真実はこの手の中に


 放課後の空き教室は、廊下の喧騒から隔絶されていやに静かだ。向かい合って座る少女が、普段とはあまりに違う神妙な顔をしているせいで、余計にそう感じるのかもしれない。
 相談がある、と思い詰めた眼差しで呼び出され、二人きりがいいと言われてこの教室に入って、向かい合って座って一呼吸。
「それで、どうした」
 声をかけても彼女は視線を泳がすばかり。廊下を歩いてここに来る間も黙りきりだった。この様子のおかしさからすると、かなり深刻な相談があるのだろう。何しろコイツは本来、必要ない時にまで相澤先生相澤先生と元気に跳ねてくる明るい生徒なのだ。
 こちらも真剣に向き合わねばなるまいと、それ以上急かす事なく彼女の言葉を待った。
 唇を噛んだり開いたり、椅子に座った膝の上でもじもじと両手を揉む彼女は、えーと、あのー、うんとですね、とレパートリー豊富な間投詞を披露してるばかりで、一向に本題が始まらない。
 しかしその、水分を湛えながら泳いだ目や、赤らんだ頬、落ち着きのない雰囲気から、相談内容を推察すると答えは見えているようなものだ。
 まぁ俺のような見た目と厳しさだとしても、多感な時期の生徒の手本となり本気でぶつかり合っていると、こういった信頼と恋の勘違いのようなものはままあるのだ。
 どうしたものかとため息を吐き思案を始めたところに、彼女はようやく決意を固め眉を凛々しくして口を開いた。
「あの、ぱ、パンツが無くなっちゃったんです!」
「……ぱんつ?」
 予想の斜め上の発言に意表を突かれ、始まった思案は打ち切られ、停止した頭のままうっかり復唱してしまった。
 彼女は真っ赤になりながら、いや、半ばヤケになりながら続ける。
「一昨日、夜に寮の洗濯機でお洗濯して、それをお部屋に持ち帰って干してる時に気が付いたんですけど、あるはずのパンツが一枚無くて!」
 それはさぞかし焦った事だろう。俺はなんとも恥ずかしい自意識過剰な推察に急いで蓋をして、一つの咳払いをし、その相談を詳しく聞く態勢を整えた。
「他の女子に聞いたのか?」
「もちろん全員に聞きました! 女子みんなのパンツ見ました!」
 そこまでするか。いや、似たものを持っているとかで確認したのかもしれない。それか数あるパンツの中に紛れて仕舞われていないか一緒に探したのかもしれない。数あるパンツとは。いやちょっと冷静になれ俺。
 パンツへの動揺と、俺の推察が外れた羞恥、ダブルで心を揺さぶられたからといって、平常心を欠いている場合ではない。彼女は真面目に悩んだ末に俺に打ち明けたのだ。
「そうか、なら……まだどこかに落ちているのか、それとも……」
 一昨日のことで俺に相談に来る時点で、恐らく彼女が思いつく場所は全て探したのだろう。
 それで見つからないとなると、寮の中で男子に拾われたかもしれない。そんな事考えたくはないが、ヒーローの卵といえど男子高校生、それに峰田のような例も見れば可能性として疑う他ない。それよりまず、彼女が探索済みの場所から情報を絞っていこう。
「どこを探した?」
「いっぱい探しましたよ。洗濯機に入れる時とか、出す時に落としたかもってたくさん調べたんです。洗濯機の中も見たし、ランドリーバッグを持って歩いた廊下とかも全部見ました! けど見つからなくてっ」
 うっかり落としたパンツをそのまま我が物にしてしまった男がいるのか? いやまさかな。それを疑うのは最後だ。
 彼女はうるうると今にも溢れ落ちそうなほど涙を溜めて、鼻をすすって、悔しそうに俯いた。
 ポタリ、スカートを握った拳に涙が落ちる。
「白のレースの勝負パンツだったのに……!」
「し……」
 白のレースの。
「これじゃセットのブラがかわいそうです……」
「ッ……」
 セットのブラが。
 表裏のない、明け透けとした子だとは思っていたが、それは開示していい情報なのか。いいかどうかはともかく、必要な情報なのか。いや探すにあたってパンツの特徴は把握ておくべきか。しかもパンツを人に拾われたかもしれない事より、セットのブラの心配をしているのか。かわいそうなのはブラじゃなくお前だろうが。頭が痛くなってきた。
「どうにかしてやりたいが……風呂の脱衣所は見たのか?」
 彼女は顔を上げて、右上の空を見つめ記憶を辿って、すぐにあっと純粋な目で俺を見つめた。
「いえ探してません、そこには着けて行ってなかったので」
