最高の食卓



 ベッドの中で瞼が開くより先に、耳が、鼻が、消太の作る朝食を感じとる。
 ぱたんと優しく冷蔵庫の扉が閉まる音。炊飯完了を知らせる電子音。この香ばしい匂いは鮭。それからチャカチャカと卵をかき混ぜる箸のリズム。十中八九卵焼きとみた。あ、と声が聞こえてIHのスイッチを切る音。たぶんお味噌汁を沸騰させて慌てたんだろうなと思う。ほら、続いてじゅわっと卵をフライパンに流したね。
 消太の部屋に泊まったら、この暖かくてどこか懐かしい愛が漂ってきて、目覚ましになってくれる。鳴りだしたお腹に従って寝室を出ると、消太は黒のエプロン姿でキッチンに立っていた。「おはよう」と声だけは私に向けつつも、フライパンと格闘していて視線はくれない。
「おはよう。いい匂い」
「失敗したけどな」
「ほんと?」
 消太は眉間に皺を寄せて下唇突き出して、どうやらもう形を整えるのは諦めたらしい。すっかりスクランブルエッグのように崩れた卵焼きがお皿に転がった。
 きっと一人の時は朝からこんな料理は作らないくせに、私が泊まる時だけ無理をしているんじゃないかと思う。
「味は同じでしょ」
 クスクス笑いながら、そのカケラを指でつまみ食い。白だしと砂糖の程よい甘塩っぱさが消える前に、こら、と盗まれた卵を追いかけてきた薄い唇。無精髭を携えた口元は、その雄々しさに似合わない程に甘さを追加する。口付けが味の決め手になって、最高の美味しさに二人でとろける。
 幸せな朝、私の心は少しだけ締め付けられるような苦しさを感じていた。


==最高の食卓==


「仕事、何時終わりなんだ?」
 お手本のような和の朝食でパワーチャージして、オフィスカジュアルなセットアップを装備して、ナチュラルなメイクをして、歩きやすいけど綺麗見えするパンプスにつま先を滑り込ませる。
 スウェットのまま玄関に見送りに来た消太は、ん、と靴べらを差し出してくれた。
「今日は残業しないから、定時で上がるよ」
 週末同棲、というやつになるのか。お互い仕事で不都合さえなければ、金曜日の仕事が終わってから消太の家にお泊まりして、土日を一緒に過ごすのがお決まり。本来ならデートに行こうかと言っていた今日、私は締め切り間近の残務処理を押し付けられて急遽出社を余儀なくされた。
「今日も泊まれるんだろ?」
「うん。ここに帰って来ていい?」
「もちろん」
 すっぽりパンプスに踵まで押し込むと、靴べらは手からするりと奪われる。休日返上・デートキャンセルで重くなっていた脚は、頑張れよ、とつむじにキスをひとつ貰っただけで、魔法みたいにご機嫌にヒールを鳴らす。
「あ、そうだ。晩ご飯はどこか食べに行く?」
 会社帰りに待ち合わせして、夕食だけでもデート気分でどうかと思ったのだけれど。
「いや。作って待ってる」
 と消太は私の頬を撫でて目線を合わせるように促してくる。
「ほんとに? 無理しなくていいよ」
「大丈夫。期待してな」
 わぁ、楽しみ、と笑う私に、ちいさなキスが贈られた。見送りのキスは初めてで、新婚みたいでむずむずする。
「いってらっしゃい」
 がちゃり。張り切ってドアを開いて「行ってきます」と手を振ると、消太も小さく振り返してくれた。これから仕事なのに、この光景はなんだかテンションが上がる。悪くない。
 週末の朝の静かな通り。低めのヒールをコツコツと鳴らせば、一瞬で仕事モードに切り替わる。
 さぁ、エンジンかけなきゃね。せめて夜だけでも消太とのんびり過ごすために。やれないわけがない。仕事の後には消太が待っていてくれているのだから。

 初めて消太の家に遊びに行った時、殺風景で生活感の無い空間に似合わず、キッチンだけやけに道具が揃っていて驚いた。
 消太に「もしかして料理好き?」と聞いたら「いや、あまり」と気まずそうにしていたから、初お家デートにウキウキしていた心は一気に暗転した。
