嘘つきは恋を叶える

「イレイザー! ヘイヘイヘイおまえもスミにおけねぇなァ! 愛しのハニーが校門で待ってたぜ!」
「はぁ?」
 ボリュームの加減をできない同期のせいで、職員室の視線は一気に俺に集まった。
 校門に愛しのハニー? 何言ってんだ。女性関係においては隅に置いといてもらって結構。俺に恋人はいない。いるのは長年片思いし続けてる幼馴染だけだし、山田にそれを打ち明けた覚えはない。
 成就してない恋なのに、まるで恋人がいるかののような言い草。とんだ皮肉だ。エイプリルフールにしては下調べの足りてない粗悪な冗談は、俺の眉間に皺を生む。
「そんな見え透いた嘘で騙せると思うなよ」
「いや、イヤイヤ、確かに今日はエイプリルフールだけども! そうじゃなくマジな! さっさと行ってやれよ生徒に弄られてたぜェ?」
 奇抜なサングラスの向こう、ちらりと見えた目は嘘を言っているとも思えない。雄英のセキュリティ上、アポ無しの訪問は内部の人間との関係が確実な場合意外、敷地に立ち入ることができない。ハニーとかいうのが山田の勘違いにしても、誰かが待っているなら行くべきか。
 ため息一つ、仕方なく立ち上がれば、ほれほれと背中を押されて職員室から追い出された。
 一体誰がいるってんだ。これで誰もいなかったらあのトサカ絞め落としてやる。
 だが、もし、幼馴染のあいつだとしたら。
 そんな無駄な期待が嫌でも湧き上がって、歩幅は自然と広くなった。
 約束もなく突然来るなんてことあるだろうか? ちょっとボケっとしているが、さすがにそんな非常識なことはしないだろう。とはいえ他に思いつく女性もいない。
「こんどはピザって10回言ってみてください」
 校門近くで聞こえてきた元気な生徒の声。こんなところで何ガキみたいな遊びをしてんだ。そう思って門の外を見ると、そこには――。
「ぴざぴざぴざ…」
 指を折りながら律儀にピザを唱えるナマエが。
 いるのかよ。まじか。おま、何やってんだ。
「ここは?」
「ぴじ!!」
 また間違えたぁ、と悔しそうに顔を顰めるナマエと、爆笑してる数人の女子生徒。
「じゃあさ、こちん、って10回言ってみて」
 こんどこそ、と気合を入れたナマエは、また両手をパーにして指で数えながら指示に従うが、待て待て待て。
「こちんこちんこちんこちんこ、ちん、こ……?」
「ナマエさんのえっちー!」
「わぁ! やだ、もぉ〜!」
 小学生かよ。何言わされてんだよ。はっきり聞こえちまっただろうが。なんでこんな所にコイツが。
「おい」
「あっ、消ちゃん!」
 俺を見つけてぱあっと輝いた顔に、飛び出しかけた文句の勢いは萎えてしまう。惚れた弱みというやつだ。
「何やってんだ……」
「えっと……十回クイズ」
 最後のは十回クイズじゃなかったけどな。
「遊ばれてたのか」
「そんなことないよ〜」
 へらへら笑ってるナマエから、生徒へと視線を向ける。彼女たちは俺の登場に怯むどころかキラキラした瞳で黄色い歓声を上げた。
「きゃぁー! 消ちゃんだって! ほんとに相澤先生の彼女さんなんですか?!」
「違う……」
 残念ながら。まだ、今のところは。そう付け足したい気持ちはきちんと抑えた。
 きゃっきゃと盛り上がる生徒たちは、それでも俺の不機嫌な顔色に配慮してか「すみません。話の流れでひっかけクイズが苦手って聞いたので、練習を……」と自然なんだか不自然なんだか分からないあらましを説明してくれた。
 まぁ、山田が俺を呼んでくるまで、彼女の相手をしてくれたんだろう。大人が学生に気を使われて、何やってるんだか。
「こいつの暇つぶしになってくれてありがとうな。もう大丈夫だから帰りなさい」
「はぁーい」
「ハイは伸ばすな」
 さようなら、と元気に手を振る無邪気な高校生。ナマエは「ありがとうねー!」と彼女らに負けないくらい元気に手を振りかえしていた。おまえらは同級生か。
「えへへ。楽しかった。可愛い生徒さんだね」
「俺の受け持ちじゃないけどな」
「相澤先生、だって」
 ふふふ、と俺の顔を覗き込んでくる大きな瞳。頭の中で反芻される、相澤先生、の声。呼ばれ慣れたはずなのに、彼女に言われると首の後ろがむず痒くなる。
「とりあえず、こっち」
 首をかいて誤魔化しながら、ひとまず敷地内へと案内する。けれど、学内で他の教員に会うと揶揄われるのは目に見えているし、どこに連れてきゃいいんだ。外で立ち話もおかしいし。第三応接室あたりなら、正面から校舎に入らずに人を避けて辿り着けそうか。
 目的地を決めたら最短距離で。意識しなくてもスピードをナマエに合わせているのは、幼い頃からの癖みたいなもんだ。
「懐かしい制服〜。消ちゃんが高校生の時もすごく似合ってたよね」
「どうも」
 こんな褒め言葉をぽんぽんと放ってくる。兄妹みたいな感覚で、異性として意識してるのは俺だけだからまいってしまう。
「消ちゃんに似てる子いないかなぁ」
「いない」
 きょろきょろと動く頭が視界の端から癒しを送ってくる。俺に似た生徒を見つけて何するつもりだ。
