おめでとうと言いたくて

朝、昼、帰り道の三回に分けてツイッターで公開したお話のまとめです。


 冷え込んだ空気が肺にたっぷりと冬を教えてくれる朝。
 凍えて体を硬くして寮から校舎までの道を歩いている今は、この立派で充実した設備と広大な敷地面積が恨めしい。コートのポケットに手を入れても、すでに冷え切った手はなかなか暖まらない。
 先週捌ききれなかった仕事がある上にもう月末。重なるイレギュラーに仕事が押してきて、できるだけ皺寄せの皺を伸ばそうと、まだ早い時間に寮を出た。
 この時間はこんなに静かなのね。前を歩く人は誰もいない。
「おはようございます」
 不意に聞こえた大好きな声に、二重の意味で心臓が跳ねる。ぱっと首だけで振り向くと、絶賛片思い中の相澤さんが、今日も変わらず覇気の欠けた顔をして歩いてきた。
「おはようございます! 相澤さん」
 追いついてきた彼は歩調をゆるめて、私と肩を並べ歩く。なんと。なんと。すごい事が起こっている。
「寒いですね」
「ですねっ。最低気温マイナスですもんね」
 私の声は、まるで寒さが嬉しい子供みたいに弾んでしまった。
 だってだって、あの相澤さんが。ただの事務員の私を覚えてて声をかけてくれるなんて。ヒーロー科の事務処理担当になって仕事量は増えたけど、相澤さんに会える機会が増えたからプラマイプラ。ヒーローのみなさんに認知してもらえるなんて嬉しすぎる。
 しかも、今日は誕生日なんだもの!
 誕生日に朝から相澤さんに挨拶できるなんて、もう最高のプレゼントをもらった気分。その上隣を歩いてくれてるということは、校舎に着くまでこの距離で、雑談の機会が与えられているということ。
 さっきまでと打って変わって、雄英の広大さに感謝したくなる。足が軽くなって踵がご機嫌なリズムを刻む。
 ちらりと横を見れば、半分くらい顔を隠す前髪の隙間から、冷静な瞳がスンと前を見据えている。奥目で鼻筋が通った綺麗な輪郭。口元の髭は男らしくてかっこいいのに、いつもより首を短くして、捕縛布で口元を温める相澤さんはどこか可愛いらしさも兼ね備えていてきゅんどする。
 ポケットに手を入れて歩くのは行儀が悪いような気がして、さっと取り出してはぁと白い息をかけてみる。すると、相澤さんも同じように、両手を口元に持って行き、はぁと暖かそうな息を大きな手にかけて、そしてすぽっと捕縛布の中へ差し込んだ。
 それ、そういう使い道もあるんですね? マフラーみたいだから暖かそうだけど、ふわふわしてないからそんなに暖かくなさそう。
「その中、暖かいですか?」
 尋ねると、相澤さんはハッと私に一瞥くれて。
「まぁ、はい」
 と歯切れの悪い返事をした。
「いいですね、暖も取れて武器にもなるなんて」
 いつかその暖かさを確かめてみたいなと思う。どういうシチュエーションなら自然と捕縛布に手を突っ込む流れになるか妄想しそうになったところに、コツコツと足音が近づいてきた。
「おはよう! お二人さん。珍しい組み合わせだね」
「オールマイトさん! おはようございます」
「おはようございます」
 朝からラッキーがすぎる。オールマイトさんとまでご一緒できるなんて。天からの誕生日プレゼントかもしれない。ニコニコ挨拶を返すと、オールマイトさんは、お、と眉を上げて私の手を見つめた。
「手袋忘れちゃったのかい? これでよかったら」
 と、彼は自分の手袋を外して私に差し出した。なんてナチュラルな優しさと気遣い。
「いえいえ、そんな、オールマイトさんの手が冷えちゃいますよ」
「寒そうな手を見ていると、私の心が耐えられないだけさ。私の温もり付きで申し訳ないけど……」
「えっ、それはむしろ嬉しいです!」
 あくまで自分のエゴのような言い方をしてくれるなんて、これがトップヒーローの人助け術。オールマイトさんすごい。
 遠慮せず使って、と渡された手袋は、明らかに私の手には合わないビッグサイズ。この手袋がちょうどいい大きな手で、どれだけの人を救ってきたのだろう。私の指先の冷えまで助けてくれるなんて、もう息をするようにヒーローなのねオールマイトさん。
