猫の日の話

 同棲している私たちの、二人の時間を過ごす定位置であるソファ。そこに拳一個分の隙間を開けて並んで座り、テーブルにはブラックコーヒーとカフェオレを並べて置いて、雑談と共に明日のスケジュール確認をしていた。
 そうしたら、今日は猫の日だったんだよって、消太さんが言うので、それはつまり私の日ですねって言おうとして固まった。だって彼は、猫カフェのイベントがどうのとか宣ったのだ。
「猫カフェ?」
「ああ。時々行ってるところになかなか懐かない子が……どうした?」
 多分私はひどい顔をしている。怒っているとも驚いているとも絶望しているとも取れる複雑な、ひどい顔をしている。
 盲点だった。学校に作ってあげた思い出の猫スポットで満足せずに、まさか休日に猫カフェに行ってるなんて。しかも、何か問題でも? ってきょとんとした顔しちゃって、この人ったら。
「う・わ・き、です」
 キッと上目遣いで睨んでみる。
「は?」
 眉を目一杯あげて四白眼を見開いて、素っ頓狂な声を溢した消太さんは、いやいや、と首を振った。私の気持ちなんてちっとも分かっていない様子でいるのだ。私はそれが大いに気に食わない。
「浮気です!」
「どこがだ」
 消太さんは、全く納得できないと呆れて、コーヒーに口をつける。
「にゃー! 私という可愛い可愛い猫ちゃんが彼女としているのに、他の猫に餌あげておもちゃ振るんですか? そんなの浮気です! ひどいです!」
「おまえは人間だろ……」
「にっ、にんげんですけども……」
 ぐぬぬ、と唸って頬を膨らます。子どもっぽいと分かっていてやっている。消太さんは、幼稚な私の行動にキュンとするらしいことは把握済みなのです。
 確かに私は人間だし、個性が猫ってだけで猫が恋愛対象なわけじゃないし、ましてや完全なる人間の消太さんが猫と恋愛すると思っているわけじゃない。けれど、人間の中で一番可愛がられているのが私だとして、だとしても、猫の中でも一番可愛がっていてほしいのが個性猫である私の本能なわけで。
 雄英の校舎裏の猫スポットは、あれは私が敷地内に住み着いていた猫を集めたのだ。個性猫は、耳と尻尾が付いていてお目目がクリクリなだけじゃない。実は猫と会話もできるのだ。私はきちんと、猫たちに懐きすぎないように言ってあるし、時々サービスするようにも言ってある。私の息のかかった猫たちだから、大丈夫と交流を許してきたわけで。それにまぁ、一期一会の野良猫ちゃんには嫉妬なんてしませんよ。ええ。でもね、猫カフェに通い詰めて仲を深めるのは、全く違う。ダメ。
 確かに人間、されど猫であるから、猫への嫉妬もこれはまた必然。
「何色の子が、消太さんのお気に入りなんです? お耳は?」
 ずいっと拳一つ分の隙間をゼロにする。ついでに身を乗り出して、消太さんの向こう側の肩に手をかけて顔を覗き込む。
「おい」
「毛足は? お名前は? 私より可愛いんですか?」
 ぐいっとついに膝の上に跨る。消太さんの大きな手が私のウエストを支えるようにつかんだ。
 多分、何気無い会話だったのに、思いの外私が過剰反応を見せたから驚いたんだろう。ちょっと圧倒されてぐっと詰まるように閉じていた薄い唇が、ふと笑って、とっておきの一撃を放つために、ゆっくりと息を吸う。
「可愛いのは、おまえだけだよ」
 なんて甘いバリトン。甘いくせに、溜め攻撃みたいに高火力。下がった猫耳に響く。手のひら全部が腰を滑って、ふらふら揺れ動く尻尾の付け根を撫でる。
 ふにゃ、と簡単に絆されそうになって、ちょっと頬も赤くなる。悔しい。
「ふん」
 ぷいっとそっぽを向けば、くすりと鼻から吐息の漏れる音がする。
「遊んでほしいのか?」
「ふんっ」
 あろうことかポケットからネズミのおもちゃを出して見せびらかしてきた。ぺん、とネズミを叩き落とす。
「ほら、おいで。なでなでしようか」
「……ふーん!」
 魅力的すぎるお誘いにも、今は素直に胸に顔を寄せることができない。抱き寄せようとしてくるのを、両手を肩に突っ張って抵抗する。
 消太さんは猫が好きで、私も好きで、私がいても猫のところに行くの。つまり私では消太さんの猫欲を満たせない。なんで。
 ちょっと面白がっていた消太さんは、頑なな態度についに小さくため息を漏らした。
「分かった、猫カフェは行かないよ」
「……」
 そう、引かれてしまうと、途端に申し訳なくなる。頑張って働いている消太さんの、お楽しみタイムだっただろうに。合理的な彼が癒しを求めて猫と戯れるなんて、とってもとっても意味のある時間だっただろうに。申し訳ないのに、私のために簡単にそれを切り捨ててくれた事に、嬉しさが湧き起こる。そんな自分が嫌になる。そうじゃないの。そうじゃない、と思うのにじゃあ何なのか言葉にならない。
「行ってもいいです」
「嫌なんだろ?」
 嫌なのは何? よく考えればこれは嫉妬なのかすら怪しい。怒った態度を取っているけど、ひどい、と思ったのは何?
