怖い映画を観たならば

「あっ、やっ、あっ」
「変な声出すな」
 私は今、ソファで体を小さく丸めて、横に座る消太にしがみついている。視線の先、テレビの中では、閉鎖空間の中で残虐なミッションに挑戦する人たちが悲鳴を上げていた。

 仕事の取引先の人と雑談していて、史上最強って感じだったよ、と話していた映画を調べたら、まさかのスプラッタホラー。『最強』じゃなくて『最恐』の方か、と思わず突っ込んでしまった。来週までに観てみます〜、と軽く言ってしまった事を後悔する。うら若き、でもないけど乙女にオススメする映画じゃないでしょ、と思いつつも、観ないわけにいかなかった。
 とはいっても一人で観る気にはなれなくて、仕事終わりに消太の家に押しかけて、今このような状況なのです。正直、付き合ってまだそんなに経っていなくて、まだまだ見栄を張りたい時期で。こんな喚き散らす姿を見せるのは気が引けたけど、背に腹はかえられぬというやつである。
 画面では今まさに、たくさん肌を露出した女の人が針の山に身を投じようなどとしていた。
「ひぃぃ!」
「見るのやめるか」
 私は見てるだけで体がチクチク痛い気がするのに、消太はどんなシーンでも落ち着いていて、騒ぐ私に呆れながらコーヒーを啜った。スウェットの腕に抱きつくだけに留まらず、指まで恋人繋ぎにして、さらにもう片手も回して、消太の左腕は私によって雁字搦めにされている。
 そりゃ途中で諦める手もあるだろうさ。でもね、消太は怖がりの特性をわかっていない。見始めてしまったら無理なのですよ。
「結末が分からないと! 解決しなくて不安だからっ!」
 犯人は捕まりました、とか、幽霊は成仏しました、とか、呪いの建物は崩壊しました、とか。何でもいいから、とにかく何かしらきちんと結末で解決してくれないと恐怖が終わらない。
「無理するもんでもないだろ。ネタバレサイトでも読んで行けよ」
 その手があったか。いやでも、それがバレたらえらいことよ。仕事は完璧に、感想だって恐怖を感じたならそれをリアルに伝えないと、経験の共有は信頼関係構築の第一歩。
 画面では、一人になった男が安全らしい部屋で一息ついている。私も、深呼吸を一つして、ちゃんと観なくてはと決意を固めた。
「いい、観る、最初より慣れてきた。っやぁあぁぁ突然出てこないで!」
 安心したらこれだよ。痛そうとかも嫌だけどびっくり系が一番無理!
 緩急が素晴らしい作品だねこれは! 突然のグロ域展開に、もはや画面に目を向けていられなかった。おでこを擦り付けた消太の太い腕が、一瞬ビクッと跳ねる。消太が驚くって何が起こっているの? 画面まだ見ないほうがいい?
「痛い、引っ掻くな」
「ごめん!」
 ぺしっと軽く頭を叩かれる。しがみ付くのに必死で、無意識に消太の腕に爪を立てていた。消太は映画じゃなくて私からの攻撃にビクッとしたのかもしれないと思うと申し訳ない。
 力の入った手に、消太の大きな手が重なる。
「ビビりすぎだろ」
「うぅ」
 薄く笑われて情けなくなる。なんで消太は平気なの。ほんとは観てないんじゃないの、なんて思って見上げれば、その目はしっかりとテレビを見つめている。すごいまともに観てる。
 私は消太の肩に隠れながらチラチラとテレビを見て、そして時々消太を見る事にした。いい作戦だと思う。消太の顔が普段通り無気力そうで安心するから、恐怖がちょっと薄れて効果的だなって、思ってたら、派手な悲鳴と共に一瞬、消太の目が光った。
「あっ、消太ビビった!」
 瞬きの間に元の小さな黒目に戻ったけど、私は見逃さなかった。絶対に一瞬赤くなった。
「ビビってない」
「いやさっき光ってたよ」
 ムッと唇を突き出して、じとりとこちらを見下げる。肩のあたりをトントンと指で突つきながら、その口は想像しなかった感想を述べた。
「さっきの針が突き抜けるので、ココの傷の思い出しただけだ」
「ひぇぇぇグロ見てて感想が"思い出す"ってあるの?!」
 それは確かに、私がグロを見て思う"痛そうなイメージ"を通り越してる。映画の残虐シーンは怖いけど、消太が同じ状況にあるのを想像したらもう、血の気が引いた。
「ちなみにさっきのカウンターは汎用性のあるいい技だよ、よく使う」
 乱闘してるシーンに対しての感想もおかしい。映画より消太の現実の方がよっぽど恐ろしいんじゃないかって気がしてきたら、映画に対する見方が変わる。まさか、うっ、この指切り落とされるのもっ、うあ〜、「半分までなら切れたことあるよ」とかやめてください。リカバリーガールのお世話になりすぎ。もう映画に出れるよあなたは。経験済みなんでリアルにリアクションできますって売り出せるよ。カウンター決めてサイコパスから逃げるのも、もしかして経験済み?
 私はなんて相手に爪を立ててしまったんだ。もしまた引っ掻いてしまったら「反射的に反撃しちまった」とか言い出すんじゃないかって。その拳が飛んできたら私は吹き飛ぶよ。そう丁度この映画の、男の頭がっ、鉄球でひしゃげるみたいにっ。うぁ。
「消太の方が怖いかも、引っ掻いたら仕返しされる。ちょっと離れてもらった方が良さそうな気が……」
 かれこれ一時間以上も拘束していた腕を離してあげると、消太はちょっと驚いた顔をして、ふぅんと、ほぐすように手首を振った。
「これだけしがみついておいて、俺が怖いとは随分な言い様だな。じゃああとは一人でどーぞ」
 消太が立ち上がった瞬間、カミソリの刃がテレビの中で光る。無理。日常にありそうな物を出してこないで。
「うそうそうそ安心感しかない! お願いヒーロー!」
 長い足に縋れば、フンと鼻を鳴らしてまた座ってくれる。優しい。なんだかんだ付き合ってちゃんと一緒に観てくれて。
「ん、わかってるよ。ほら。黙って見ろ」
 差し出された左腕に、もう一度しがみつく。神か仏かってくらい、穏やかに微笑むその顔はかっこいいのに、恐怖フィルターにかき消されて堪能できない。
「ありがとうございます」
 クライマックスの派手な攻防を見ながら、轟く喚きと咆哮の中、私がぎゅっと手に力を込めるたびに口元が緩む消太には、気がつかなかった事にする。



