むっつり鬼とマシュマロ

「トレーニングすることにした」
「……そうか」
 家に帰ると彼女がおもちゃみたいなダンベルを持って二の腕のトレーニングをしていた。
 いつの間に購入したのか、トレーニングウェアなんか着て。スポブラのようなものと、レギンスにショートパンツという格好はスポーティ。なのに、四つん這いという姿勢も相まって彼女が着るとなんだかいかがわしい気持ちが湧いてくる。
 ダンベルはきっと一キロ程度の軽いものだろうが、ん、ん、と息を詰まらせながらせっせと右腕を曲げたり伸ばしたりしているのが何とも言えなくて、俺は立ち尽くしてその様を見下ろした。
 腕を伸ばすときに息は吐け、肘の高さをキープだ、あと胸の谷間についても細かい指摘をしたくなるが、ともかく慣れない筋トレを一生懸命頑張っていてえろい。いや、えらい。
「突然どうした」
「今、私史上最高体重なの!」
 彼女はヨガマットを見つめて腕を動かしながら、深刻そうな声で言った。もちろん、最近体重が増加してきたことには気付いていた。日々触るのだし当然。そういえば今月に入ったあたりから、ベッドへ連行しようと抱き上げた時や、後ろから抱きついてお腹を触ると嫌がるようになった。
「いいだろ別に。モデルみたいに細くなる必要はない」
 むしろ今くらいが好きだ。俺の前で好きなものを美味しい美味しいと笑顔で頬張るのが可愛くて仕方ないし、それを我慢なんてしなくていい。抱き心地もいいし、どうしてもってんなら運動は夜に――なんてエロオヤジ的な発想が一瞬頭に過ぎってしまった。俺は真顔をキープできているだろうか。表情筋は仕事してないな、よし。
 二の腕のトレーニングはカウントたったの十五で終了したらしい。十五でもキツかったのか、彼女は疲労感たっぷりにペタンと座り込み、キッと俺を睨み上げた。
「消太みたいなカチカチのムキムキのバキバキまでいかなくても、このぷにっとしたマシュマロを少しでも撃退したいの!」
 ぷるぷるした二の腕を指差してそう喚くと、ここも、ここもっ、とお腹や太ももの肉をぷにっと摘んで贅肉をアピールしてくる。はぁ。たべたい。いや何を考えてんだ。しかし、いい筋肉とはカチカチのバキバキってのじゃない。俺の筋肉は見せかけじゃなく使える筋肉だからそんなおまえの言うようなのとはちょっと質が違うんだよ。どこ目指してんのか知らないが。
「俺の筋肉は案外柔らかいけどな」
 柔らかい、と口にすると自然と視線はウェアに抑えられた彼女の胸へと吸い込まれ、徹底しきれないむっつりがはみ出してしまう。
「消太の筋肉がむちむちふわふわなのは知ってるの! そうじゃなくてっ、むうう」
 知ってるか。そうだよな。触らせてるもんな。
 少しばかり揶揄いすぎた。拗ねた唇が可愛らしく窄まって、ほら、頬までぷっくり太らせて何だ誘ってんのか。
 ともかく、運動自体は悪い事じゃない。体力はつけてくれたらありがたいし、適度な運動は健康はもちろん精神にもいい作用がある。
「おまえがやる気なら応援するよ。指導しようか?」
 ぱっと輝いた瞳はキラキラと俺を見上げ、三秒かけてじとっと疑いの眼差しに変化した。
「消太に頼むといやらしいことになるから、いらない」
 ご明察。というかまさか、その露出たっぷりの服でジムに行こうとしてないだろうな?
「トレーニングは家だけにしろよ。ジムはダメだ。俺と同じく、やらしい目でおまえを見る男がいるから」
 そう釘を刺せば、丸い目がぱちくりと瞬いてにっこり笑う。
「説得力あるね
「返事は」
「はぁい!」

