日常の延長で

「のんきに恋愛する気はない」
 そう言った時、俺はもっと彼女の顔を見るべきだった。
 さっきまで数人で団欒していた寮の共有スペース。電話がきたとか呼び出しがあったとかで一人二人と減ってゆき、ついに俺と彼女二人しかいなくなった。俺も特にテレビに興味があるわけでもないし、部屋に戻ろうと思っていたのだが、不意に舞い込んだ二人きりというシチュエーションにソファから立ち上がることができなかった。
 生徒の恋バナがどうとか皆可愛いとか楽しそうに話している彼女に「へぇ」とか「そうなんですね」と気の利かない相槌をうつ。そして、その流れで「イレイザーは恋愛とか」なんて聞かれたのだ。
 不覚にもドキリとした。
 あなたが気になってますなんて言うわけにもいかず、けれど恋愛なんて興味ありませんと断ち切るわかにもいかず。頭の中はぐるぐると高速回転して、今が告白のチャンスかもしれないと暴走直前になるほど混乱した。
 そして、あのセリフが喉から飛び出したのだ。彼女の方は見られない。ニュース垂れ流しのテレビを見るでもなく眺めながら、ぶっきらぼうな声になったことを悔やむ。
「やっぱり、そうですか」
 予想通りと頷くその声は、笑い混じりなように思えた。それなのにちょっと力無く、余韻に浸るように、そうですよね、と小さな呟きが続く。
 彼女を意識してしまっているのがバレないか。そんな心配ばかりして、緊張を隠すようにふぅっと大きく呼吸をした。
 あんなに楽しそうだった彼女は、それから無言で会話は途切れる。妙な空気が、俺と彼女の座るソファを包み込んだ気がした。
 俺はもしかすると、とんでもない誤解を与えてしまったのではないか?
 そもそも、『のんきな』恋愛はする気がないが、『将来を見据えた本気の』恋愛ならしたい。のだけれど、あの言い方ではそれが伝わるのは難しいだろう。返事を捻り出すのに必死すぎた。
 最悪だ。きっと彼女には恋人がいるとか好きな人がいるのだろう。俺の発言は、彼女の恋愛観まで否定してしたと受け取られた? ヒーローと教師をしながら恋愛もなんてのんきなもんだなと責めたように感じていたら? そうじゃない。そうじゃなくて。
「つまり、遊びで、というか」
「え……? あ、えっと、イレイザーのイメージが……」
「は?」
「遊びなら付き合うけど、本気の恋愛は面倒的なこと、ですか?」
 はぁ?? 口を開けたままぽかんとしてしまった。いや。予想外の誤解すぎて。遊びの関係なんてリスクのでかいことするわけないだろ。
「違う。逆だ」
「逆……?」
 そのちょっと困ったようなキョトン顔はなんだ。丸い目をぱちぱちさせて真っ直ぐ俺を見るな。うっかり体温が上がりそうで、しかも言わなきゃいけないことも照れ臭い。
「真剣な、付き合いなら……という意味です」
「そっちですか。よかったぁ」
 よかった? 少し曇っていた表情は一瞬にして晴れ渡った。コホンと咳払いして、恥ずかしさを誤魔化すために眉間に皺が寄るのは仕方ないだろ。というかコレは恋バナというんだろうか。俺とミョウジさんが恋バナ。
「そういうあなたは、どうなんです」
「私ですか? えっと、ええ、うーん」
「別に遊んでたって責めやしないが」
 彼女への質問に切り替えて、話題の矛先をずらす。うーんと首を傾げた彼女は、おずおずとソファの隙間を縮めるように寄ってきて、俺を覗き込んだ。
「実は男遊び激しい方で……って言っても、イレイザーは気にもなりません?」
 寮の日常のはずが、感じたことのない空気に変わった。
 その表情は計算なしにやってるのか。下がった眉も上目遣いも、ちょっとだけ尖らせた唇も。あざとくてかわいい。
 だから訳がわからなくなった。これは誘われているのか? 遊ばれ、る? いや冗談だろ。俺が彼女の男関係に嫉妬するか聞いてんのか? なぜ?
 整理がつかない思考回路。喉がつっかえて声が出ない。数秒の沈黙をあけて、彼女はぱっと微笑んだ。
「なんて、男遊びはしませんよ!」
 冗談です、と肩を震わせる無邪気な小悪魔。
「意味がわからん」
 なんだか翻弄されている。それが嫌ってわけでもないのが自分でも理解できない。感情を隠すように手で口元を覆って視線を逸らすと、彼女はまたずいっと寄ってきた。
「わからないですか? いい雰囲気だと思ったんですけど……」
 いい雰囲気?? まて。どこから。さっきのあの空気が変わった感じか? いやそうだとして、つまりそれは、どういうことだ?
 さっきまでの笑顔を引っ込めて、いたずらな可愛さも潜めて、彼女は真剣な顔で俺を見つめた。大きな瞳が俺だけを映している。

「イレイザーが恋愛しないの、私は悲しいと思った、ってことですよ」

 ごくりと喉が鳴って、都合のいいアンサーが目の前にチラつく。

「あの、イレイザーは……」

 いたずらな瞳に不安の色が混ざる。
 言葉を選んで迷う彼女の続きを遮るように息を吸った。

「結婚前提で付き合いませんか」

「突然、ですね」
 一瞬見開いた目は嬉しそうに細められて、俺の飛躍した告白をくすりと笑う。さすがにぐいっと行きすぎた自覚はあるが、間違っちゃいないはずだ。ここまで行ったら砕けるまで続けてやる。
「俺が恋愛しないのは悲しくて、遊びでは付き合わないと知って、それでその挑発ですからね。ここで曖昧にするのは合理的じゃない」
「さすがイレイザーです。けど、あの」
「今更、その気が無いなんて言わせませんよ」
 しゃんと背筋を立てて後ろへ身を引いて、微妙に逃げの姿勢の彼女。追いかけるように身を乗り出すと、ふわりと甘い香りがして、もっと、と欲望が脳を麻痺させる。こんな大胆なこと、しかもいつ人が来るかもしれないこんな場所で、俺がするなんて。自分を失っているような勢いに逆らえない感覚は何だろう。
 ミョウジさんは、いえいえ、と首を振って、ちょっとばかり頬をむくれさせた。かわいい。
「私にその気はありますが、イレイザーは、結婚できそうだからという理由ですか?」
 なるほど、『結婚願望』だけをメリットに俺が告白するとでも思ってんのか。そんな節操なしじゃない。
「んなわけ」
「要するにぃ……」
 すっと伸びてきた指が、前のめりの俺の唇にツンと触れる。彼女はこてんと首を傾けて、血色のいい艶やかな唇をゆっくりと動かした。
「足りてない言葉がありません?」
 なるほど。そりゃそうか。けれど。
「それを望むなら、続きは部屋でどうですか」
 ふふっと溢れた可愛らしい微笑みを、今すぐ連れ去って閉じ込めたい。
 フライングとはわかっているが、髭を撫でた悪戯な手を捕獲して、そっと唇を寄せた。そのまま手を引いて立ち上がる。彼女は廊下で誰にも会わない事を願っているかもしれないが、会ったら会ったで堂々と公表してしまおう。
 のんきな恋愛をする気はない。最初に言っただろ。展開が早すぎるなんて文句は受け付けないが、異論はあるはずないよな?

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