 ぶかぶかだけどその中は彼の体温でぬくぬくで、いや体温がなくてもこれは、絶対高価でしょうという滑らかな質感の裏布。
「おっきいですね、オールマイトさんの手袋! しかもすっごくあったかい……!」
「ふふふ。気付いたかい? 中はカシミヤなんだ。しかも、レザーなのにスマホのタッチに対応してるこだわりの一品でね……」
 人差し指を立てて、るんるんと話し始めたオールマイトさん。皮の種類やメンズのブランドにはあまり詳しくないけど、それでも私では手の届かないほど上質なモノということは理解できる。
「すごい……! オールマイトさんに貸していただかないと、一生知ることのなかった暖かさを知ってしまいました……! ありがとうございます」 
「いやいや。もし気に入ったら、レディースサイズをプレゼントしようか? 君、今日誕生日だろ?」
「え、あの、はいっ、誕生日ですけど……オールマイトさん、どうしてご存知なんですか……」
「事務室で話しているのを小耳にはさんでね。誕生日を覚えるのは得意なんだ」
 バチンとウインク飛ばすお茶目な笑顔にキュンとする。確かに先週あたりそんな話をしていた。
「今こうしてオールマイトさんの手袋を貸していただいただけで、もう十分なプレゼントです! ファンに知られたら刺されそう」
「HAHAHA! そしたら意地でもマッスルフォームになって助けに行かないとね」
 やだもうオールマイトさんったら。ファンだけどファンになりそう、という不思議な沼の深さ。こうしてヒーロー仲間や警察とも分け隔てないコミュニケーションをとって、親しみあるスーパーヒーローをしていたのだと感心していた矢先「え」と横から小さな声がした。
「どうかしました、相澤さん……?」
 静かに横を歩いていた彼を見上げると、ぱちっと視線がかち合って、一瞬で逸らされてしまった。
「なんでもありません」
 そう言うわりに、なんだか感情の乗った顔をしているように見える。あ、もしかして相澤さんこそ密かなオールマイトファンだったり? どうしよう、目の前で手袋貸してもらっちゃった。
「あの、相澤さんもしてみますか? 手袋……あったかいですよ」
 ぱ、と大きくなった両手のひらを、相澤さんに向けてみる。「は?」と言いたげに左右の眉の高さを変えて、相澤さんはゆるく首を振った。
「いえ、結構です。その……」
「相澤くんも気になるのかい?! 手は大切だから暖めておくといざという時動きが段違いだよ」
「気になりません」
 ピシャリ。気迫ある冷たい声に、あのオールマイトさんがキュッと口を閉じた。
 相澤さんは、気まずそうに二、三度瞬きをすると、いや、と何か言いたげに口を開きかけてむっと閉じた。
「すみません。先に行きます」
 長い脚を存分にいかしてスタスタと速い足取りで去っていく黒い背中。どうしよう。なんだか相澤さんを怒らせてしまったらしい。ハッピーラッキーな気持ちはあっという間にしょぼくれて、シュンとした表情を隠せもしない。
「これは……私、お邪魔虫さんだったかな?」
 オールマイトさんの呟きは、耳には届いたものの脳まで到達しなかった。
 いつも目で追いかけている後ろ姿が玄関に消えてようやく、私は唖然から解き放たれる。
「どうしちゃったんでしょう?」
 不安をそのまま口に出した私に、隣のヒーローはにっこりと微笑みをくれただけ。いや、何か含みのあるニヤニヤした顔に見えてきた。うん。
「私の口からは言えないなぁ」
「どういうことですか、オールマイトさん……」
「素晴らしい誕生日になるように願っているよ!」
 と親指立てたグーサイン。
 何が、どうして、どういう意味!?
 混乱のまま、校舎に着いてしまった。もちろん手袋はお返しして、事務室と職員室という別の場所へ向かう。心配することはないさ、と励ましの言葉をくれてから手を振ったオールマイトさんは、若干スキップしながら廊下を去っていった。
 なにはともあれ、今日という日は始まった!