「消ちゃんに似た子なら絶対可愛がっちゃう」
「は」
 一瞬で脳内に広がった幸せ家族計画に、慌てて首を振る。産みたいとかそんな話をしてるわけじゃない。単純に俺の面影のある生徒を見つけて懐かしみたいだけだろ。
 彼女は、時々こうした爆弾をぽいっと放って俺の心を揺さぶってくるのだ。
「来るなら連絡くらいしたらよかったろ」
 少し強引だが話題を変えさせてもらう。
「玄関にスマホ忘れてきちゃったの」
「……またか」
 山田に伝言を頼んだのだから、まぁ携帯を携帯していないことは予想していたが。落としたわけじゃなくてよかった。
 あまり使う人のいない出入り口から校舎に入り、数人の生徒と挨拶を交わしながら、俺たちはようやく人のいない部屋に入ることができた。ひとまず、山田にやミッドナイトさんにイジられる未来は回避した。
「……で、なんの用があったんだ?」
 ローテーブルを挟んで三人がけのソファが二つ。仕事中だからそんなにたっぷり時間があるわけじゃないが、とりあえず座って話を聞こうと腰を下ろす。
 向かい合って座ると思っていたのに、ナマエはちょっとだけ躊躇った後、おずおずと俺の横にやってきた。久しぶりの距離感に鼓動が早まる。
「えっとね、エイプリルフールだから」
「おまえね……エイプリルフールはサプライズする日じゃないよ」
「知ってますぅ!」
 年齢に似合わない幼い態度と、それが似合ってしまうかわいらしい顔。もう、好きが一周回って憎らしい。
 くっつけた左右の膝の上で両手の指をもじもじと絡め合わせながら、ナマエは唇を尖らせた。
「ちゃんと、嘘ついたもん。消ちゃんの彼女です、って」
「……俺じゃなくて、山田にか?」
 確かに、まぁ、俺たちはそういう関係ではないからそれは嘘だ。俺にとっては嘘でも嬉しい言葉なわけだが、完全に嘘ですと言われると踏み出せない関係を突きつけられて苦しくもある。
「そ。エイプリルフールなら……消ちゃん、後から幼馴染の冗談だったって言えるでしょ?」
「まぁ……うん……」
 うん。希望的観測が正常な判断を邪魔して、おざなりな相槌しか打てない。
 俺に会いに来たはずなのに、俺じゃ無いヤツを騙してどうすんだ。その行動の意味は何なんだ。いや冷静になれ。どうせまたこいつの天然で、俺の想像とはかけ離れた思考回路でとんでもない着地点に着地しただけに決まってる。そう自分に言い聞かせても、どんどん心臓が騒がしくなる。
「どうしてそんな嘘ついたんだ」
「だって、言ってみたかったんだもん。消太くんの彼女ですって」
 消ちゃんの彼女です、って。
 付け足された言葉の破壊力に、頭がくらくらする。
 華奢な手が口元を隠して「えへへ」と漏れ出た照れ笑いは演技に見えない、けれど。
 なんだそりゃ。これ込みで嘘ってことか? エイプリルフールのせいでどこまで信じていいのかわからない。
「こんな日に……やめてくれ」
「だって、こんな日じゃなきゃ言えないんだもん」
 そう、なのか。裏の裏を読んで、本音? いや、あぁ、くそ。
 長年望んでいたことが現実味を帯びて、信じられないという気持ちがでかいんだ。これ以上期待して落とされたらたまったもんじゃない。
「嘘だったら傷つくから、素直に受け取れないだろ」
 傷つくの? と首を傾げた彼女は、数秒の間に悩ましげに眉を歪めた。
「……それ、エイプリルフールの嘘?」
 ほら、おまえも何がホントがわからなくなって混乱してんじゃねぇか。仕掛けてきたくせに。
 もし同じ気持ちなら、お互いエイプリルフールを盾に探り合うなんて、馬鹿馬鹿しい。ソファに手をついて、ナマエとの距離を詰める。ドキドキしてくれよ。俺に。
「本気だよ……今すぐキスして押し倒したいくらいには」
 とびきり低く甘い声で囁いたつもりだ。
 へ、と素っ頓狂な声で目を見開いたナマエは、みるみる赤くなってにまにまを抑え込むように唇を噛んだ。
「消ちゃんの、えっち」
「俺も男だからな」
 はにかんだナマエは、長い付き合いなのに別人のような顔をしている。当然平常心じゃいられない。
 ソファについた俺の手に、小さな手が重なる。体をこっちに向けたナマエは、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「ちょっとだけなら、いいよ」
 言葉が途切れると同時に、長い睫毛がすっと降りて、艶やかな唇が上品に閉じる。
 ちょっとだけならいい? キス待ち、ってことか? それは、まさか、嘘じゃないだろうな。今更「わー! エイプリルフール大成功〜!」なんて言われても止まってやらないからな。
 そっと顔を寄せる。
 ナマエの甘い香りが近い。
 何年も溜め込んだ重く濃い感情が、柔らかさに触れた瞬間溢れ出す。
 今日という日のやりとりを冗談で済まさないために、俺が俺の記憶を疑わないために。
 きっと、忘れられない口付けになっただろう。

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