「あの」
「なんだ、エンドロール見るのか?」
 フルフルと首を振る。心臓が狂いそうな強烈なストーリーは終わりを迎え、真っ黒な画面に文字だけが流れていく。ようやく私から解放された消太は、リモコンを手に取ってパチリと消した。
 何とも無慈悲な事に、この映画はまるで続きがあるかのような幕引きだった。まずい。完全解決してくれないと、怖いのが終わらない。
 怖いので、家に帰りたくない。着替えも何も持ってきてないけど。もう、帰るという選択肢は私の中になかった。
「いや、……消太の服かして欲しくて」
「は? 泊まる気か」
 明日も仕事なので帰るつもりだったし、もちろん消太にもそう伝えていた。というか消太の家に泊まったのは、先々週末のまだ一回だけ。私たちの距離感はそんな感じで、なのに、よもやこれが二回目の彼氏んちお泊まりになるとは私だって想定外だ。
「だってこれ一人で眠れると思う?!」
「……わかった、Tシャツと、下はハーフパンツでいいか」
 消太はワシワシと頭を書きながら、消太は寝室へと向かおうとする。まだ恐怖の匂いに囚われている私はその背中を追いかけた。
「あの、あとね、お風呂」
 消太がクローゼットを開ける。ちらっと見えたその中には黒い服ばっかり入っていて、当然私が貸していただける服も黒かった。
「沸かすか? 今お湯を……」
 確実に大きすぎる服を受け取って、ありがとうと言えば、消太は今度はお風呂に向かう。そして着替えを抱えた私がその後を追う。
「や、そうじゃなくて」
 とても優しい、というかちょっと私が泊まると聞いて喜んでいる様子が見て取れる。でもお湯を張ってのんびり入りたいですとかそういった相談ではないのだ。それより重要、かつ、恥ずかしい。
「い、一緒に入ってほしい、うっ」
 歩みを止めた消太の背中に激突する。振り向いた消太は、苛立ったような、戸惑ったような、何とも言い難い表情で口を半開きにしていた。
「……誘ってんのか」
 そう、そういう流れになりますよね私たちはマンネリのマの字も知らないくらい、付き合って日の浅い恋人同士なわけですし。いやしかし。
「スプラッタ見てそんな気分には……ごめん……」
 俯く私の頭上で、フゥとため息が聞こえる。
「そうだな。まぁでも、一緒に入ったら無理だろ」
 不覚にもドキドキした。映画の緊張と違うドキドキ。
「え、と、大変申し訳ないけど、いるだけで、目は閉じててほしい」
 無理難題であるとは重々承知で、とりあえず最上級の希望を告げてみる。厳しいようで優しい、そしてさらに賢い彼は、私の注文を無碍にせずに更に彼の理性を守る最高の答えを導き出した。
「……ドアの外にいるからさっさとシャワーだけしてこい」



