クロージング

!注意!
夢主の家庭がちょっと複雑
先生が先生悪いやつ
夢といえるか微妙

何でもいい人向けです。









「こんばん、わ、ぁ」
 ネオンが目にうるさい歓楽街の端。待ち合わせのカラオケ前で俯いてスマホを弄っていたミョウジに、アカウント名で呼びかけた。
 彼女はパッと俺を見上げ、その途端、綺麗な笑顔を引き攣らせて、口を開けたまま固まった。そして、みるみる青くなってゆく。
「やっぱりおまえだったか」
 自分から出た声が思ったより低くて驚いた。俺は存外、平静でないのかもしれない。
 初見の佇まいでは彼女だと確信が持てなかったのに、いや、信じたくない心理も多分に働いていただろうが、結局、上がった面はやはりミョウジだったのだ。
 教室にいる時とは全く違うその姿に感心すら抱く。化粧をして、髪を、なんていうんだ、くるくるさせて、大人っぽいワンピースなんか着て。なるほど、発育のいい彼女がそんな格好でいれば、確かに未成年に見えない。
 見開いた瞳と見つめ合いながら、肺いっぱいに吸い込んだ空気を、鼻から、ふー、と吐き出す。
「ついてきなさい」
 ミョウジはびくりと肩を震わせて、大人しく従って一歩、高いヒールがコツンと軽い音を立てた。
 一番手近なラブホテルに入る。
 何か言いたげな、慌てた様子のミョウジは、ヒールでコツコツと不規則なリズムを打ちながらそれでも黙って俺の後に従った。
 空室になっていた安い部屋を選択し、エレベーターに乗り込む。そわそわと、小ぶりのバッグを持ち替えたりして、口を開いたり唇を引き結んだりして、そうした動揺は年相応なのに、ビジュアルとのギャップがなんとも言い難い違和感を生んでいる。
 選んだ番号の部屋では、ランプが点滅して入室を急かしていた。
 なんて憂鬱なドアだろう。
 ドアノブが心なしか重く感じる。開け放たれた、ボルドーとアイボリーの部屋はどこか贅沢な雰囲気で笑えてくる。安いラブホテルのくせして、俺のベッドより寝心地が良さそうだ。
 ガチャリと退路を断たれる頃には、ミョウジはぐっと堪えるように強張りながらも、覚悟を決めた顔をしていた。
「あの、」
「とりあえず、座って話そうか」
 彼女は気丈に「はい」とハッキリ返事をした。武装を解くようにヒールを脱ぎ捨て、ホテルのよくわからん柄の床を踏んで俺の背中を追ってくる。
 先に、テレビの前に置かれた合皮張りのソファに腰掛けて、あぁしまったと思った。ソファは一つしかないし、彼女を横にくっつけて座らせるのは、場所の都合も相まって適切じゃない。
 案の定、彼女はソファのベッドの中間地点で立ち止まって、居心地悪そうにキョロキョロと部屋を見回している。
 その目が思ったより――というのは失礼だが、どうやら、場慣れしてない雰囲気でほっと胸を撫で下ろした。
 所謂パパ活、SNS経由の出会いでしているのは体を売るわけじゃなく、デートだけなのだろう。
 安心して眠れなさそうな真っ赤な壁、真っ黒なままのテレビ、小さく光る謎の自販機を巡った視線が、大きなベットで止まる。
「ええと……ここに、失礼します」
 ぽすん、と彼女は綺麗なベッドメイクを歪ませて、柔らかく沈んだ。
 俺がベッドで彼女がソファの方が良かった、いや、ンなのどっちでもいいか、やらしい雰囲気になるわけもない。
「ミョウジ」
 努めて静かに呼びかけると、緊張した面持ちの彼女はパッと早い瞬きをして俺を見て、「の……姉です」などと宣った。
「嘘つけ。コラ。それで通ると思ってんのか」
「ごめんなさい」
 指を揃えた手を膝に置き、半分に折れるように頭を下げたミョウジに、ハァ、と重たいため息を浴びせかける。
「金が必要で、か?」
 担任として把握すべき家庭の事情は知っている。普段優等生な彼女の非行について、思い当たる原因といえばそれくらいなもんだ。
 大方母親に借金だとかで泣きつかれたのだろう。寮生活にも反対していた。ヒーローを目指すことを応援してくれない親に、ミョウジは蝕まれている。
 ミョウジは長いまつ毛で頬に影を落とし、しゅんと項垂れた。
「……はい」
「誰にも相談できなかったのか」
 してほしかった。頼ってほしかったのはエゴだが、相談することが間違いでないと彼女は知るべきだ。
「できたら、こんなことしてませんっ」
 母親からどんな教育を受けてきたのか、彼女の心の大きな部分は母親に支配されている。
 極端に他人へ寄りかかることを苦手とする彼女の根底を、俺は知るべきなのだ。それが彼女を苦しめるとしても。
「俺は話して欲しかったよ。誰もおまえを邪険にしない」
 ミョウジは、叱られると分かった時より、除籍かもしれないと身構えた時より、ぎゅっと苦しそうな顔をした。
「……みんな、普通の、普通以上の家庭の人ばっかり。セレブだっている中に、ドブネズミが一匹混ざってるなんて、それが私なんて、知られたくない!」
 ヒーロー科だから、というのもあるのかもしれない。事情を知れば誰もが善意で手を差し伸べるだろうが、彼女にとってはそれが惨めでたまらないんだろう。
 多少なら俺にも分かる。苦しみも葛藤も表に出せない不器用さが。お互い厄介なものだ。
 自分の身分を知られたくない。それは恐らく氷山の一角で、もっともっと深いところに、彼女自身理解にしていない潜在的なニーズがあるはずだ。それを全て溶かすのは膨大な時間が必要だろう。
 しかし、なんて、可愛い生徒だろうか。
 さて、どう働きかけよう? 彼女の心の柔らかいところを、ゆっくり俺の色にするには。
「俺なら家庭の事情は知っている。俺になら、隠す必要もない。……それにね、俺はおまえを尊敬してるよ」
 弓形の形のいい眉が、訝しげに歪む。
「なん、で、ですか」
 声と表情、スカートに皺を作る細い指先。
 懐柔への警戒と、人間不信、自分なんかに尊敬される部分があるわけないという純粋な疑問。
 いいね。
「逆境に耐えて、努力して、雄英に入れたんだ。すごいことだろ」
 丸い目をこぼれそうな程見開いて、はっと音を立てて息を吸ったミョウジは、勢いよく立ち上がった。俺に背中を向けて、細い腕で自身を抱きしめる。何に耐えているんだ。
「なんだ、褒められることにも慣れてないのか?」
「あ、え」
 背中に投げかけた言葉に、ミョウジは分かりやすく戸惑って揺れた。
 子どもだ。
 大人に褒められたい、認められたい、いい子だねと言われたい。承認欲求が満たされてこなかったせいで、何をすればいいのか常に他人を伺い、期待に応える行動をしようとする。学内での規範行動をとれる優等生なのはまさに頷ける。
 しかし、こうして欲しい、と頼られると、それが倫理から外れていてもそれに従ってしまう危うさがある。そうすれば相手が褒めてくれて認めてくれて、低い自尊心を少しは潤すと期待しているのだ。
 簡単に言うと飴と鞭だ。ありがとうあんたのおかげでお金が手に入った、と言われる飴と、おまえなんかいらない出て行けと見捨てられる恐怖。
 計算してないだろうが母親はそれがうまいんだろう。だから、不適切だと分かっていても、お願いとチラつかされると流されてしまう。
「プルスウルトラすべきところは、そういった情緒面でもたくさんありそうだな。鍛え甲斐があるよ」
 頼られるのが好きなのは結構。手の差し伸べ方は教えなくてはいけない。自己肯定感の低さをどうにかして、おまえはおまえのために選択できることを教えなくては。
「模範的ないい生徒だが、いい子すぎると思っていたくらいだ。おまえは断っていいんだよ」
「やめてください……」
 おずおずと振り向いた目は、俺の優しさを疑いながら期待している。
 やめないさ。
 おまえの依存先を、俺に塗り替えるまで。
「おまえが、その家庭環境のせいで人に頼るのが下手なこともわかってるが、それを鑑みても、今回の独断行動に移る前に相談すべきだ」
 さて、俺からの助言を素直に飲み込むか? おまえからは既に、反発したい不要な介入ではなく、心配されて優しく諭されているように見えているだろう。
「でも、でも、言ってどうなるんです?」
 ここで見せつけるべきは、圧倒的に頼れる存在であるという安心感だ。
 真剣な眼差しより、余裕の微笑みがいいだろう。
「なんとかするさ」
「なんとかって、他人んちのお金の話ですよ?」
 ほらね、突っぱねずに根拠を求めるのは、傾いている証拠。
「おまえが頼ってくれさえすれば、なんとかするよ。ヒーローの卵で、俺の可愛い生徒だからね」
「先生……」
 ミョウジの体は完全に俺に正面を向けた。体を抱いていた手は、もじもじと腹の前で指を組み合う。
 もう一押し。
「ま、今日から俺たちは運命共同体になる」
 ぱちり、予想外の展開にまつ毛が一往復。ゆるりと傾げた首。仕草に油断が見える。
「ラブホテルに一緒に入ったんだ。ホテルの防犯カメラにも映ってる。たとえ話をしていただけとはいえ、おまえが騒げば俺の人生危ういよ」
 あ、と声もなく艶やかな唇が焦る。
「そんなのは、おまえに安心してもらうためのファクターにすぎないが、こんな理由がなくても、つまり、俺は生徒を裏切らないよ」
 瞳が潤んで、顔の筋肉が緩んでいる。
 そこまでしてくれた、と思うだろう。監視カメラ映像なんて一月も経てば消えるだろうにね。
 未だ立ったままのミョウジを、じっと見上げる。彼女はきゅっと唇を閉じて、少しずつ頬が染めた。
「特に、おまえだからこそ」
 決定打だな。
 大きな母親の存在を超えたいならば、性別を利用するのが最も合理的だ。恋ほど頭をおかしくさせる心理現象はない。親子の絆を飛び越えてしまう盲目さにけしかける。
「除籍に、しないんですか」
「この事は今のところ、俺しか知らないからね。おまえがもうしないと誓うなら、大切なヒーローの卵を失うのは惜しい」
 早めのスピードで話すのは、説得力を増すため。ちなみに内容は嘘だ。彼女を夜の街で見かけたと最初の情報をくれたのは別にいる。口止めはした。
「だから、二人の秘密にしよう」
 心に刻み込みたい言葉は、ゆっくりと話して暗示に入れる。
 もうしないと誓う、に僅かばかり動揺が見えたが、二人の秘密、にはうっとりと目尻を下げた。
 そして、ふた呼吸迷った末に、こくりと頷いた。
 いいね。本当に可愛いな。じゃあテストだよ。
「今、ここで、アカウント全部消しなさい」
「う」
 高校に入る前もこうして稼いでいたのだろうか。アカウント作成日を見るとここ最近のものではない。
 繋がりの、いわゆるお得意様の連絡手段を断つことになる。すなわち、母親を援助する手立てを、自ら手放せと命じているのだ。
 そもそも俺にバレた時点で、雄英に残りたいならば消すしかない。しかし自ら消すのと、俺に命じられたタイミングで消すのでは意味が違う。
「……わかりました」
 彼女はスマホを取り出して操作しながら、一歩、俺に近づく。
 差し出された画面には、アカウント削除のダイアログが表示されている。
 目の前をよく手入れされた爪が泳ぎ、ぽん、とその選択肢にイエスで答える。
 すぐ現れる、削除されました、の宣言。
 それを他のアプリでも、何度か繰り返した後、小さな声が「これで全部です」と最後の選択でもイエスをタップした。
 ふぅ、と彼女は頭上で、呪縛からの解放に息を吐いく。
「よくできたね」
 画面から視線を上げると、飴に喜ぶ幼い笑顔があった。
「おいで」
 両手を広げる。接触はやりすぎだろうか。
 しかし、恥ずかしそうにはするものの、どうやら喜んで俺の膝に跨ってくる。
「一人でよく頑張ってきたな」
「ん……」
 頭を撫でると緊張は蕩けて、くたりと俺に身を任せた。
 彼女は強い。強いからこそ、コントロール権は一度俺が預かるべきだ。
 担任として?
 いや、それ以上の下心を込めて。
「ありがとうございます……」
 彼女の視界の外で、俺は密やかにほくそ笑む。新しい依存の始まりに、謝辞が出るとは上出来だ。
 小さな背中を抱きしめて、耳元で甘く囁く。
 ――おまえが俺に堕ちるのは
「当然のことだよ」

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