 の、ノーパンか? んな馬鹿な事あるか。
 彼女はあっけらかんと言ってのけ、眉間を押さえた俺にきょとんとしている。
 コイツはなぜいちいち人を混乱させる情報を挟んで来るんだ。
「すまない、状況が見えない。その、白のパンツを最後に履いたのはいつなんだ?」
 これは教師としてアウトな質問じゃなかろうか。口にして気まずさに彼女を見ることができない。しかしこうなるとパンツのスケジュールを把握しないことには。
 担任とはいえ男の俺に相談するのは勇気がいっただろうに。生徒のパンツに心を乱されない信頼できる大人だと思って打ち明けているのだろう。いや実際、決して乱されてはいないんだが、つまりその信頼を裏切るようなリアクションをしてはいけない。動揺を見せず、大人として毅然として、全力でパンツを見つけてやらなければ。
「一昨日の、実践訓練前です」
 なるほど。授業の前にヒーローコスチュームに着替えた際に落とした可能性もある。いや着替えるのはコスチュームで、パンツはどうして脱ぐ事になる? 一応断っておくが、コスチュームの中がどうなっているか気にしているわけではない。
「パンツまで脱ぐのか?」
「あ、コスチュームの時はティーバックなので、その日はコスチュームに着替える時にパンツを履き替えたんです」
 ティーバック……。
 俺は机に両肘をついて頭を抱えた。
 いやもうヒーローコスチュームのデザイン上仕方ない下着事情に動揺してどうする。というかいつもそんなレースだのティーバックだの履いてんのかコイツは。
「訓練の後は?」
「授業後は、急いでいてパンツはティーバックのまま、更衣室で制服を着て戻りました」
 わかったなるほど、さっきのは、ティーバックのまま風呂に行ったから白のレースは履いていなかったという意味だな。
 ノーパンって何だ思考が迷走しすぎだろ俺。ついに、隠せなかったため息が溢れてしまった。
 いやいや、毅然としていなければ。いつまでも頭を抱えているわけにもいかない。俺は軽く頭を振って彼女に向き直り、けれどどうにも居た堪れない気持ちを少しでも落ち着けようと、捕縛布に口元を隠す。
「なるほど。で、更衣室は確認したのか?」
「はい。あ、でも、授業前にパンツを取り替えたのは更衣室じゃなくて……」
 少し気まずそうに俺を伺った彼女は、ええと、と声を弱めた。次の発言への警戒に、眉間に力が入る。
「私その日、先生にプリント提出しようとして職員室に寄って、更衣室まで行ってる時間なくて、あの、怒らないでほしいんですけど、空き教室で着替えたんです」
 そんなことか。本来、いつ誰が入って来るかわからない教室で着替えるのは良くないが、もうそんなのはどうでもいい。
「まぁいいよ。で、その教室は、探したのか」
 彼女はホッとしたようにへらりと笑顔を浮かべた。
「実は、ココなんですよ」
 ここで、パンツまで脱いで着替えたのか。一瞬頭に浮かんだ光景を即座に抹消して、俺は悟られないように捕縛布の中で静かに深呼吸した。
 彼女はキョロキョロとあたりを見回している。俺は見回していいものか? 万が一発見なんてしたら、それは、大丈夫なのか考えてしまって、視線を空中に縫い付けたまま動けない。
「ない、ですね」
 しょぼんと唇をすぼめた彼女には申し訳ないが、ここでパンツが登場しなかったことにホっと胸を撫で下ろした。あそこまでパンツ情報を垂れ流しにする彼女なら、ありましたーなんて元気にパンツを掲げて喜ぶ危険性があるのだから安堵もするというものだ。
 しかし、これで可能性のある場所は他に思いつかなくなってしまった。
「どうしましょう先生〜! 本当に、誰かクラスの男子が持ってたら、私……っ」
 さぞかし嫌だろう。女子じゃないが心中察する。気の毒にも程がある。それに、私のパンツ持ってますか白のレースのですけど、なんて男子に聞いて回れるわけもない。たぶん。
「俺から、一人一人確認するよ」
「せんせいっ」
 彼女は椅子をガタンといわせて、感動したようにガバッと俺の手を掴み、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「まぁ、どこかから出てくる可能性もある。心当たりを思い出したら探しておいてくれ」
「はい!」
 やっといつもの明るい笑顔を浮かべた彼女へ安心させるように微笑み返し、がらりと椅子を引いて立ち上がる。職員室で話題にはなっていなかったが、落し物で届いていないかも確認しておくべきか。
