寄り道


「どうぞ」
 相澤さんが助手席のドアを開けてくれた。覇気のない促しに大歓迎されてるとは思えず、けれどここまで来て断る選択はできず、ありがとうございますと返事をして乗り込む。
 知らない香りがして、緊張にごくりと唾を飲んだ。仕事での付き合いしかない彼と、一足飛びにプライベートの仲になってしまった気分。
 サポートアイテム製造会社の私は、捕縛布の新調オーダーに伴い、改善案を引っ提げて軽く打ち合わせをと雄英高校に来ていた。一日の最後の仕事で疲労はあるけれど、ここから直帰の予定だったし、密かに慕っている相澤さんに会えるのだから内心スキップ状態だった。
 つつがなく打ち合わせが終わると、まさかの、送りましょうかの申し出。予想外の事態に慌てて、今年の運を全て使い果たしたかもしれないと思いながら「お願いします」と頭を下げた。
 当然のことだけれど、横で相澤さんが運転している。
 さっきまで降り続いていた雨は止んだけれど、時々ぱしゃりと水溜りを跳ね上げる音がして、その度になぜかドキドキした。
 この小さな密室にいると、相澤さんと同じ空気を吸ってるという事実が事実として認識されて困る。呼吸のひとつひとつがぎこちなくなる。
 距離感こそ、会議室で資料を指差しながら説明している時とそんなに変わらないけれど、相澤さんの車に乗って、相澤さんが運転してる姿を見るなんて貴重体験すぎて平常心ではいられない。こんなの彼女の席だもの。この光景は恋人の特権ってやつじゃないの。
 無言に耐えきれず、やたらと外の景色を目で追って話題を探してしまう。そうしてると、ふと庭先の紫陽花が目に入った。
 は、と昨日友達から送られてきた写真を思い出す。
「知ってますか、この辺の紫陽花公園で夜間ライトアップをしてるんですよ」
 早く何か話題をと焦りすぎて、脳で思いついてから声になって飛び出すまでが早すぎる。相澤さん花に興味ある? 無さそう。盛り上がるわけないチョイスに、やってしまった感が拭えない。
「へぇ。見頃でしょうね。行ったことあるんですか」
 へぇ、で終わるかと思ったのに、相澤さんは意外にも興味深そうに会話のキャッチボールをしてくれた。
「いえ、友人から聞いた話で、綺麗らしいんです。行ってみたいなって思ってて」
 いいですね、と当たり障りない相槌をくれた相澤さんは、まだ言葉を探してるみたいに、掴んでいたハンドルを指でトントンと小さく叩いた。
「誰かと、行くんですか」
 真剣な顔で黄色の信号を見る横顔がかっこいい。
「そんなデートしてくれる相手は、いればいいんですけど、残念ながら」
 車はゆっくりとスピードを落として停車した。走行音が止んで車内が少し静かになったせいで、私の虚しい笑い声が変に耳立つ。車に乗ってから緊張してた顔を緩められたのが自虐ネタとは。
「すみません」
 相澤さんはバツが悪そうに謝罪をこぼすと、くるりとハンドルを回した。あぁ節のしっかりしたごつい手が素敵。
「ええと……そこで謝られると惨めさが増します……」
 彼氏はいません。なんなら数年いません。
 もしかして相澤さんは彼女がいて、デートの参考に聞かれたのかもしれない。だって相澤さんが夜に一人でライトアップを見に行くのは想像できないし。パトロールとしてなら行くのかもしれないけど。彼氏と行こうと思ってて、デートにぴったりですよ、って有益な情報を与えられたらよかったけど、何の中身も無い薄っぺらい世間話だったんです。
 あぁ、やっぱり話題の選択を誤った。
 何か他に盛り上がれる話は無いかな、と頭の中がぐるぐるの私に、相澤さんが更に掻き乱す一言を放り投げた。
「……寄り道しませんか」
「え……?」
 寄り道? どこへ?
 首を傾げた私に、相澤さんは少し気まずそうに眉間に皺を寄せた。
「その、紫陽花のライトアップ。俺でよければ」
 ……。これは、遠回しに、いや、ダイレクトに、誘われてる? あの相澤さんに? 揶揄われてる?
 ショート寸前どころか煙を上げはじめる思考回路。何の言葉もでない。ぽかんと固まった私に、気を揉んだのは相澤さんの方で。
 信号は青に変わって、車は僅かなGを感じさせながら動き出す。
「そういう流れ、じゃ、なかったなら忘れてくれ」
 相澤さんは捕縛布に口元を埋めて、隠しきれない頬をちょっと赤くして、投げやりにそう言った。
 待って。嘘。そういうこと? こういうのが、ちゃんと前髪キャッチしなきゃいけない神様なんだ、きっと。
「は、あ、えっ、と。行きます!」
 失ってた声が帰ってきた瞬間に、思ったより大きないい返事が飛び出してしまった。今度は相澤さんがちょっとびっくりしたみたいにちらりと私を見た。
「……いいんですか」
「はい。そういう、流れだったということに、して貰えたら嬉しいです」
 ふっと笑った相澤さんは、ならぜひ付き合ってください、と言ってウインカーをつけた。
 付き合ってください、って紫陽花の話ですよね?
 ウインカーの倍くらいリズムを刻む心臓を必死に宥めながら、私は雨粒の滑る窓を眺めた。

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