雨に走れば

「明日、雨だって」
 夕食の後にぼうっとテレビを見ていたら、天気予報が残念な明日を宣言した。明日は二人とも休みで、春を感じる所に行きたいねなんて話をしてて、なのに雨なんだって。
 消太は、そうか、とスマホに向けていた目をテレビに向けて、それから私に優しい視線を流す。
「じゃあ、映画でも観てだらだらしようか」
 それいいね。贅沢だね。
 明日、お家で全力でだらだら過ごすために、私たちは今日のうちにDVDをレンタルし、甘かったり塩っぽかったりする食糧を買いに行くことにした。

 夜の街はけれど明るい。文明が照らす平和な闇の中を、私たちは恐れることなく手を繋いで歩く。大きく振るまではしないんだけど、指を絡めて、親指で掌をくすぐり合って遊ぶ。くすぐったくて笑ってるのか、幸せで笑ってるのか分からないくらい、顔が緩んじゃうの。
「何にしよう」
 レンタルショップで棚の間を歩きながら、ジャンルだけ流し見る。消太も陳列された大量のタイトルを視線でなぞりながら、私の後ろをついてくる。
「受賞してるやつ」
「アカデミー賞? 春っぽいやつがいいなー」
「青春ものか?」
「ミュージカルもいいなぁ。迷う〜」
「歴史ものはやめてくれ」
「戦争シーンで血が騒ぐから?」
「寝るから」
 寝るのはそれはそれでいいけどね。まさに最上級のだらだらだもん。
「これとこれと」
「コレも」
 カゴに放り込まれた六枚のDVD。新作から古くて有名なやつまで。アクション、ラブコメ、ヒーローもの、実話、ミュージカル、アニメ。明日だけで見られる気がしない雑多なエンターテイメントと、明日を素敵な時間にする契約を交わす。
「あと、おやつとご飯と飲み物買お」
 駐車場まで照らして輝くコンビニは、歓迎の音楽で迎えてくれる。
 消太が持ったカゴには、スナック菓子もおつまみもスイーツもカップラーメンも。またもや雑多なラインナップでパーティみたいだ。
「太るな」
「でも全部外せないもん」
 食べたいものを何一つ諦めない贅沢をした。代償に、電子マネーの数字が減って、たぶん体重計の数字は増える。
「まぁいいか、その分動こうな」
「やだぁ、何考えてるの」
「やらしい事に決まってんだろ」
 バカみたいな消太とコンビニの外に出ると、しとしと雨が降っていた。やらしい事より健全な運動をしましょう。
「先に動こう! 走るよ消太」
 だって、映画見なくちゃいけないの。たくさん借りちゃったんだもん。
 来た時と同じように、消太の大きな手を握った。私のペースに合わせて長い脚がゆったりと回っている。私はこんなに一生懸命なのに。
 この程度の雨ならばそんなに濡れないだろう、という程度をはるかに超えて、予想外に一瞬で強くなる雨脚。あっという間に発生する水溜まりを、急ぐ足が踏み抜いた。
「きゃあ」
「うわ」
 コンビニの袋揺らして駆け抜ける。街灯も店の光もぱちゃぱちゃとアスファルトで弾け踊った。砕けた光が足を濡らして、服が重たくなってゆく。
 夜の街で雨粒が音階になって、水面の唄うリズムに乗って、ただひた走る。なんて、なんて愉快なんだろう。
 部屋に着く頃には、髪から爪先まで満遍なく雨に染まって、私は息を切らして笑った。
「あぁー寒い」
「ずぶ濡れたな」
 鍵を開けて、セーフティゾーンに入って、濡れた袋を置いて、お互いの変わり果てた姿を見る。
 消太が、濡髪をかき上げて額をあらわにした。滴る水滴、張り付いた服。この無精髭と長髪の小汚い男は、そんなに綺麗じゃない要素をプラスしてるはずなのに、色気を増し増した。
「へへ、消太なんかセクシーだね」
「惚れ直したか?」
「どうかな。風邪ひいちゃう、お風呂わかそ」
 既にカンストまで惚れてるの。
 私たちはタオルを求めて脱衣室へ、水の足跡で床を汚しながら上がり込む。
「ちょうど沸いてるよ」
「えっ、なんでー?」
 タオルを持たずに服を脱ぎ始めた消太が、さも当然というように無表情のままさらりと言った。
「家出る時にスイッチ押した」
「消太様!」
「惚れ直したか?」
 消太は、張り付いて難易度の上がった私の服を脱がせにかかる。
「これは惚れ直し、あれ、ねぇ消太もしかして、雨降るって知ってた?」
「バレたか」
 消太は歯を見せてにやりと口の端を吊り上げた。
「一緒に入る作戦」
「やられた!」
 楽しそうに冷えた身体に触れる手は、明日にならないうちに、既に休日を楽しみ始めている。全力でだらだら消太を楽しむなら、確かに、どうせなら今夜のうちから。

 消太といれば、雨のお休みも、観ないで返却する映画も、コンビニご飯も、何もかも幸せ。
 私は暖かな浴室で暖かな雨を浴びる。きっと、太陽は心の中にあるからだと、袋に入ったタイトルを一つ思い出しながら。

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