朝チュンしたけど記憶がない!

 ふわふわと心地いい暖かさに包まれている。微睡んだ思考の中で、普段と違う匂いにちょっとした違和感を感じて、寝返りを打つ。ん、枕もなんか違う。ん? 何か、ものが動く気配がする。え?
 薄っすら解放された睫毛。ぼやけた視界に飛び込んできたのは、生尻。
 な、生尻?
「ん……えっ、お尻」
 目の前でスルリとパンツに収まったお尻の持ち主が、私に振り返る。
「あぁ、起きましたか」
「何?! うそ! 相澤先生!?」
 え? ここ何、ホテル。ホテルにいる。相澤先生パンイチでベッドの横に立ってる。え、たくましっ、じゃなくて、腹筋、じゃなくて、裸だったってことだよね。
 目を見開いて固まっている私を、やれやれといった表情で見下ろして、相澤先生はため息をついた。
「今パニくるなって方が無理か」
 何その冷静。あ、え、まさか。布団の中を恐る恐る覗いてみる。
「ぎゃあ! 服着てないっ」
 しっかり全裸じゃん。今更、布団を首までキッチリ引き上げて、顔が茹で上がるほど熱くなる。相澤先生は、ふと床へ視線を巡らせて、屈み込んだ。
「ほらパンツ」
 拾い上げてプランと目の前に差し出されたのは、私のショーツ。
「な、何、ひとのパンツ触って」
 赤面に涙目を追加してショーツをふんだくれば、パッと両手を広げた相澤先生はまた床へと手を伸ばした。
「必要でしょ、ほら」
 ブラウス、ブラジャー、スカート、キャミソール、とあちこちに散らばった服が次々放り投げられてくる。どんな激しさで脱ぎ散らかしたらのうなるのよ。キャッチしたり顔面で受け止めたりして、るんだけど、それより何より相澤先生の格好!
「あ、ありがとうなんですけど、相澤先生、まず服着てくれませんか!」
 え、と眉を上げて何に驚いているの。いやいや当然の意見でしょう。私の服、ありがたいけど、だからって目の前でパンイチでウロウロしないでほしい。相澤先生は、あー、と首に手を当てて視線を泳がせたあと、パチリと目を合わせて困ったように言った。
「ミョウジさん、どこまで覚えてます?」
 どこまで? 全く覚えてないわよ。全く!
「ちょっ、と、とりあえず、あっちいって!」
 着替えるにも同じ空間に要られたら無理だし、ちょっと色々と目に毒だし。相澤先生は、綺麗に脚を伸ばしたまま体を折って自分の服を拾い集めて、わかりましたよ、と背中を向けた。背筋までなんて綺麗な身体……じゃなくて。おそらくお風呂の方へと続いているだろうドアを開けて、相澤先生は姿を消した。
 やばい。
 やってしまった。
 事務員仲間の飲み会で、たまたま同じ居酒屋にいた相澤先生とマイク先生が、ノリよく合流して一緒に楽しく飲んでいた事は覚えている。でも私は端っこで仲のいい先輩と飲んでいて、相澤先生とは挨拶くらいしかしてない、という記憶しかない。
 どういう事。
 頭の整理がつかないうちに、服を着終わってしまった。あぁ、どうぞ出てきてくださいなんてノックは出来ない。
 私はそうっと荷物を持って、落ちていた彼のスマホの上に五千円札を置いて、ドアの前に落ちてたコートを引っ掴んで、ホテルから逃げ出した。分かってる、全部後回しにして逃げるのは私の悪い癖だ。でも、ちょっとキャパオーバーがすぎる。
 私、彼氏いるのに。