昼(相澤視点)


 ようやく十二時を指した時計と、増えた雑音。集中の解けた空気に、俺もキーボードの上の手を止めて画面上の書類を保存した。
 どうにも調子が悪い。体調の話じゃなく、ケアレスミスの多さが異常だった。
 原因はわかりきっている。今朝、珍しく出勤時間のかぶったミョウジさんと会えた。しかも声をかけて隣を歩くことに成功したっていうのに、それがただの幸運なだけで済まされなかった。
 もともとトーク上手じゃないから仕方ないが、彼女の好む話題がぱっと出ないし、捕縛布の中が暖かいか聞かれてとっさに「手入れてみますか」なんて変態みたいなことを言いそうになった。
 言葉に詰まっていたところにオールマイトさんが登場して、これで場が持つとほっとしたのも束の間。彼女は彼から手袋を借りて、きゃっきゃと嬉しそうにしていたから、嫉妬してしまった。
 あんなの、高級手袋について語りたかっただけだろ。俺も手袋をしていたら――していたとて、貸しましょうかなんてサラリと申し出られるわけもないが。
 しかも、今日が誕生日だなんて。知らなかった。
 上げて落とされた感覚だ。
 オールマイトさんも他人の誕生日覚えてないで書類の作り方も早く覚えてくれ。まったく。
 オールマイトさんのおかげで誕生日を知れたのだから、結果的に良いことだったにも関わらず。知っていたら一番に祝えただろうに、という一番を逃した無意味な悔しさが抑えられなくて。
 嫉妬と驚きと悔しさで必要以上に語気が強くなるなんて、感情のコントロールが不出来すぎる。
 彼女に悪印象を与えただろうか。そう思うと、なんとも胸の内にわだかまりが居着いて、俺らしくないうっかりを繰り返した。
 午後もこうでは困る。だから、彼女と普通に話ができるか確かめて切り替えるために、誕生日を祝う言葉くらい伝えに行ってみよう。
 彼女は大抵、ランチラッシュのところでお昼を食べているはずだ。用もなく事務室を訪ねることはできないが、昼食を取りに行って会うならば不自然はないだろう。いつもさっと補給するゼリー飲料を机にしまい、手ぶらもなんだから引き出しから飴を一粒ポケットに突っ込んで、俺は学食へと足を運んだ。
 生徒も教師も入り混じった列に並び、賑わう学食をぐるりと見渡す。たくさんある席のどこかにミョウジさんはいるだろうか。その姿を見つける前に、聞き慣れた声によって彼女の存在を認識した。
「hey! ミョウジさん、今日誕生日なんだって?」
 やたらと目立つ声と、人混みに突き出た黄色いトサカ。うどんを持った山田が椅子を引いて腰を下ろす、その向かい側の席にはミョウジさん。
「ハッピーバースデートゥーユー!」
「わぁ、マイクさん。ありがとうございます」
 山田は売店で売られているクッキーを彼女のトレーに置いた。周囲にいた生徒が、そうなんですか、おめでとうございます、と口々に彼女に声をかける。ふわりとした笑顔を振りまいて、律儀にありがとうを繰り返す姿に、ぐっと胸が苦しくなる。
 完全に、機を逃した。
 山田の渡したクッキーと比べると見劣りするそれを、渡せる気がしない。もう少しまともなモノがあれば。無意識にポケットに触れて、中に感じるのは飴玉ひとつ。
 おめでとうだけでも言うべきか。十三号まで彼女の隣に座ってしまった。誕生日だってオールマイトさんから聞いたとか、試供品だけどよかったら、なんて楽しげな会話が喧騒の中うっすらと聞き取れる。
 あそこに加わって――? いや無理だ。はぁ。何やってんだ俺は。おにぎりを持ち帰って職員室で食べよう。進む列に倣って次は自分の順番がくる、と注文を喉に用意したその時。
 バチン、と引き寄せ合うように、ミョウジさんと目があった。
「あ」
 ぎくりと首が固まって、ドライアイがドライを感じる。彼女もまた、浮かんでいた笑みを消しかけて、長い睫毛でぱちりと一つ瞬きをした。そして――。
 ――おつかれさまです。
 彼女はその綺麗に色づいた唇の動きだけで、俺にそう伝えて見せた。そして、花が開くように綻んで、小さく手を振ってくれたのだ。