「じゃあ、何か分かったら連絡する」
 と、ポケットに手を突っ込んだ瞬間絶望した。
 頭が真っ白になって、ぶわりと冷や汗が噴き出す。
 右手には確かなレースの感触。
「白の、レースの……」
 ああ。なんで思い至らなかったのか。白のレース。白のレースに俺は今日出会っていた。
「せ、せんせ? どうしたんですか」
 同じく立ち上がった彼女が、突如硬直した俺の顔を覗き込みにやって来る。
「おまえ、着替えたのは本当にこの教室か?」
 コレを拾ったのは今日の朝、ここの隣の空き教室でだ。後で遺失物として提出しようとポケットに入れて、すっかり忘れていた。しかもまさか教室の真ん中にパンツが落ちていると思わないから、よく見もせずにハンカチだと思っていた。
 彼女は首を傾げて、あれ、と考え直している。頼むからこの教室で着替えたので間違いないと言ってくれ。俺が拾ったものは、ただのパンツに似たハンカチであってくれ。
「え? ん? あ、隣かもしれません!」
「クソ」
 この手の中にあるのは確実にパンツじゃねえか。もうどうにでもなれこれで解決だ良かった男子は誰も悪くないし全員可愛いヒーローの卵だバカ。
 せめて目をギュッと閉じて、ゆっくりとそのレースの感触をポケットから引っ張り出す。彼女は俺の動きに気がついて、ポケットに注目して、あっ、と大きな声を上げた。
「えっ?! え、せっ、せんせー!」
 パッと手の中からパンツが消えてホッとする。バタバタと彼女が慌てて鞄にパンツをしまったらしい気配に、俺はようやく目を開けた。彼女は真っ赤な顔で、俺を見て口をぱくぱくさせている。
「悪い、ハンカチかと……」
 思わず空になった手で額を抑えると、きゃあと悲鳴が飛んできた。
「ぱ、ぱんつ握った手を顔に持っていかないでください!」
「っ、すまない」
 いや確かに、言われてみれば。さっと下ろした手のやり場が見つからない。そしてそう言われて、この目の前の生徒のパンツをがっしり握ってしまった事実が胸に突きつけられた。不可抗力だ。パンツと思って握ったわけでもないし、握りたいなんて思ってもいない。しかし確かに握ってしまった、このショックをどう表せばいいのか。
「やだぁ、も〜、先生にパンツ見られた触られた!」
「変な言い方するな、ハンカチだと思ったんだ」
「人の勝負下着にハンカチなんて、それはそれで酷いです! この下着じゃ興奮してくれないってことですか?!」
「興奮してたら問題だろ」
「こっ、興奮されない方が問題ですっ」
「やめろ、俺を懲戒免職にする気か!」
 この会話を誰かに聞かれてみろ。主にマイクなんて大爆笑で、事あるごとにいじられるに決まってる。一生もののネタだ。というかなんでコイツは俺に興奮されたいんだ。
 うう、と唸って顔を覆った彼女は、数秒で切り替えて、それでも真っ赤な顔のまま俺に頭を下げた。
「ごめんなさい、いえ、見つけてくれてありがとうございます」
「いや、俺こそすぐ気付けなくて悪かった。ともかく解決してよかったよ」
 この部屋での短時間で頭の中はだいぶ大騒動だったが、とにかく見つかってよかった。そして懲戒免職にならずに済みそうでよかった。
 襲い来る疲労感に大きく息を吐いた。もう二度とこんな事は起こってほしくないと切に願う。
「また同じ事態が起きないように、途中で着替えなくていいようにしなさい」
 発言して後悔した。常にティーバックを履けと言っているようなものじゃないか。そういう趣味ではない。断じて。むしろ、いや、何でもない。俺は相当疲れているかもしれない。
 鞄を胸に抱えた彼女は、思いっきり難色を顔に出してムッと口を歪めている。
「だって、でも、ヒーロー情報学は勝負下着で受けるって決めてるんです!」
 なぜ?
 質問もツッコミもする間を与えず、真っ赤な顔でそう吐き捨てた彼女は脱兎のごとく教室から去って行った。
 俺の授業は白のレースで、コスチュームの時はティーバック。そのどうしようもない情報が強く記憶に刻まれてしまった俺は、クソ、と独りごちて右手を持ち上げて、あぁクソ。項垂れようにもこの手では、顔を覆う事すらできないのだった。

-BACK-



×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -