気軽に頭を撫でないでください

 残念ながら月曜日は来る。仕事もある。どんなに寒くても、気まずくても何でも、出勤しなければならない。
 雄英の事務課はまぁまぁな人数がいて、例えば入学願書の受付から、体育祭の関係者各位への案内、学内で使用している備品の在庫管理、外部への情報誌作成、連絡窓口業務など、やることは多岐にわたる。その中で私の担当区分は、よりによってヒーロー科に関わる事が多い方だから、余計に気が重い。
 相澤先生は、あれから連絡してこなかった。全て無かったことにしてくれたって事だろう。それにしても、できれば顔を合わせたくないと願ってしまうのは当然だろう。自分で積極的に話かけに行く用事なんて滅多にないけれど、できれば今日はそんな機会が訪れない事を願う。
 願ってたのに。
「おはようございます」
「えっ、おはよう、ございます」
 まさか朝から校門でバッタリなんて不幸があるだろうか。仕事の内容以前の問題。しかもここで会って挨拶なんてしたら、校舎まで同行は確実じゃないの。
 相澤先生はまるで先週までと変わりなく、平坦な顔で無気力に挨拶をくれた。背後から現れた彼は、私に歩くペースを合わせて横に並ぶ。逃れようもなく、早朝のまだ生徒もいない一本道を、絶妙な距離を保って歩く。その空気は私からするとギクシャクしているけれど、相澤先生はどう感じているのか、その眠そうな目からは何も読み取れない。
「ミョウジさん、出勤早いんですね」
 いつにも増して覇気の無い声が、寒い空気を白く濁らせた。ワンナイトについては触れられず普通であることに安心した一方で、私の方が、話しかけられて言葉に詰まってしまう。つい先日までならば普通に会話できた。でも今は、ゆるりとしたヒーロースーツに隠された、あの肉体が脳裏にチラついて。
「今日は、たまたま、早く片付けたい仕事があったので」
 そうですか、と当たり障りのない相槌に、何の意図がある質問だったのだろうかと勘ぐってしまう。あぁ、これが片思いとかの相手なら、違う意味でドキドキしたんだろうか。
 会話は途切れて、また沈黙になる。私たちはいくつも白い靄を吐き出しながら、温もりの届きようのない距離で、コツコツというヒールの音と、ゴム底がザリザリとコンクリートを踏む音が混ざって響く。沈黙でいい。このままさっさと玄関に着いたら、職員室と事務室は方向が違うからそこで別れることができる。
「電車通勤ですか」
 また、低く、沈黙を埋めるだめだけに発された薄っぺらい質問が漂う。
「はい、まぁ」
 まぁとはなんだ。自分で言っておいてなんだけど、電車で来たんだからハイでいいはずなのに。どことなく生活圏を悟られたくない、プライベートに踏み込まれたくないという心理が、まぁそうですけど何か? という牽制を含ませてしまった。
 相澤先生が横目でちらりと視線を寄越した気がする。
「ならこの前、帰るの大変だったでしょう」
 さっきまでの無気力に少しだけ意地悪さが混ざっているような、ゆったりとした口調。この前、と言われて思い当たるあの夜に、焦りと一緒に苛立ちが沸き起こった。
「……わ、忘れる約束では」
「そうでした、すみません」
 ほんの少し睨んで横目で見れば、彼はちょっとだけ眉を上げて、悪びれた様子もなく言い捨てた。
 どういう事? 無かったことにすると言って、その翌日の朝から蒸し返してくるなんて。まるで彼にとっては世間話の一環とでもいうかのように、牽制の後も少しもその調子は変化を見せない。
 それどころか、じっと私を見ている、気がする。今日どこか変なところがあるだろうか。もうどうでもいい。あと少しで玄関に着く。
「帽子、タグついてますけど」
「え?」
 急に、彼の人差し指が私の頭を指し示した。まさか。確かに、初売りで買って今日下ろしたてのニット帽なんだけど、ちゃんとすぐにタグは取ったはず。でも、一応。帽子を取って、くるりと表面を見ても、タグなどどこにもついていない。何。あ、もしかして。
「いやいや、これはデザインのやつです!」
 ブランドロゴの入った”タグ”は確かについているけど! さっきより声の大きくなった私を、相澤先生はちょっと目を細めて眺めている。何それ。ムカつく。
「勘違いしました」
「いや、わかってましたよね? 揶揄ってるんですか?」
 さっきから、この男は、嫌な話題を蒸し返したり、人を騙しておちょくってる? そんな人だと思っていなかった。帽子を持って立ち止まって、困ったような怒ったような顔をどう制御したらいいのかわからない。バッチリと目が合っているのに、相澤先生は私の不穏な感情には気づいていないかのようで、少しだけ楽しそうにすら見える。
 突然、ポケットに入っていたはずの彼の両手が、ぬっと姿を表して私に迫ってくる。な、と短い声を出して身を竦める私の頭に、ふわりと彼の手が触れた。
「……ぼさぼさですよ」
 頭の上の方の、ニット帽を取ったせいで立ち上がってしまったんだろう髪を、太い指先が梳いて撫で付けていく。髭面の、眠そうな目が私の頭を見ている。
 わけが分からない。この人、距離感バグってんの? 一回ヤったからって、この詰め方。というか、忘れる約束なのにこの馴れ馴れしさ。わかってる、私が悪かった。軽率だった。だけど、だけどねぇ。しかもどうして、なかなか、この距離で見つめると端正な顔出ちをしている。あの夜誤ちを起こしておきながら、夜は記憶が無いし、朝だってきちんと顔を見ていなかった。長い前髪の隙間から覗く涼しげな目元に、綺麗に通った鼻筋。表情筋があまり発達していないような、薄い皮膚の頬骨。無精髭さえ無ければ、誰が見ても整っていると言うだろう。そしてあの肉体美を併せ持っているんだ。って。
 相澤先生は、驚きで固まる私の髪を弄ぶ手をようやく止めて、最後にぽん、と頭頂に手を置いた。
「てれてます?」
 カッと顔に熱が集まる。照れてる? 私が、なんで、照れてなんか、いや。赤面については勘違いしないでほしいんですけど、聞かれて恥ずかしくなっただけで、接触に照れたわけでは!
「べ、つに、……失礼します」
 暴言を飲み込んで、足早にその場を去る。なんだ、まるで、意識しちゃいましたって、言ってるみたいになっちゃったじゃん。全部勘違いだってば。

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