 俺の中で何かが爆ぜて、体の内側から爽やかな風が吹き抜けていく心地がした。心にかかった靄は吹き飛んで跡形もない。どころか、晴れやかで満たされて、なのにきゅうっと心臓が痛い。
「ご注文どうぞー!」
 ハツラツとした声にハッと我にかえり、ぺこりと会釈してカウンターへと向き直る。
 喉に用意していたはずの注文は靄と一緒に吹き飛んだらしい。カツサンドおすすめですよ、勧められたものそのまま、じゃあそれを、と言ってしまった。米の気分だったが、カツサンドだって悪くない。
 俺は紙のランチボックスを片手に、食堂を後にした。
 とりあえず、嫌な相手にあんな微笑んで手を振ったりしないだろう。ファンサ、という言葉がよぎって首を振る。ファンじゃない。俺はもっと、彼女の近くを狙っているのだから。
 午後の仕事は順調にこなせるだろう。けれど、そうだ。誕生日おめでとうの言葉は伝えたい。今日のうちになんとか、彼女に会う機会を作れるだろうか。



 誕生日、と知れ渡ってみんな気を遣ってくれて、私は祝福に追い出されるようにして事務室を出た。いないと言ってるのに「彼氏とごゆっくり」なんて揶揄われるからたまらない。イタズラな優しさに笑いながら頭を下げて、プレゼントされた休息時間を大切に受け取った。
 この歳でひとりの誕生日なんて、帰ってからする事は特になくて。久しぶりにいいお酒でも買って飲んじゃおうかな。バスソルト入れてゆっくりお風呂タイムしようかしら。いつからだろう、ちょっとした自分へのご褒美で年齢を重ねた体を労わる日になったのは……。
 コツコツと自分の足音だけが響く静かな廊下の先。たどり着いた出入り口を見つめて、私は目を見開いた。重心を片足に置いて両手をポケットに入れた、ちょっと猫背の真っ黒の姿態が、明るい室内と夕闇に染まった屋外との境目で、こちらに背中を向けている。
「あ」
 思わず嬉しさが唇から漏れて、私に気付いた背中はゆるりと黒髪を揺らして振り向いた。
「お疲れ様です。相澤さんも今お帰りですか?」
「えぇ、まぁ……お疲れ様です」
 嘘みたい。朝から会えて、お昼にも目が合って、帰りまでまたこうして会えるなんて。誕生日効果で運にバフがかっているのかも。いやもしかして運命?
「すごい偶然。今日はたくさん会えますね」
 運命をなんとか偶然に置換して隠したけど、浮かれっぷりはダダ漏れ。私の締まりのない笑顔を向けられた相澤さんは、素早い瞬きを二回して「そうですね」と頬をかいた。そして。
「迷惑じゃなければ……途中まで、一緒に歩いてもいいですか」
 今、何とおっしゃいましたか。神様、ちょっと今日は私にサービスしすぎじゃないですか。明日からどん底人生になる可能性を考えて怖くなるんですが大丈夫でしょうか。いやたとえ明日から地獄を見ようとも、今この素敵な申し出を断るわけもない。
「はいっ!」
 あまりに元気なお返事に、相澤さんは無言で扉を開けて、私たちは並んで歩き始めた。
 朝同様、長い脚はゆったりと回って私にペースを合わせてくれている。
「珍しいですね。定時なんて」
「キリがよかったので」
「たまには早くお休みされるべきですよ。クマが染み付いちゃいますよ。今日のお昼はゼリーじゃなかったみたいで安心しましたけど」
 相澤さんに誘われて、相澤さんと一緒に帰り道を歩いている。日の沈んだ道は寒いのに心はほかほかして、そわそわして、歩き方まで変に弾んでしまう。
 ちょっと早口になりすぎちゃう唇を閉じて、こっそり横顔を見上げてみる。前を見据えた冷静な瞳は、数秒の沈黙の後ちらりと私を見て、目が合ったことに驚いたように慌てて視線を前に戻した。
「あの……朝……」
 捕縛布の中から、ぽつり、小さく呟かれた言葉に、きょとんと首を傾ける。
「朝?」
 復唱すると、相澤さんは気まずいのか照れ臭いのか、眉間に縦皺を刻んだ。
「変な態度をとってすみませんでした」
 えっと。もしかして朝からずっとそれを気にして、一緒に帰ろうと誘ってくれた、の?
