ねこにこたつ

 俺の借りていた部屋は、完全に彼女の巣になった。毎日は帰れないから当然好きにしていいと伝えていたが、訪れるたびに急速に無機質さを失う空間には驚いた。
 リビングは彼女の希望したふわふわのラグを敷かれ、二人で座れるソファを買った。可愛らしい食器やクッションが増えて、観葉植物が置かれて、彼女の可愛い服が干してある。いい。彼女がここで生活して、ここから大学に通っているのだと思うと、言葉にできない満足感があった。
 そして、今日。
 大学が冬休みに入ってからずっと『置いてもいい?』と聞かれていたのだが、ついに、魔性のこたつが導入されてしまった。
「さて、こたつといえばミカンですよ。先生」
 さぁさぁとミカンを用意して、こたつに入ったナマエが隣の辺に俺を呼ぶ。
 一人ならば買うことのなかった、自堕落を育てる温床。こんなものが部屋の真ん中にあったら、入るなと言う方が無理というもの。
 早速、こたつでみかん、という冬の過ごし方のオーソドックスを二人で実践する夜。
 なるほど確かにこのまったりほのぼのした空気は癒される。ゴールデンタイムのテレビにあははと笑いながら、わこわことみかんを剥くルンルンのナマエ。先生も食べて、とあーんなんかされたら、簡単に幸せを感じる。
 自分を律するために、真面目な顔でノートパソコンを開いたって効率は普段の半分だ。コタツの中ですりすりと戯れる脚にばかり意識が行ってしまう。
「おいしくてあったかくて幸せですね」
 ニコニコとみかんを一粒口に放り込むナマエを見れば、まぁ、緩む頬も目も隠せない。おまえが満足そうで何よりだ。
「そうだね」
 俺の同意に、微笑み一つ返して、彼女はテレビへとその目を向けた。
 ようやく集中が仕事へ向いて、サクサクと手を動かしてひと段落。暖かくて眠気がくるから、仕事にこたつは適してない。
 ナマエは――。なんてこった。いつのまにかごろんと横になった彼女は、スマホを見ながらもう寝落ちかけている。
「ナマエ……ナマエ、おい、寝るならベッドに行きなさい」
 声をかけると、ピクリと反応した瞼。ん〜、と鼻に抜ける音と共に閉じそうになる。
 猫のくせして、亀みたいに甲羅よろしくこたつに籠ったナマエは、そのままうとうと瞼を重そうにして、眺めていたスマホをコトンと手から溢して、長いまつ毛を合わせてしまった。
「低温やけどでもしたらどうするんだ。こたつは寝るもんじゃない」
 俺が一緒にいたからいいものの、居ない日にこんなところで寝られたらと思うと気が気じゃない。
 こたつの中でナマエと交差している脚をげしげしとやってみたら、足首を尻尾がするりと撫でた。
 途端、トクンと心臓が一拍派手に打つ。
 くすぐったいだけだ。なのに、動けなくなる。
 滑らかな毛並みが、揺らさないでくださいよぉ、と言うようにテシテシと脛を打つのを、俺は猥雑な気持ちで受け入れた。脳内が、ちょっとよくない方向に流されている。
「……ベッドで寝なさい」
 ここでベッドという単語を使うことを、なぜか躊躇うなどして。
 むううと眉間に皺を寄せたナマエは、耳をぴくぴくさせて、半分の目で俺を見上げた。
「にゃぁ……つれてってください、ふぁ」
 くぁ、と八重歯剥き出しの大きなあくび。蕩けた目尻に浮かんだ涙と、むにゃむにゃと閉じた唇。次いで、ほかほかの両手が俺に向かって伸ばされた。
 かわいい。
 かわいいから困る。
 困るのだ。泊まる時だって寝室は別、キスはおでこや頬にまで。どんなに愛らしく唇尖らせてお願いされても、断固として断ってきた。
 手を出していけない理由なんてないが、まだ、元生徒という意識が俺の罪悪感を煽るから、手を出せないでいる。気持ちと態度がどれだけ熟れていようとも、思いが真剣であろうとも、ご両親と既に顔を合わせていようとも。ヒーローとして教師として、生徒と一つしか年齢の変わらない彼女に手を出すことを、まだ俺自身が許せない。先生、という呼び方を直さないのだって、その呼び方が俺の理性を保つのに一役買っているからで。
「がんばれ、ほら」
 先に立ち上がり、小さな両手を掴んで起こすように引いてみる。戦いを知らない柔らかな手と高い体温が庇護欲を掻き立てる。
「だっこしてください〜」
 腕を引っ張り、ずりずりとこたつから引きずり出してみても、自分で動き出す気配はない。それどころか、頭がカクンと置いてけぼりになりそうなぐでぐでっぷり。
「おまえね……」
 こっちの我慢も知らないで。手を離すと、ふにゃ、と床に落ちた手。不満そうな目は、眠気で潤んで俺を見上げた。
「やさしくしてくださいよぉ」
 若干の舌ったらずが、余計に甘さを引き立てる。頭が痛い。もう半年以上我慢しているし、そうだ、春になったらそろそろと思っていたんだから今食らっても大差ない、いやいやいや。眠そうなのに今じゃないだろ。ここまで耐えてきたんだ。せっかくなら特別な夜に特別甘く――。
 邪念を払うようにぶんぶんと頭を振る。もう、何も考えるまい。さっさとベッドに放り込んでしまおう。
「はぁ……。ほら、抱えるよ」
 横抱きでひょいと持ち上げると、ご満悦でふんふんと鼻を鳴らして首に絡まってくる腕。柑橘の甘い香りをさせながら、耳がぴょこぴょこと俺の頬を撫でる。
 そりゃ、このまま一緒のベッドになだれ込んでしまいたいが、謎の倫理観が許さないのだ。ご両親にも胸を張って清いお付き合いをしていると言えなくなってしまう。
 ぽすん、とベッドに降ろすと、絡みついていた腕は名残惜しそうにのろのろと離れていった。
 猫のように身体を丸めた彼女の顎を撫でる。
「おやすみ」
「はぁい。おやすみなさい、せんせ」
 冷えた布団をかけられて、ふるりと震えたナマエは、けれどすぐに夢へと落ちて行った。



 深夜、俺の寝室のドアが、かちゃ、と音を殺して開く。
 眠りの浅いタイミングだったせいか、覚醒とまではいかないが眠りの縁まで浮上した。目を閉じたまま、意識は背中の方向で動く侵入者の気配を探る。
 静かすぎる足音は猫の個性のためだろうか。いつの間にか近づいていた呼吸音。ベッドの端がゆっくりと沈んで揺れ、温もりを閉じ込めた布団がそうっと持ち上げられて、背中に少し涼しい空気が触れる。
 もぞもぞと布団にもぐりこんできた獣は、俺の背中にぴたりと身を寄せた。
 柔らかな温もりが、喉から甘えた音を出して、すりすりと顔をこすりつけてくる。
 まずい。
 レム睡眠中の、いわゆる下半身の反射が。今ちょうどそういう状態なわけだ。意識せず放っておけばおさまったものを。この状況で意識しないわけにもいかないし、腕が脇腹できゅうっと服を握るから、その距離にどきどきし始める。バレたらまずい。まずいし、まずい。
「おい、ここは俺のベッドだよ」
「うぅん……さむいんです……」
 眠そうな声だけれど、トイレの後部屋を間違えたわけではなく。どうやら俺を求めて来たのだ。胸がキュンと甘美な締め付けを感じるから困ったもんだ。
 しなやかな脚が俺のふとももに当たって、熱い吐息がはふぅとスウェットを通して肩甲骨のあたりに伝わって来る。
 本物の猫ならば、よしよしと撫でて一緒に寝られるけれど、そうじゃない。この可愛い生き物は人間で、邪な欲望の対象であるから。だからまずいのだ。いや、いいのか? そろそろ許されるか? 未成年ってわけじゃないし、いや、だが、彼女が行為を望んでいる確信は無いし、あぁ、もう。
「俺が眠れないから、部屋に戻りなさい」
「やだぁ……おねがい」
 穏やかに、毅然と、わがままを許さない。そう心がけたのに、背中でくねくねと動いたナマエのせいで一瞬にして絆された。なんだその可愛いおねだりは。
「……いや、だめだ」
「だめなの? しょーたさん」
「っ……」
 普段呼ばない名前を、こんな時に呼ぶなんでずるすぎないか。
「はぁぁ……」
 ため息はスペシャル特大バージョンで、肺が空になりそうなほど長く重い。わかってんのか。俺は彼氏で、男で、おまえが好きで、うっかりするとふしだらな妄想に頭が持って行かれてしまう煩悩だらけの人間だと。
 少し怖い目に合わせて、軽率な距離感について注意すべきだろうか。今後もこんな事があったら眠れる気がしないし、この状況で発散するわけにもいくまいし。
 布団に潜り込むなんて大胆なこと出来ないように釘を刺すために、ちょっとだけ、脅かしてみよう。
「ナマエ」
 ごろりと彼女の方へと寝返り、そのまま流れるように覆いかぶさり、細い手首を掴み上げる。
「みゃっ」
 驚きに固まった彼女が、ピンと耳を立てて丸い目で俺を見上げている。薄暗い部屋の中で、その瞳だけがきらりと光って美しい。
「あんまり大人をからかうと、痛い目見るよ」
 冷徹な視線を浴びせたつもりだ。地を這うような低い声で怖がらせたつもりだ。なのにナマエの耳は伏せちゃいないし、しっぽはぱったぱったと乱れた布団をゆったりと打っている。
「……布団に潜り込んで来るなんて猫らしくて結構だが、俺はおまえを人間として……つまり……」
 一瞬で『ふざけすぎました』と去っていくと思ったのに、響いている様子がない。そのうちに、俺の方が、この組み敷いた小柄な躯体に目を向けてしまって。
 パジャマの一番上のボタンが外れて鎖骨が見えている。上に手を拘束したせいで、腹がチラ見えしている。俺のベッドに彼女が転がっている。あぁ。
「恋人のベッドに入るってのが、どういう事かわかってんのか」
 迫力を維持できなくてやけになった。じいっと、瞳孔の開いた目は俺を見透かすように注視して、そしてふっと緊張の色を解く。
 血色のいい唇はゆるりと弧を描き、そして、ふっと笑みに綻ぶ。
「わざと、ですよ?」
 ばか。くそ。勝てる気がしない。
「……だから……はぁ……、勘弁してくれ」
 とんでもない爆弾を投下されて、とんでもなく熱の冷めない夜、になったのは俺一人。
 諦めた俺の背中にひっついてプススとかわいい寝息を立てる彼女は、俺の極限状態など知るはずもなく。眠れない夜は今夜だけになるように、俺は、一生懸命にお叱りのシミュレーションをする。
 さっさと朝になってくれ。ちくしょう。

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