 自宅にたどり着いて、ソワソワぐるぐると部屋を歩き回り、ようやく少し冷静になってからどっと罪悪感が押し寄せてきた。同棲中の彼氏はまだ寝室でぐっすり寝ている。あぁ、最悪の日曜日だ。
 仕事でしか関わりの無い相手と、お酒の勢いでワンナイト決めてしまうなんて。最悪としか言いようがない。どういう流れでホテルへ入ったかも、行為がどんな風だったかも覚えていないのに。何故か、身体が、最高に気持ちよかった事だけはバッチリ記憶してる。
 思い出しそうになる熱をコーヒーで流し込んでため息を吐く。
 だって、あのイレイザーヘッドだよ? 好きでもない、なんなら、ちょっと苦手な部類の人だ。言葉数が少なくて他人にも自分にも厳しくて。厳しいことは悪いことじゃない。ヒーローを育てる上でそれは必要な愛だし、一種の理想形だとは思う。けれど除籍と復籍の回数は、事務員としては全て把握しているわけだけど、少し横暴じゃないかとも思ってしまう。いや、除籍の現場に立ち会っていなくてそんな事言うもんじゃないけど。つまり怖い感じの印象が強い。
 マグカップを置いた横で、パッとスマホが画面を明るくして、ブーブーと振動し始めた。表示されているのは、知らない番号。頭によぎるあの髭面。これは良くない予感だ。
「はい」
『……相澤です。今朝はどうも』
 的中した予感。鼓膜を震わせる低い声。くそ、声はめちゃくちゃにタイプで悔しい。じゃない。私は相澤先生に番号を教えた記憶がない。
「なんで番号知ってるんですか?」
『そりゃ昨日連絡先を交換したからです。覚えてないですか』
 やっぱりそうか。どうしてそんなに飲んでしまったの私。この記憶の曖昧さだと、たとえ事実でなくても否定もできない。
「覚えていません」
『それは残念です』
 一体何が残念なんだ。こんな誤ち、覚えていないと言われた方が好都合なもんじゃないの。相澤先生だって私なんてほとんど知らない女だろうに、こんなに口先だけ回る人だったなんて意外だ。イメージダウンの方の意外だ。
「相澤先生は覚えているんですか」
『……まぁ、全部じゃないですけど』
 またなんてずるい。全部じゃないけど、ほぼ覚えてるの? それとも、ほぼ忘れてて所々覚えてるの? どっちとも取れる言い方で、しかもそれが何を意味するのか、私は一ミリも推察することができない。
『誘ってきたのはミョウジさんですよ』
 嘘だ。彼氏がいるのに、私の貞操観念はどうなってるの。まさかお酒のせいでそこまでユルユルになるなんて思っていなかった。覚えていない以上否定もできない。頭が痛い。
「逃げてきてしまって、覚えてもいなくて、色々申し訳ないと思っていますが、全て忘れて無かったことにして頂けませんか。私、彼氏いるので」
 相澤先生は電話の向こうで短く息を吐き出した。ため息と笑いの中間くらいのそれが、私の下げた頭をバカにしているかのように感じる。
『あんなに愚痴ってたのに、俺と寝た事を後悔してるって事ですか』
「それは、彼氏がどんな人でも、彼氏である以上、浮気はダメでしょう」
 フゥン、と興味があるのか無いのかわからない相槌にイライラする。私に記憶が無いからって、好き勝手弄ばれている気がする。どうやら散々先輩に彼氏の愚痴を溢したことは聞かれていたらしい。
『無かった事にしてもいいですけど、俺は後悔してませんよ』
 は? いや待って、それは。
『これから仕事なんで切ります。番号、登録しておいてくださいね』
 言葉を失った私が追及へ切り替える前に、彼はこの話を終わらせてしまった。電話だから、待ってと追いかける事もできない。切られたらおしまい。掛け直しても相手が応答しなければ通じない。言い逃げなんて良くない。良くないよ。
 後悔してないって。私とどうにかなりたいとは考えにくいでしょう。でもまぁ気持ちよかった程度の事なのか。弱みを握れたとでも思われているのだろうか。もやもやとした気持ちを抱えたまま、私は、確かに跳ね上がった心拍に唇を噛み締めた。

-BACK-



×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -