あの声で耳つぶって犯罪だと思います

 忙殺、というべき忙しさは、嫌いじゃない。色々な悩みを忘れさせてくれる。彼氏とうまくいっていない事も。なんだか相澤先生の態度がおかしい事も。集中して業務に取り組んでいる間、頭の中は仕事でいっぱいになるのが、むしろ心地よいとさえ思う。
 休憩時間になると、途切れた集中が仕事の疲れを思い出し、プライベートの事に頭を回す余裕ができて、どっと疲れに襲われる。そんな日は美味しいランチを食べるに限るのだ。
 ランチラッシュでパスタを頼んで、生徒に混ざって席に座る。混雑しているけれど、生徒たちは教室で食べる子も多いので、席はそこそこ空いていた。大事な事なので二回言うんだけど、そこそこ席は空いていたの。
「お疲れ様です」
「おつかれさまです。……何ですか」
 向かいの席にふらりと現れたのは、相澤先生だった。わざわざ、私を見つけて向かいに座ってきたのか。この男は。この前の朝に会ったきり、校内で話す機会は少なく済んでいたってのに。(一言挨拶する程度にすれ違った時に、チョコを貰ったという意外すぎるエピソードもあるけどそれは割愛する)
「何ですかとは冷たいですね」
「一人で食べたいので、すみません」
 トレーを持って立ち上がり、窓際席に移動する。これなら向かい側は無い。そしてまさか、これだけあからさまに避けて、ついてくるわけもないだろう。
 ふぅ。美味しそうなパスタをフォークにくるりと巻いいて、あーんと口に運んだ時だった。
「用があって来たんですよ」
 その声に、パスタが口に入ることはなかった。
 隣に座った長身の黒づくめは、もぞもぞとポケットを探って、グーに握った手を差し出して来た。
「これ、届けに」
 なに。なんなの。その、グーと相澤先生の顔を交互に見る。だって、手の中を見せてくれないんだもの。普通、手のひらに乗せて見せるでしょう。それか摘んで見せるでしょう。何だか分からないけど、その、拳が私に差し出されているだけの状況にひどく違和感を覚える。
 でも、彼はその手を返す気は無いらしい。ほれ、早よ、と言わんばかりに、拳を一回揺らして、私が受け取るのを催促してきた。
 しぶしぶ、手を開いてテーブルに乗せる。すると、私の手のひらに、トンと拳が乗ってきた。暖かくてゴツゴツした硬い手が、私の手のひらをくすぐるように、やわやわと開いていく。太い指先が五つとも全部手のひらについて、チャリ、と何かその中から落ちてきた。相澤先生の手は、ふっと離れて、またポケットの中に戻っていった。私に残されたのは、イヤリングだ。さっと手を握って隠す。
「あ、ありがとうございます」
 あの日、着けていた。すっかり忘れていた。反射的にお礼を言ったが、あの渡し方は何なんだ。普通にくれればいいのに。わざわざ触るなんてセクハラと言っても過言ではないんじゃ。
 なぜかムズムズと暖かさの残る手のひら。普段と調子の違う心臓。奇妙な行動に引いてない自分を全部無視して、イヤリングをバッグの内ポケットに入れた。相澤先生は立ち去るものかと思っていたのに、彼はなんと頬杖をついて外を眺めている。ランチすら用意してないくせに、居座る気満々のその態度。
「ところで」
 外を眺めていたその目は、突然、嫌な顔をしている私を見つめた。低く落ち着いた声は、業務連絡のようにするりと唇から紡がれる。
「彼氏とはその後どうです」
「は?!」
「別れられました?」
 生徒がたくさんいるこの場所で、まさかプライベートな話題が出ると思わなかった。開いた口が塞がらないというのはこういう事なんだ。
「ちょ、っと、ここでする話じゃ、ないとおもうんですけど!」
 小声になって少しだけ体を寄せる。あからさまに嫌がってようやく分かってくれたのか、彼も声を小さくして、顔を寄せてきた。それはまるで、なんで? とでも言いたげに訝しげで、天然でデリカシーが無いらしい。
「どこでなら、していいんですか」
「どこでもダメです。プライベートな話に答える義務はありません。というか、忘れる約束でしたよね」
 ヒソヒソ話していても、思春期の生徒たちはこの手の話が大好きなのだ。しかもヒーロー科の担任を持っている相澤先生との過度な接触は噂になりかねない。学校内でのそういうのは非常に非常に面倒だという事を、前例を見てきて知っている。
 だというのに。この男は。小声で話すに足りず、顔を近づけてきた。耳元に触れる手が、その声の行く先を制限する。私の髪を揺らした吐息が、艶のある低音に変わる。
「セックスのことは無かったことにしますけど、飲み会での話の内容までは、言われてませんよ」
 耳に吹き込まれた声は、ここで聞いてはいけない単語を含んでいて、ドキリと心臓が跳ねた。
「なっ、こんな所で何言ってるんですか!」
 パッと耳に手を当てて、顔を離す。小声でどんなに威嚇しても彼には響いていない様子で。
「2人きりになれる所でも行きますか?」
 ニヤリと笑ったその口元が、捕縛布の中からちらっと見える。ばかにされてる。なめられてる? それともワンナイトの件で脅迫に近いのか? 狙いが何かわからない。とにかく、関わっていたら午後の業務に支障をきたす。
「行きません。私、やっぱり事務室で食べますから、失礼します」
 トレーを持って立ち上がる。
 あんなのお互い様でしょう! お酒飲んで向こうだって完全には覚えてないようなこと言ってて。事故みたいなもんじゃない。掘り返してくるタイプの人だったなんて。
 チラッと振り返れば、いつもの気だるそうな目が、人混みの中一直線に私を射抜く。ゾクっと悪寒がして、足早にその場から立ち去った。

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