少し気が晴れて。
「せめて、どこにいるのか分かるようにしてくれ」
 ドーナツを買って帰ろう。悪いがカエルは今日はもう現れてくれるな。
 気まぐれに付き合おう。
 自由に生きるおまえが好きだよ。

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