 前にも女性を招いたことがある、どころか同棲していたのかもしれないと勝手に想像して、ぶつける相手のいない不毛な嫉妬がぐるぐると渦巻いて。
 今の恋人は私であるのは確かで、彼の過去に文句を言うつもりはない。私にだって元彼という存在があるし、消太は無自覚だけどかなりかっこよくてモテるので、元カノがいても当然。
 けど、でも、だから、私は充実したキッチンを暗い顔で見つめながら「私、お料理しないけどいい?」なんて聞いてしまった。
 家庭的で料理好きな架空の女性相手に、私にそんな取り柄はないけど私の方が好きって言ってよね、なんて幼稚な思考が発動してしまったのだ。それに、元カノが揃えたキッチン道具をお下がりとして使うのは、なんだか嫌な気分がして。
 消太は、良い意味でどうでもよさそうに「しなくていいよ」と言ってくれた。
 まぁ、食事なんて、外食やテイクアウトでどうにでもなる。そう思っていたのに、それからというもの、お泊まりの時には度々消太が手料理を振舞ってくれるようになった。
 夕食は外で食べることもあるけれど、朝ごはんは必ず。たとえベーカリーでパンを買って行っても、ベーコンエッグとフルーツとかを出してくれる。
 真新しいエプロンを着けてキッチンに立つ消太は、決して慣れているとは思えない立ち回りで、だけど苦にしている様子はない。むしろ、私が料理を褒めると嬉しそうに頬を緩め、次は何がいいかな、って次回に思いを馳せている。元々の器用さも合間ってどんどん腕が上がっている。
 ただ、私は、本当は料理が得意で、いつもちょっと要領の悪い消太をやきもきしながら見守っている。
 消太が料理をするほど、幸せと美味しさと一緒に湧き上がる罪悪感。そんな自分を、隠してしまっている。

 平日より人の少ないオフィスは集中しやすくて、大量にあった仕事は想像よりスムーズに片付いた。綺麗さっぱり消えたタスクと引き換えに襲い来る眼精疲労と肩こりはファイターの証明。ミッションをコンプリートした達成感が気持ちよく伸びをして、定時退勤を決めた。
 いつもより早い電車に乗って、ビールを買って、二人でゆっくり過ごす夜を思いながら歩く帰り道。
 消太は何を作っているのだろう。カレーかな。パスタかな。麻婆豆腐かな。献立を考えるのだって大変だろうに、私が変な嫉妬を振りかざしたせいで毎回申し訳ない。
 けど、恋人の手料理はやっぱり嬉しくて、私が喜ぶからしっかりサラダなんか添えてくれるところにきゅんとして、エプロンだって似合うしかっこよくて眼福で。彼の優しさに甘えているという自覚はあるけれど、私は料理が好きだなんて今更言うに言えなくて。
 少しでも早く消太の元へ戻ろうと駆けた夜道は、行きよりずっと短く感じた。
 鍵は開いてる、とシンプルなメッセージを受けて、呼び鈴を押さずに遠慮なくドアを開ける。
「ただいまぁ」
 ドキドキしながら、お邪魔しますじゃなくてただいまと言わせてもらう。おかえりって消太が玄関に走ってきたら面白いなって期待してたけど、その姿は見える気配もない。
 その理由は一瞬でわかった。ジュワリパチパチと派手な揚げ物の音が消太の忙しさを物語っている。きっと手が離せないのだ。揚げ物なんて初めてだ。絶対慣れてないのに。
 短い廊下を抜けてドアを開けると、香ばしい匂いが部屋を埋め尽くしていた。
「ただいま。揚げ物?」
「おかえり。悪いな、ちょ、っと」
 エプロンして髪を束ねて菜箸を持った消太は、天ぷら鍋の中を警戒している。真剣な眼差しは迫力すら感じる。その鋭い視線の先には、私の大好きな――。
「わ、エビフライ!」
「あぁ、けど、っ」
 パチン。破裂音と共に油が飛び散って消太に襲いかかった。
「跳ねるんだ。あっち行ってろ」
 エビフライ。これまた難易度の高いものを。切り込みを入れただけじゃ案外に丸まってしまうのよ。尻尾の処理が甘いと跳ねるのよ。お肉を揚げるより格段に跳ねるのよ。