 心臓がきゅうんとなって、こんなに背の高くてムキムキの相澤さん相手に『かわいい!』と叫びたくてたまらなくなる。
「いえいえ! 気に触ることがあったならこちらこそすみません……」
 オールマイトさんが大丈夫だと言ってくれたし、昼休みにも手を振ったら応えてくれたから、本当に別に何か用事を思い出して焦ったのかなくらいに思って気にしていなかった。
 相澤さんは「実は」と切り出して神妙に慎重に言葉を選んでいる。そして小さなため息の後、渋々といった風に口を開いた。
「今日、誕生日だって、朝言ってましたよね」
「はい。そうなんです。この歳でそんな特別感もないんですけど……それが、何か……?」
「……プレゼントが何も無いんです。貸してあげられる手袋もありませんし」
「あぁ……」
 オールマイトさんがあんな風にプレゼントの話なんてしたから、相澤さん用意しなきゃって気になったのかな……?
「いやいや、普通用意しませんよ。気に留めていただけただけで充分嬉しいし、最高の誕生日です」
 朝も帰りもこうして一緒に歩けて、誕生日を気にしてくれて、本当に最高。プレゼントなんて、そこまでしてくれなくても。
 それなのに、不満げな唇は拗ね言を溢す。
「どうせ俺はセンスもないし、あなたが喜ぶ物もわからないですし、流行りも知らないですしね」
「えっ! あの、相澤さんのセンスを疑っているという意味ではなくてですね……!」
 慌ててフォローすると、相澤さんは顔を背けてくつくつと喉を鳴らした。相澤さんってそういう揶揄い方するの。しかも笑ってる。やだもうご褒美すぎる。
「もう、相澤さん〜! ……まぁ、いただけるのなら何でもほしいですけどね。相澤さんから貰えるものなら飴でも消しゴムでも一生大切にします」
 冷えた手に、はぁ、と息を吹きかける。寮までの道は長いような短いような。もう半分も過ぎてしまった。
 突然の沈黙に、どうしたのかと隣を見上げる。
 相澤さんは――。
「ど、どうしたんですか?」
「あなたが変なこと言うからでしょう」
 相澤さんは、なぜか頬を赤く染めて、一生懸命捕縛布に顔を埋めて隠そうとしていた。鼻の下まで埋まっても、風に吹かれてむき出した頬や耳が赤いのは隠せていなくて。
「私、そんな変なこといいましたか?」
「言いました。……都合のいいように解釈されても、文句言えないと思います」
 しっとりと私を焦がす視線は、やけに熱っぽい。ドキドキと変に期待が膨らんでゆく。まるで恋の駆け引き? 駆け引きってほど水面下じゃないダイレクトな詮索。相澤さんにとって都合のいい解釈って何? 私の直感が正しいのなら、そこに間違いなんて一つもないわけで。だから。
「えっと……文句は、ないので大丈夫ですよ」
「また、そういう事を……」
「だって、本当のことですもん」
 もう私の顔も熱くて、やたらとゆっくり歩くつま先を眺めるしかできない。視界の外で相澤さんが手でがしがしを髪を乱している気配がした。
「本当に何でもほしいんですか」
「もちろんですっ」
 食い気味の返答。
 何をくれる気なの。茹で上がった頭が一瞬にしてありとあらゆる妄想を広げてしまう。だって、察しの悪い私ですら察しましたけど、脈あり、ってやつじゃないですか。
「じゃあ、コレを」
 ぽろんとポケットから出された飴を受け取ってしまった!
「のど飴〜! ありがとうございます」
 食べられないもったいない。そう思いながら大切に握ると、相澤さんはちょっとだけ頬を緩めた。
「本当に何でもいいのか……」
「相澤さんにいただいた飴ですから特別ですよ」
「……もう一つ、喜んでもらえるかわかりませんけど……」
 まだ何かあるの? そんなの供給過多じゃない?