「消太、いる?」
「いる」
 シャワーを頭から被りながら、背後の半透明ドアの、その向こうの消太を呼ぶ。さっき見たら、ドアに背中を預けて座っていたから、まだその姿勢だろうと思う。
「早く終わらせるから」
「ゆっくりしな」
 シャンプーを急いで泡立てて、目を閉じる。なんだかゾクゾクする。鏡を見たくない感じ。さっき見たのは幽霊系じゃなかったのに、何でこのタイプの恐怖まで襲ってくるのか。早くしなきゃと泡を流す間、もやもやと育った恐怖に、目が開けられない。
「ちょっと待って、話してる相手が本当に消太か不安になってきた」
 後ろからは、クスっと笑う声が聞こえた。シャワーの騒音に紛れて、それは、消太の声だったか、それとも、などと勝手に恐ろしい妄想を始める頭に参ってしまう。
「俺だよ」
「そ、そう言いつつ、振り向いたら誰もいなかったら」
 でももう泡は流し終わったし、鏡が怖いし、ドアの向こうも怖くてさっさと上がりたい。勇気を出して恐る恐る首だけ回してみたら、そこには――。
「ぎゃー!」
「いるだろ」
 ドアを少し開けて、隙間から消太が覗いていた。
「いすぎだよ!!」
「チッ。これくらいはいいだろ」
 半分しか見えていない顔がちょっと怖かったし、覗いてくるなんて予想外だけど、さっき一緒に入ろうなんて誘っておいて覗く程度で怒るのも変か。
 幸いバスチェアに座る後ろ姿だ。背中しか見られていないだろうし、減るもんじゃないし、恋人だし、恥ずかしいけど怖いよりいいのでは。
「……消太がちゃんといて安心した」
 ところで、これくらいはって、何だろう。やめてよ、明日は仕事に行く前に自分の家に一度帰って、着替えだのする必要があるのだから。普段より早く起きなきゃいけない。
「とりあえず上がるので、あっち行っててください」
 消太はスッとドアを閉めて、ハイハイ、と脱衣所から出て行った。



「なんで下はいてない」
「ウエストゆるゆるすぎて落ちちゃうし、長さ大丈夫でしょ?」
 着替えを終えてリビングに行くなり、消太の顔が不機嫌になる。パッと両腕を広げて、自分でも俯いてその服装を確認してみるけど、何か問題あるだろうか。ゆるゆるなTシャツは、太ももを中程まで隠している。大丈夫、ワンピみたいなもんだし。
 ねっ、と笑顔を向けると、ズカズカと近づいてきた消太は、私の両脇に手を差し込んできた。
「大丈夫じゃない」
 簡単にひょいと持ち上がる体。まるで子どもの高い高いみたいに宙に浮いて、そのまま、肩に担がれる。
「う、えっ」
「わざとじゃないなら何なんだよ」
 その足は、まるで人一人を抱えてるとは思えないような足取りで寝室へと向かっていく。
 まぁ寝る、あと寝るだけなので間違ってないけど、これは。
「きゃう」
 ドサッとベッドに転がされて、両手は手早く頭上で拘束された。あれよあれよと言う間におかしな事態になっている。消太は片手だってのに、もがいても外れそうにないその握力に、思い描くのは映画のワンシーン。
「こわっ! 抵抗がまったく……! 拘束されて拷問されるモブの気持ちがわかる!」
「リアルな感想語り合えるな?」
 ニヤリと笑う顔に、恐怖が湧く。そんな実体験での裏付けが必要なほど感想にリアリティ求めてないのよ。
「ちょっと、待って、消太、方向性が違う気が……」
 首元に顔を埋められて、じゃもじゃした髪がくすぐったい。Tシャツは腕を上げた事でずれ上がって、際どいところまで見えている。消太の片手がそっと、むき出しの太ももに触れた。
「皮ひん剥いてやるよ」
 そのセリフはまた別の残虐シーンを連想させる。生きたまま、皮を、うう。
「やだやだ怖いの思い出すからやめて」
「なら上書き」
 何の上書き? 完全に新しいファイルだよ。フォルダから違うレベルだよ。
 広い襟から舌が鎖骨を這って、少し歯を立てる。ホラーモードの頭は、今まで見たありとあらゆる恐怖シーンを簡単にフラッシュバックさせた。食人かゾンビ化かとイメージしてしまって、私は違う意味でゾクゾクしてるんだけど。
「カニバリズムはちょっと……」
「オイ。雰囲気がなさすぎる。もう少しマシなこと言えないのか」
 消太って雰囲気とか、気にかける男だったのかぁと現実逃避みたいに関係ないことまで考えて、グロからラブまで私の脳内は大忙しだ。でも、ここまで来ちゃったら、簡単に読めてしまう結末は恐らく覆ることがない。映画のグロいシーンを平然とした顔で見ながら、腕に私の胸が触れることばかり気にしていた髭面が、上目遣いでギラギラと瞳を燃やしている。
「感想語る時違うの出てきちゃう」
「いーだろむしろ」
「なにが?!」
「それに疲れてそのまま寝れるから合理的だろ?」
 合理的。あぁ、確かに? 消太が先に寝ちゃったら怖いもんね。いやいや。うーん。
 私、生き残れるかな?

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