 手を出したい。狐色を通り越したそれはもう揚げ具合十分。余熱が入るから引き上げて。次のエビを入れる前に手を加えないと。
「ぅ」
 油風呂のエビが攻撃を放って、バチンと派手な音と同時に消太の肩がビクリと緊張した。
「手に跳ねたの?!」
「いや」
 いや、じゃない。視線が菜箸を持つ手を確認したのに気がつかないと思っているのか。その手は大切なヒーローの手なのに。顔には出さないけど、絶対熱かったはずだ。あぁ、ばか。
 急な仕事を頑張った私のために、大好きなエビフライを準備して待っていようと挑戦してくれたのだと思うと、健気さに涙が出そう。同時に、料理しない宣言への罪悪感に耐えられなくなる。
「手、冷やして」
「おい、大丈夫だから」
 離れてろ、と言う消太から菜箸を奪い取る。すぐに油から取り出して網の上に並べた二尾は、余熱を考えると色が濃いくらい揚がっていた。一旦火を止めて、しっかり手を洗ってから、衣をつけられて待機している残りのエビに向き合う。
「ココ、取った方が跳ねないの」
 尻尾の先端を切り落として、包丁で扱いて水を出す。ついでに尻尾の真ん中の剣先をもぎ取って、一応キッチンペーパーで水分をぎゅっと吸い取った。
 鍋は拍手してるかのように、余韻でパチパチと音を立てる。
 消太の顔は見られないのに、私の行動にたじたじと言葉を選ぶ気配がする。
「おまえ、料理……」
 やっぱり驚くよね。冷蔵庫から飲み物を取るくらいでしか踏み込まなかったキッチンで、消太を押しのけて料理し始めるなんて。
「しないって言ったけど、できないとは言ってないもん……。それより、手、冷やして」
 冷凍庫から取り出した保冷剤を消太に押し付けると、あぁ、と戸惑ったように受け取って言われるまま手に当てている。やっぱり熱かったんだ。消太に怪我をさせるような嘘をついてしまって、罪の意識で顔が強張る。
 数尾分の下処理はあっという間に終わって、再度コンロに火を灯し、揚げ物モードで温度を設定する。きっとさっきは温度も高すぎたんだと思う。
 白いパン粉を綺麗に纏ったエビが、ジュッ、と油に滑り込んで、黒かった尻尾は鮮やかに赤くなった。
「エプロン、借りてもいい?」
「あぁ、頼むよ」
 消太の頭からすぽっと抜けたエプロンが私にすぽっと被せられ、長い紐を持った手が後ろから腰を抱くように前に回ってきて、器用にリボン結びを作ってくれる。耳元を掠めた吐息にくすぐったくなって肩を竦めると、背中を覆った温もりはすぐに離れていった。メンズサイズの真っ黒なだけのエプロンは、肩紐がすぐに落ちてしまう。でも彼シャツみたいでちょっと良い。
「すぐできそうだな。サラダとスープ並べておくよ」
「ありがとう」
 消太は冷蔵庫と食卓テーブルを往復して、タルタルソースやドレッシングを並べ、サラダをお皿に盛り付けた。ミネストローネをカップによそって、仕上げにブラックペッパー振るなんてどこで覚えてきた小技なの。
 またモヤっとしながら、ふと、目は眩しいほどの輝きに気付いた。初めて、消太のキッチン道具をまじまじと見る。
 使い込まれていない菜箸。ピカピカ新品の天ぷら鍋。傷の少ないまな板。
 かつて、ここに家庭的で料理上手な彼女が立っていたとして、日々消太のために手料理を振る舞っていたとして、だとしたらこんなに綺麗なままでいられるものだろうか。
「大丈夫か?」
「うん。そんなに跳ねなかった。できたよ」
 心配そうな顔の消太は私の横に立ち、ずれた肩紐を直してくれた。最後のエビを網に上げて、火を止める。
 綺麗なきつね色に揚がったエビフライは丸まってしまったけれど、十分美味しそうでお腹が鳴る。山盛りの千切りキャベツに寄り添うように盛り付け、その傍にトマトとブロッコリーがポンと配置されて、完璧なメインディッシュが完成した。
