2022クリスマス

 白い息を弾ませて、暗くて明るい夜を駆け。私は本日最後の現場に、しゅん、ひらりと華麗に着地。インカムから通報の情報が流れてくるのを聴きながら、集中は耳ではなく目に偏る。だって、これから入る倉庫の前には、見慣れた闇色の背中。
「せんっ、あ、えっと、イレイザー!」
「一人寄越すっておまえか。まぁいい、さっさと片付けるぞ」
 久しぶりに見た、相澤先生がゴーグルして捕縛布を握って構える姿。
 心は一瞬にして、厳しく鍛えられた学生時代にタイムスリップする。
「はいっ」
 勇んで前に飛び出して、個性を抹消されて動揺するヴィランへ脚を振り下ろす。イレイザーヘッドのヒーローな姿を背中でしか感じられない鬱憤を、全てヴィランにぶつけまくる。色気もへったくれもない肉弾バトル。
 私は、私の成長を相澤先生に生で見せられる機会に張り切りすぎて、ほんの数分でヴィランを無力化、制圧、拘束、はい完了。
「おつかれ」
 ゴーグルを上げて現れた三白眼は、冷静で鋭くて、かっこよすぎて胸がぎゅんとする。
「お疲れ様です!」
 スキップで跳ね寄ると、相澤先生はふっと頬を緩めて、ドライアイを瞼で隠した。右目のアイパッチからはみ出た傷跡を、私よりふた回りくらい太い小指がカリカリと掻く。何をしても色気があってクラクラしちゃう。
「イブに仕事とは、熱心だね」
 相澤先生は、警察の到着まで私と世間話でもしてくれる気らしい。
 私は一瞬ぎくりと息を止めて、それからすぐにへらへらと笑った。
 笑うしかない。だって、相澤先生が珍しくパトロールに出るという情報を入手したから、もう勢いよくハイハイと手を挙げて今日の担当をもぎ取ったのだ。結果、私は大勝利した。ちょーハッピークリスマスだ。望み薄な巡回の最中、運命的に相澤先生のヘルプにつけたんだから。だけど、相澤先生と会えるかと思って下心ありありで志願しました、なんて真実は、熱心だと褒めてもらった後に言えなくて。
「えへへ。彼氏できたての先輩にお休み奪われたんです」
 半分嘘で半分本当。先輩に彼氏ができて休みたいなぁと言っていたのは本当。奪われたのは嘘。
「ふぅん」
 鼻から抜けたバリトンボイスは、わずかに笑いを含んでいる。相澤先生は伏せていたまつ毛を上げると、私へ視線を向けて、にまりと目を細めた。
「そのわりには随分機嫌が良さそうだな」
 ニッと歯を見せた意地悪な笑顔に、心臓が驚くほどドキドキとリズムを刻みはじめた。
 お前の浅慮なんてお見通しだ、と目が言っている。けどまさか。いや、そんなわけ。
「それはその、あっというまに倒せたからで」
 もにょもにょと歯切れの悪い私の言葉を、相澤先生の芯のある声が断ち切る。
「わざわざ俺の出動範囲に被せるような遠回しなことはやめて、素直に連絡くらいできないのか」
「はぇ?! 誰からそんなっ」
 驚いて目を見開くと、相澤先生もなぜか驚いた顔をしていて。
 時が止まる数秒。先生は、あー、という宛のない声と共に、すうっと横へと視線を泳がせた。
「……カマかけただけ、だったんだが」
「うぁあっ」
 頭を抱えてうなだれる。冬とは思えないほど体温が急上昇して、顔は火が出そうなほどに赤くなっているに違いない。
 なんでそんな強気なカマかけてくるんですか先生。以前よりだいぶユーモアのレパートリー増やしましたか先生。合理的虚偽以来の衝撃です先生。
「これには、その、色々と、ワケがありまして」
 伝えるつもりなんてなかった恋が、私のコントロール下を離れて勝手に猛烈な主張を始めてしまった。
「そのワケについては、流石に察しがついている」
「ですよねぇ……!」
 察したならば、相澤先生は何かしらこの気持ちへの答えを――くれちゃったら私、終わるのでは? まさかの聖夜に屍と化す?
 俯いて唸る私の頭に、ぽん、と乗った温もり。大きな手。
「な、え、せんせ」
 何事かと顔を上げようとしたのに、抑えるように力が込められて、先生の表情を伺うことができない。
「先生と生徒のままのつもりなら、俺からは何も言えないな」
 さっきと少し違う、笑いを含まない落ち着いた声。優しさと誠実さを感じる声が、突然私に与えられている。会えたらいいなぁ、って下心はあったけど、ここまで強欲に願ったわけじゃない。何がおきているの。なぜ私の視界は先生の下半身とアスファルトの地面に限定されているの。先生今どんな顔をしているの。
 今先生は何て言った? それって、つまり――いや分からない。混乱した思考回路では正しい予測が立てられない。先生と生徒じゃなくなれば、何か言ってもらえる、ということはわかるんだけど。人生経験が乏しい私には、今後の展開が不透明すぎて、正解の返答も導けなくて。けれど何かを期待してしまう。
「ん?」
 私の発言を促す一音に、焦った脳は必死で相澤先生の別の呼び方を考える。イレイザーヘッド? 相澤さん? 消太さん、は私の妄想の中での呼び方。まってまって、こんな乙女ゲーの選択肢みたいな状況初めてすぎて。
「あっ……相澤、さん?」
「ふっ」
 不意に頭が軽くなってパッと顔を上げると、相澤先生は口元を手の甲で隠し、息を漏らして笑った。
「違いましたか?! ごめんなさい、イレイザー!?」
「なるほど、ヒーローとしての仕事上の関係を望んでいるならそう呼ばれようか」
「ちが、あの、プライベートな関係を」
「プライベート、ね」
 交差点の向こうから、赤いパトランプの光が断続的に届き始めた。警察が到着する。こんな中途半端な状態で仕事モードが復活しない。
「まずは事後処理だな。俺からの報告書も後で事務所に送るよ。終わったら連絡しなさい」
 相澤先生――いや、相澤さん、は、ポーチからメモとペンを取り出して、掌の上で何かを書き込んだ。
「プライベートな方にね」
 そう渡された紙には、たぶん、相澤さんのプライベートな電話番号。
 わ、と見上げたその顔は、すでにプロヒーローの表情に戻って到着したパトカーを見つめていた。真剣な眼差しに触発されて、弛んだ心が引き締まる。
 私は過去最高のクリスマスプレゼントをぎゅっと握りしめて、もう一仕事、大きく一歩を踏み出した。

-BACK-



- ナノ -