 と、いったやりとりをしたのが先週のこと。それから毎日、俺は帰ると必ず汗ばんだ彼女を拝むことができる。
 しかし一つ問題があった。
『痩せるまで、一緒に寝ない』
 と彼女は俺の隣で寝ることを、もとい俺に触れられる事を全面拒否したのだ。
 帰宅するたび目に入る火照った肌にも、はふはふと息を弾ませる唇にも、触れる事を許されず。ソファで隣り合って肩同士をくっつけることすらノーと言われ、俺の心は荒みはじめていた。
「で、進捗はどうなんだ」
 帰宅して、お馴染みの唆るウェア姿の彼女と対面する。
 ほんの少しでも体重が落ちてたら、褒めて褒めてさっさと抱きしめてそのまま押し倒したい。
 なのに彼女はぎゅうっと顔を顰めて、悔しそうにトレーニングバンドを床に叩きつけた。
「やせない!」
 マジかよ。まぁ確かに、間食に手が伸びていたのも見た。やり方に不備がありそうな初心者丸出しの筋トレでもあった。とはいえ、三日坊主にならず休まず頑張っていたというのに。まったく変化なしってことは無いだろうが、彼女の甘い見通しとは大分差があったということかもしれない。
 すっかりしょんぼりな彼女を励ましてやりたいが、なにしろお触り禁止だ。言葉で甘やかしてやるしかない。
「おまえはよくやってる。俺は知ってるよ。効果が出るには少し時間がかかるし、痩せにくい時期もあるしな」
 俺に嫌われたくないと努力するその可愛さは満点だ。そう、体作りなんて、一朝一夕というわけにはいかない。
「けどぉ……だって、このままじゃ消太とぎゅってできない……!」
「おい、自分で言い出しといて先に弱音吐くなよ」
 俺なんてダイエットに付き合ってお預け食らってんだぞ。どうにか、このまま解禁の流れにならないか?
「正直、動画見てやってもうまく効いてるのかわからないの」
 筋トレは意外と見様見真似じゃうまくいかない。膝の角度ひとつ、腰の反りかたひとつ違うだけで、有効なトレーニングにならないものだ。
「仕方ないな。口を出していいなら、アドバイスするよ」
 ついでに手も出したい。のに、彼女は潤んだ瞳で俺を見上げ小首を傾げた。
「いたずら、しない?」
 俺がその顔に弱いのを知ってるな。表向き無表情のまま、心の中ではぐぬぬと歯を食い縛る。
「……しない」
「ありがとう! 絶対ナイスバディになる!」
 ぴょんと弾んだ彼女の揺れるところ全部が好きだ。ナイスバディとかどうでもいい。
「でもね、あのね」
「ん?」
 喜びから一転、今度は俯いてもじもじと、人差し指同士をツンツンさせた彼女は、チラリと俺を伺って艶やかな唇を尖らせた。
「痩せてからって言ったけどぉ……今日は一緒に寝てもいい?」
 わずかにゴクリと喉が鳴る。
 いい。いいが。それはつまり。あれもこれも今日限り許可されたと思っていいのだろうか。
「……触るのは?」
「それはまだ!」
 ツンツンしてた指は谷間の前でバツを作った。
 何考えてんだこいつ。無理だろ。んな生殺し拷問かよ。
「ならやめておこう」
「えぇっ、う
「襲わない自信がない」
 ガーンと音が聞こえてきそうなほど眉を下げている。泣きたいのはこっちだ。
 健康にはいいだろうし、彼女がそれで満足ならトレーニングでも何でも好きにやればいいと思ったが、痩せなきゃ触れないなら俺にとっても死活問題。なのに耐えきれず接触を求められたら、どうしろと。
「あっ、じゃあちゅーは? したいでしょ? ちゅーだけ解禁にしてあげる!」
「あげるってなんだ。わかった、本気で痩せる気ならこっちも容赦しない。キスは……今からやる鬼のトレーニング、頑張ったらな」
 いいだろう。どうしても触らせる気がないなら、おまえだけの問題じゃない。こっちも本気出す。
 一週間で見違えるほど仕上げてやろう。頭の中では、トレーニングメニューに加えて低カロリー高タンパクな食事まで合理的な計画が立ち上がる。
「さぁ、始めようか」
「ひっ……お手柔らかに……」
 今更後悔しても遅い。
 マットの上に寝るように指示して、基礎的なクランチから。あれもこれも正したい箇所は山積みだ。
「腹筋は勢いに頼るな。肘は開け。そう。目線は臍。腰が浮いてるぞ空間潰せ」
「ふぇぇんっ、鬼っ! むり、むりだよぉ」
「頑張れ、ほら。ちゅーしないのか?」
 一日の終わりにキスひとつ。お互い丁度いいご褒美かもしれない。
「するぅ……!」
 俺が不足してキスしたさに必死に汗かく彼女は、健気で可愛くてたまらない。そのままのおまえでいいからダイエットなんて止めよう、と言いたいし俺の我慢も限界がきそうだけれど、このウェア姿も赤い顔もそれはそれで美味しすぎる。満足の体重になれば万事解決なのだから、それまでは――。
「呼吸止めるな。あと五回」
「ぐぅ」
 覚悟しろよ。
 地獄のしごきもその後も、な。

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