 仲良く一皿ずつ持って、連れ立ってキッチンを出る。最後のピースを埋めるようにテーブルに置くと、ディナーの準備は完了。
 向かい合って座った途端、消太がカシュっと缶を開けた。ビールがグラスにとくとくと注がれて、黄金に輝いてテーブルに光を落としている。これはもうどこから見てもパーフェクトでスペシャルな食卓。誕生日かってくらいの豪華さ。美味しそうなご飯を、大好きな恋人と囲む。
 それなのに、私たちの間に流れる空気は、ぎこちなさを無理に繕っているように不自然で。
「料理、させて悪かったな」
「え」
 黄金の泡を眺めながら消太はぽつりと呟いた。勝手な理由で料理をしないと言った私に、頑張って料理をしてくれた消太が謝ることはひとつも無い。ちゃんと話をしなかったのは私。せっかくの休日に貴重な彼の睡眠時間を奪って朝から料理をさせてしまって、醜い感情を隠して迷惑をかけたのは、謝らなくてはいけないのは私の方なのに。
「できるのと、やりたいのは別だろ。道具が揃ってたばっかりに、余計なプレッシャーをかけたな」
 説明し辛い理由があるんじゃないかと私を気遣ってくれるのだ。優しさに胸が痛くて、私は膝の上でぎゅっとエプロンを握りしめた。
「違うの。料理好きなの。本当は消太にも食べてほしいくらい、料理は好きなの」
 ぱちくりと瞬きをして、彼は安心したようにほぅっと息を吐いた。「ならどうして」と次いで出た当然の質問。消太が色々気を使ってくれたのに、私のくだらなすぎる理由が恥ずかしくて、きゅうっと身の小さくなる思いがする。
「キッチン道具が充実してたから……元カノさんがこのキッチンの主だったのかと思うと、変に嫉妬して……」
「そうか……そういう理由なら、よかったよ。心配しなくても、そんな相手はいないしな」
 揚げたてのエビフライに向かって理由を説明すると、消太はふっと気配を綻ばせてはっきりと否定してくれた。
「いなかったの? だって、こんなに色々揃ってるんだもん」
 勘違いして当然、と自分を正当化する気はないけれど、純粋に疑問だ。だって消太は料理はそんなにしないと最初に言っていたんだから。
「それは……」
 言い淀んで、わかりやすく泳いだ視線。
「それは?」
 本当は元カノが使っていた、なんてのを疑っているわけじゃないけれど、じゃあどんな理由でこんなにキッチン道具を揃えているのか。
 消太は数秒黙って、ゆったりとグラスに手を伸ばした。
「冷める前に食べるぞ。乾杯」
「あ、ごまかした!」
 グラスがぶつかって、泡に唇をつける。釈然としないけれど、彼女が使っていたわけじゃないならまぁいいか。それに確かに、この目の前の料理を早く味わいたい。
「いただきます」
 声を揃えて手を合わせる。お上品さに欠けるけれど、おっきな口で濃い色のエビフライにかぶりつく。さくっとした衣に、食べ応えのある大きいエビがぷりぷりで、口の中が幸せでいっぱいになる瞬間がたまらなく好き。
「おいひい」
「うん。うまいね」
 タルタルソースも手作りしてくれてる所に愛を感じて、美味しくて美味しくて自然に目尻が下がって頬が緩む。
「揚げ物、初めてしたんだ」
「すごい。プルスウルトラしたね」
「助けられたけどな」
 普段から料理をする私でも面倒な揚げ物に、初心者の消太が挑戦するってだけで勲章をあげたい。本当に、どれだけ頑張ったの。仕事の疲れなんてもうどうでもいい。献立を考えるところから、消太はずっと私のためだけを思って準備してくれた。それが嬉しくて愛おしくてたまらない。
「明日は私も料理していい?」
「いいのか? 嬉しいよ」
 隠し事を解放して、もやもやしていた事も打ち明けて、スッキリした気持ちでご飯が進む。ミネストローネも野菜がたっぷりですごく美味しい。
 私が勘違いして勝手に嫉妬して、変な意地を張って悪いことをしたのは私ばっかりなんだけれど、嘘を消太に許されたことで、少しだけ心の距離が縮まって手をもう一度繋ぎ直したような気分がした。