 なんとも言えない、緊張と甘さの混ざった空気が二人の間で膠着する。寮に着くことを拒むようにどちらともなくスピードを落とした足。心臓の音が相澤さんに聞こえてしまいそうなほど、ドキドしてたまらない。
「……手袋は、無いですけど」
 勇気を振り絞ったのがわかる、ちょっと弱い声。相澤さんはこういうの、慣れていないのだと思うと少し嬉しい。緊張を隠せもしないで、ちょっとヤケになった気配までかもしながら、彼はおもむろにツナギのポケットを広げてみせた。
「ここになら、どうぞ。片手しか温まりませんがそれでよければ……」
 手を、相澤さんのポケットに――!
 オールマイトさんに対抗して!? 私の手が寒そうだけど手袋がないから苦肉の策かもしれない。けど、そうだとしてもあまりに嬉しすぎる。
「お邪魔したいです」
 よろしくおねがいします、と差し出した冷えた片手が、相澤さんの暖かくて大きな手に包まれる。
「ん」
「失礼します」
 そのまま招待されたポケットは、高級な手袋より暖かい。
 ポケットの中で繋いだ手。初めて触れるごつごつした指の感触。寒いのに緊張で手汗をかきそう。手に神経が集中していて頭は真っ白で、何も会話は生まれないのになぜか通じ合った気持ちになった。相澤さんの小指が、そっと私の人差し指をくすぐった。よろしいですか、と伺うようなその指に、狭いポケットの中でもぞもぞと応じる。カサついた皮膚が指の側面をするりと撫でて、指が一本だけ、ポケットの中で解けて結ばれる。
 片手には飴を握り、片手は相澤さんの手の感触に圧倒される。見えない黒い布の向こうで、おずおずと絡んだ手がふたつ同じ温度になってゆく。
 派手な誕生日パーティーよりよっぽど貴重な体験だ。こんな大人になってから、手を繋ぐだけでこんなにもトキメイてドキドキするなんて。
 恋人繋ぎとは程遠い、けど握手より密接に複雑に繋がっている。二人して一言も発することがないまま、私の帰るべき寮の前に着いてしまった。
 ぴたりと同時に足を止めて一拍の後に、夢が弾けたように顔を上げる。
「えっと、あの、最高のプレゼントでした」
 ポケットから出て冷えた空気に触れた手が、ゆっくり解けた。名残惜しいような、緊張が終わって安堵するような不思議な気持ちに包まれてふわふわする。
 ちょっと手を繋いで、雄英の敷地内を歩いただけ。なのに、それだけとは思えない幸福感。
「お粗末さまでした」
 相澤さんは、離した手をぐーぱーしながらスッキリした顔でそんなことを言うから、おかしくなって笑ってしまう。
「ふふ。あったかかったです。ありがとうございました」
「あの」
「はい?」
 顔を上げると、ぱちりと視線がぶつかる。吸い寄せられて逸らせない、三白眼がじいっと私を見下ろしていた。
 かっこいい。かっこよすぎて、叫ばないようにするだけでいっぱいいっぱいだ。すっごくいい雰囲気。これは、もう好きとか付き合いましょうとか無い方が変でしょう。
 けど相澤さんの口から出たのは――。
「お誕生日、おめでとうございます」
「あ……ありがとう、ございます」
 嬉しい。嬉しいのにちょっと拍子抜けもしてる。次の言葉があるかもしれない、という厚かましい期待までせずにはいられない私の状態には気付きもせず、相澤さんは「ふぅ」とゆっくり息を吐き出して一歩後ろへ下がった。
「言えてよかった。では、俺はこれで」
「あれ? 学校に戻るんですか?」
「まだ仕事が残ってるんで」
「あ……あれ? てっきり、終わったのかと」
 髭の口元が、無音で「あ」と形を作る。次いでみるみる赤くなる。
「わざわざ、おめでとうって言うために送ってくれたんですか……?」
「……察してください。戻ります」
 くるりと反転、スタスタと去ってゆく背中は丸く、ボサボサの髪を更にかき混ぜて気まずさを夜に溶かす。
 残された私は、片手の温もりが消えないように守りながら、ぽかんとその後ろ姿を見送った。
 相澤さん。忘れられない誕生日になりました。ところで、私たち、ええと。察するまでは察しますが、付き合ってはいない、んですよね?
 恐らくですが、私に渡し忘れてるプレゼントがあるんじゃないでしょうか。仕方ないので私から言っちゃっても、よろしいでしょうか。

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