 不思議なくらい複雑に色を重ねて、正体を見せない私の心に、私が一番戸惑っている。
「……わかんない」
 ぷりぷりと膨れていたはずの頬はぺしゃんこになって、つり上がっていたはずの眉はへにょりと下がった。私はこのモヤモヤとした感情の行き場を完全に見失ってしまった。消太さんは何も悪くないんだから。私が全部おかしい。全部やり直したい。こんなの変。
 消太さんは、しょげた私を見つめてちょっと困った顔をして、寝ている耳を撫でる。私の猫らしい部分を確かめるみたいに。
「おまえが猫だから、好きになったわけじゃないんだよ」
 それは私の猫としての無意味なプライドを、ゆっくりと指先で突っついて揺らす。消太さんは猫だから私を好きなわけじゃない。その宣言がどこか不安定だった自信を慰めてくれる。
「猫は、まぁ、好きだけど。だからっておまえのことは人間として好きなんだから、立ってる土俵が違うだろ」
「……猫でも人間でも一番可愛い?」
「もちろん」
「癒される?」
「あぁ、猫よりずっと癒されるね」
「猫カフェ、一緒に行ってもいい?」
「一緒に行きたかったんだ」
「私ばっかり猫にモテるよ?」
「おこぼれに預からせてもらうよ」
「ふぅん、いいよ」
 ぽふ、と暖かな胸に頬を寄せ、すりすりする。ぴこぴこ機嫌を取り戻した耳。その付け根をふわふわとかいた指先が、顎の下に移ってくすぐってくる。
「いいこだね」
 ゴロゴロ喉が鳴ると、嬉しそうに微笑むから、やっぱり私は猫寄りの目当てをされているような気がしちゃうんだけど。
「扱い方が猫です」
「つい、可愛くて」
 ごめんと謝りながら、頬を包んだ両手が上を向けと誘導してくる。
 なぁに、と見上げたら、間近にとっても緩んだ顔があって、そして、唇が触れる。
 唇の弾力を楽しむような啄ばみが、次第にしっとりと濡れて、熱い舌が油断した隙間を埋めるように侵入してきた。
「んん」
 浅く、ちょっと尖った歯を舐めるように這う舌に、尻尾のあたりがムズムズする。消太さんのスウェットをぎゅっと握ると、最後に舌唇を食んで、名残惜しそうにキスが終わった。
「こんなこと猫にはしないよ」
 当たり前です。
 猫だけど、猫じゃない私の、中途半端なスタンスが人間側に傾いた。
「消太さんも人間の中で一番ですよ」
「知ってる」
「猫カフェ行くなら、その百倍、私にかまってからにしてくださいね!」
「言ったな? 待ったはナシだからな」
 するりと服に忍び込んできた手が、人間同士でしかしない遊びを提案してくる。
 私の不機嫌は潜在ニーズを言葉にできないまま、でもぽわんとあったかくなって、キスの中に消えた。

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