「ごめんね、勘違いして……早とちりで消太に無理させちゃった」
「謝るな。好きでやってたんだ」
「本当に? だって慣れてるようには見えなかったよ」
「どうりで。時々うずうずした顔してると思った」
「うそ。バレてた?」
「俺が気付かないと思ったか」
「う……。外食したり、買ってくることもできたのに、どうして手料理頑張ってくれたの?」
 なんの気なしにほろりと口から出た疑問。もぐもぐ咀嚼していた消太は「ん゛」と喉を詰まらせて口を塞いだ。その頬がほんのり赤くなり、眉間に寄ったシワが深くなる。
「え、なに、だいじょうぶ?」
 ごくんと喉仏を動かして口の中のものを飲み込んで「笑うなよ」との前置き。頷きつつ、どんな理由なんだろうと首を傾げると、消太は景気付けのようにビールを煽った。
「その……結婚して、子どもができたら」
「ふぇ?」
 予想外のワードに、箸で摘まんだブロッコリーがお皿にぽとんと落ちてしまった。迫力ある照れ顔の消太は目線を逸らして続ける。
「全部外食ってわけにもいかないだろうし、作るだろ。なんだかんだ。離乳食だとか、弁当だとか」
「そ……え?」
「だから、〇〇が料理をしないなら、同じく料理をしない男だと結婚相手の候補にも入れてもらえないと思ったんだよ」
 そんな事考えて、頑張って料理のレパートリーを増やして、私の好きなものを作れるようになろうと――。
「消太……」
 わっと体温が上がって、身体の芯が喜びに震える。私に料理をさせようってのじゃなく、私が料理をしないままでいられるように、自分が変わろうとしてくれたんだ。愛でしかない。
「要するにポイント稼ぎだよ。俺が料理できれば、おまえの将来の懸念がひとつ減るかと」
 照れ臭そうに目の下の傷をぽりぽり掻いて、薄い下唇を突き出して。それってつまり、結婚したいから頑張ったってこと? 嫁入り修行みたいな事を、まさか消太がするなんて。
「懸念なんてないよ。ご飯作れなくても問題ない」
「本当に?」
 不安げに覗き込んできた三白眼が、こくこくと頷く私を見て真剣な色を帯びた。どちらともなく、テーブルの上を滑り寄った手が重なり合う。あったかくてたくましい指が、そっと私の薬指の付け根を撫でた。
 とくん、とくんと脈打つ心臓が、消太の言葉を聞き漏らすまいと音を小さく絞っている。
 消太は少し眉を下げて、蕩けるような瞳で私を見つめた。
「これからも、傍にいてくれないか」
 穏やかなバリトンが、美味しい料理の香りと混ざり合って記憶に刻まれる。息が苦しくて、こみ上げる感情に名前をつけられない。
「私で、いいの? 過去の彼女にまで嫉妬するなんて、私は自分で思ってたより独占欲強いみたいなの」
「〇〇じゃなきゃ意味がない。できれば毎日、こうして一緒に食卓を囲みたい」
 高級レストランじゃなくて悪いな、なんて困ったように微笑む無精髭へ手を伸ばす。
 私にとっては、夜景の見える高級レストランよりも素晴らしい。
 消太の作った料理が並んでいて、身を乗り出せば消太にキスできるこの小さなテーブルが、私の最高の食卓だ。









「不安な想像も嫉妬も、俺のことが好きだってのが伝わってきて、まぁ、悪くないね」
「ねぇ、結局このキッチンは、どうしてこんなに物があるの?」
「……恋人ができたって報告をしたんだ。同僚に。そいつが、今時料理の一つも出来ない男は恥ずかしいって言ったんだよ」
「へぇ」
「真に受けて揃えたが一人じゃ使うこともなくて。しかもソイツがお節介に色々くれたもんだから、こんなことに」
「同僚って、もしかして……」
「……マイク」
「わ、わ、わ、プレマイから貰ったのってどれ!?」
「……だから言いたくなかったんだよ」

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